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外務省の新疑惑で考えた、ゲームに強い官僚の実態

 実証的なデータがあるわけではない。だが取材体験上、かなりの自信をもって、こう言える。「官僚は囲碁や麻雀がべらぼうに好きで、なおかつ強い」。私は、囲碁は不得手だが、麻雀はそこそこキャリアを積んでいる。新聞記者時代、取材の一環で官僚と卓を囲んだことが何度かあるが、そのたびに、彼ら、彼女らの勝利への執念に感心した。


 
 牽強付会に解釈すれば、もともと官僚はゲームの世界に生きている。大学受験も、国家公務員の上級職試験も、有り体に言えばゲームみたいなものだ。一定のルールの中で、技量を磨けば勝ち上がることができる。官庁に入ると、今度は事務次官レースという熾烈なゲームに参画する。かような環境で生き抜いてきた人たちが、囲碁や麻雀に人一倍、長けているのは当然であろう。
 
 どんな仕事にもゲームの要素はある。戦略・戦術を組み立て、相手の心理を読み、ときには運を天に任せての勝負に出る。ただ、官僚と一般の会社員とでは、決定的に異なる点がある。それは、官僚は国家を左右するほどの「権力」を持っているということだ。この権力が暴走すると、まさしく始末に負えない。

 だから、官僚がシミュレーションゲームに興じたときは怖い。「自分の勝利」のために、いかなる犠牲をも惜しまず突き進めば、人間も単なる駒に見えてくる。「社会」をパソコン上に移したとき、権力者の目に、血の通った市民は映らない。極端に言えば、ゲームに勝つための捨て駒でしかなかったりする。

 エイズが社会問題化した80年代半ばから後半に欠け、厚生省(当時)で取材していたころ、被害者の体温や呼吸を、多くの厚生官僚が感じ取っていないことを思い知らされた。この人たちの頭にあったのは、「厚生省の責任逃れ」「それによる上司や自分の責任逃れ」だった。うまく立ち回れた官僚はその後、出世した。つまり、被害者を捨てることによって、ゲームに勝ったのである。

 アスベスト問題や薬害肝炎についても、こちらは直接、取材をしていないので証拠はないが、似たような“匂い”を感じる。

 本誌今週号では、外務省の新疑惑を特集した。「大使館の美術品が大量に消えていた」のである。誰が何のために持ち去ったのか、あるいは何らかの事故なのか、そこはまだはっきりしない。ただ、疑惑の背景に、官僚の奢りが感じられて仕方ない。 (北村肇)