きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

この国のゆくえ18……スーパーマンは存在する。それを信じることが大切だ

<北村肇の「多角多面」(37)>

 月にウサギがいるように、スーパーマンもどこかに存在していると信じていた。いつから、その確信が揺らいだのか、うまく思い出せない。20代後半か、40歳を過ぎてからか。こう書くと、「ネジが弛んでいるのでは」と思われるかもしれない。若干、つけ加えると、「スーパーマンはいると信じる」ことの大切さを、いつ、どこに置き忘れてきたのか、それが問題なのだ。

 若手作家では一番人気の伊坂幸太郎の作品を、実は読んだことがなかった。たまたま「群像」7月号をぱらぱらとめくっていたらスーパーマンをモチーフにした作品に出会った。伊坂の「超人」だった。これがメチャクチャ面白い。面白いばかりではなく、「社会に吹いている風」や「人間存在の探求」という、作家にとって最大であり、かつ不可避の仕事をきちんと踏まえている。あわてて、何冊か購入し読みふけった。

 筋立ての巧妙さや洗練された言葉の操り方に人気の秘密を発見し、これまで気にはなりながらも近づかなかった不明を恥じた。とともに、この若さ(1971年生まれ)で、人間のどうしようもない愚かさを描ききる技量に脱帽した。現代社会に生きる者が多かれ少なかれ抱える闇を、それはつまり、得体のしれない不安が漆黒の世界で手招きしているような闇を、あっけらかんとスポットライトの中に浮かび上がらせる。闇に灯りをあててその存在を知らしめるという芸当は、そうたやすくできることではない。たとえば、ぱっと思いつくのは松本清張とか高村薫くらいだ。

 伊坂ワールドにはまた、闇を照らす存在としてのスーパーマンがいろいろな形で登場する。かなり深刻でときには凄惨なテーマを扱いつつも、どことなく「希望」を感じさせるのは、「正義の味方」の存在によるところが大きい。

「3.11」以降、「命をかけて働く」人々がメディアにたびたび登場する。自衛隊員、「フクシマ50」などなど。これこそ「大和魂」という称賛の声もある。これまでも何度か触れたが、必死に働いている現場の方々には深い感謝とともに感動を覚えている。しかし、彼ら、彼女らだけがスーパーマンであるわけではない。「大和魂」は日本人の専売特許でもない。

 スーパーマンの資質は、人間であるなら誰でも等しく持っている。「正義の味方」は特殊な人ではない。私たちは例外なく、心の中にスーパーマンを宿しているのだ。いま必要なのは、そのことを思いだし、信じることだ。(2011/7/8)