編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

無用の長物と化した原発を「いかに計画的に減らし、無くしていくか」について早急に検討する、それこそ現実主義だ

 何を守りたいのだろう。ぜひ聞いてみたい。原発推進派の面々にだ。

 チェルノブイリ事故が如実に示した通り、核兵器を街中でさらしているのと同様な危険を持ち、最終処理を含めたら圧倒的にコストも割高。こんなこと、国も電力会社も、とうの昔に気づいていたはずだ。なのに、すべての暗部を隠蔽し続けた。そこまでしてあなたたちが守ろうとしているのは、結局、既得権益と自らの「地位」だけではないのか。
 
 その結果がもたらしたもの。今回の美浜原発事故をはじめとした、無数の原発労働者の被害、東海村臨界事故を筆頭に数々の放射能漏れ事故、強引な誘致によるトラブル…。挙げればきりがない。

 かつて、科学技術庁(当時)の官僚や電力会社の幹部と、何度もやりあったことがある。彼らは二言目には「いま原発が止まったら市民生活はできなくなる」と強調した。「すでに自衛隊は存在するのだから、憲法のほうを変えるべき」と強弁する与党議員と同じ理屈だ。えせ現実主義以外の何物でもない。
 
 ある電力会社の中間管理職からこんなことを聞いた。
「チェルノブイリ事故の後、日本の電力企業の首脳が旧ソ連に視察に行った。そのとき、みんな同じ感想をもったんです。それは『われわれの企業にとって、原発は将来、お荷物になる』ということです」
 
 事実、“脱原発”への道を模索している企業もある。だが、いまのところ正面きって宣言する社はない。単純に言えば、責任を負わされたくないからだろう。官僚も同様なのではないか。かくして「いま止めたら大変」という、えせ現実論がまかりとおる。

 真の現実主義は、無用の長物と化した原発を「いかに計画的に減らし、無くしていくか」について早急に検討することだ。守るべきは「市民生活」なのである。(北村肇)