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伏魔殿とも言われた外務省は、「ウソがウソでなくなる」世界の典型でもある

 ウソがウソでなくなる世界。所詮、そんなものと言ってしまえばそれまでだが、やはり納得のいかないのが「外交の空間」だ。金大中事件の外交文書が韓国で公開された。田中角栄首相(当時)は、国内向けに「徹底捜査」のポーズをとりながら、韓国側には「これでパー(終わり)にしよう」と伝えていたという。

 国内で白昼、行なわれた政治的拉致事件。それをいとも簡単にうやむやにし、しかもその事実を市民・国民に隠し通す外交とは一体、何なのか。言い分はあるのだろう。「国家間には複雑な“取引”がある」「国益のためにはやむをえない」。本当か。実は、「党益」「省益」「個人の利益」がからむのではないのか。

 本誌今週号の特集で掲載した「外務省不祥事一覧」は「表のデータ」だ。マスコミ発表されていない例は多いものの、少なくとも省内ではオープンになっている。国会議員も入手できる。いわば表面化した不祥事だが、その内容には唖然とした。

 地位を利用した公金横領、セクハラや万引きといったハレンチ罪だけではなく、海外での飲酒運転による事故が目立つ。外交特権を使って刑罰を逃れられるからという意識があるとしたら、言語道断だ。しかも、いずれも処分が甘すぎる。民間企業だったら免職もありうるような事案でも、せいぜい減給。意地悪い見方をすれば、「みんなやっていることだから」という雰囲気が、省内に漂っているのではないか。

 今回の不祥事一覧を「表のデータ」と表現したのは、「裏のデータ」もあるに違いないと思うからだ。そもそも、外交には機密がつきものである。ブラックボックスである限り、さまざまな意味での“隠蔽工作”は避けられない。そのことを全否定する気はない。しかし、「都合の悪いことは隠してしまえ」という単純な発想のもとに、個人的不祥事を闇に葬るのは、別次元の話である。

 かつて新聞記者時代、「霞ヶ関」の暗部を探る取材チームのキャップをした。その時の経験では、外務省は大蔵省(当時)とともに“最悪”の省庁だった。「臭い物に蓋」がまかり通ると高をくくった官僚が多かったのだ。

 むろん、「裏のデータ」は個人的な不祥事の隠蔽だけではない。金大中事件同様、市民・国民をだましている外交事項が相当あるように思える。そして言うまでもなく、ウソを「機密」に言いくるめるのもウソの典型だ。(北村肇)