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国鉄闘争の線路は途絶えていない。歴史が変わるのはこれからだ

 あの8日間は記憶から消えない。1975年11月26日から12月4日。総評系9組合からなる公労協が、公務員のスト権を求め192時間のストを決行。当時、新聞記者2年生の私は、地方支局で日々、交通ストの取材に追われた。当初、市民はストに好意的だった。春闘では恒例だったし、何より「とにかく組合は支援しよう」という雰囲気があった。だが2日たち3日たち、怒りへと変化する。

 首相は、ロッキード事件で退いた田中角栄氏の跡を継いだ三木武夫氏。いわずもがな、自民党内ではハト派と目されていた。総評側は、いずれ三木氏が仲裁に乗り出すと読んでいたふしがある。だが、その見通しは甘かった。いつまでたっても三木氏は動かない。結局、振り上げた拳の降ろしどころを失った公労協は無惨な敗北を喫する。学生時代の雰囲気から抜け出せていない私は、当事者のような脱力感を覚えた。爾来、総評の神通力は消え、組合離れも急速に進む。

 国鉄の分割・民営化を推進するため、第2次臨時行政調査会が発足したのが81年3月。翌82年7月に「分割・民営化」の答申が出され、その年の11月に「小さな政府、規制緩和、民営化」を唱えた中曽根康弘首相が誕生。86年11月、国鉄改革法が成立する。以来、錦の御旗と化した「民営化」の流れはとどまることを知らず、いまに至る。

 中曽根氏は05年11月20日、テレビ番組の中で「国労をつぶせば総評・社会党が崩壊する。意識的に(分割・民営化を)やりました」と発言している。日本の右傾化は、充分な戦略に基づいて進められてきたのだ。問題は、それだけではない。「小さな政府、規制緩和、民営化」はいずれも、米国が日本に求めてきたものだ。「ロン・ヤス」に象徴される日米蜜月の背景には、日本の経済市場を浸食したいという米国の思惑が存在していたのである。

 中曽根内閣発足から25年の今年、郵政公社が民営化した。すでにJRでは大きな事故が相次ぎ、民営化の弊害が浮き彫りになっているが、郵便現場では、トヨタ方式の導入により、過剰労働問題が顕在化している。効率化が安全の上位に立つのは当たり前の時代になったかのようだ。
  
 しかし一方で、国鉄闘争はいくつかの曲折を経ながらも、いまに続く。線路は決して途絶えていないのだ。あの8日間の熱情と涙がムダでなかったことは、いずれ証明されるだろう。歴史を書くのは権力者だが、歴史をつくるのは市民である。(北村肇)