きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

◆顔は心で見る◆

〈北村肇の「多角多面」(119)〉
 自分の顔を見るのはどのくらいだろう。せいぜい1日に10回程度。これが他者の顔となると数え切れないほど見ている。なぜ、自分の顔を見られるような位置に目はついていないのか。顔は見るものではなく見せるもの。だから、人はいろいろと顔に細工をしたりするのかなと、思ったりもする。

 でも、人間がきわめて機能的にできていることを考えると、少し変だ。確かに顔は見せるもの。が、絶えず自分の顔を見ることができるようにしておけば、対人関係でもプラスに働くだろう。

 実は、自分の顔は目ではなく心で見るものではないのか。だから、別に鏡などなくともいつだって見ることができた。ところが、他者への関心が増えていくうちに、他者の目に自分がどう映っているのかが気になり、相手の目の中の自分を自分として見るようになってしまった。そして、いつしか本当の自分の顔を見る力を失ってしまった――。そんな気がしてならない。

 そもそも顔は固定した物体としてそこにあるわけではない。生きている人間の内奥から絶え間なく生み出される「何か」が瞬間、瞬間、つくりあげていくものだ。その動きや流れを目で見るのは至難のわざだろう。でも、心なら見える。

 だとすれば、他者の顔も本来、目で見るものではない。かりに目で見たとしても、その信号をもとに心で見なくては、本物の顔は見えないはずだ。

「心眼」という言葉を、生きていく日々の辞書に改めて書きとめる。まずは自分の顔を心で見つめることを日課にしなくてはならない。引きつってはいないか、おもねった笑いではないか、小心な怒りを見せてはいないか、歪んだ涙を流してはいないか……。それから今度は、他者の顔を心で見る。

 テレビを捨ててから長い時間がたつ。もっぱら重宝しているのはラジオだ。声こそ心眼で「見る」しかない。慣れてくると、たとえば政治家の虚言や自信のない顔が見えてくる。就任当時の安倍晋三首相から感じ取れたのは「とまどい」だった。ああ、この人は総理になる気がなかったのだなとわかった。最近は高揚感が滲み出ている。ただし、それは揺るぎないといった感じではない。いかにも浮ついている。根っこがないのだ。どんなに支持率が上がろうと、安倍政権は長続きしないだろうと思う所以である。(2013/3/29)

福島県での甲状腺がん検診の結果に関する考察 ver.3.02

3月29日号に掲載する「福島県での甲状腺がん検診の結果」に関する記事の参考文献を公開します。

福島県での甲状腺がん検診の結果に関する考察 ver.3.02

◆覆面姿で議場に入り、何が悪い◆

<北村肇の「多角多面」(118)>

 こういう騒ぎが起きるたびにイラッとする。大分市議選で初当選した覆面レスラーが、3月の議会で議場に入ることを拒否された。覆面を着けたままでの入場は「議会の品位を欠く」からだそうだ。

 無所属のスカルリーパー・エイジ議員は覆面姿で選挙運動をし、当選した。その格好で議会に赴き何が問題なのか。報道によれば、会議規則は議場での帽子や外とうの着用を認めておらず、覆面は帽子の類いに該当するという。18日の本会議で圧倒的多数により、正式に決定された。笑止千万。

 覆面レスラー議員としては元岩手県議のザ・グレート・サスケ氏が有名だが、同氏の場合は素顔の確認を条件に覆面着用が認められたという。なりすましの可能性を考えれば確認はやむなしだが、あとは有権者の判断に任せればいい。スカルリーパー氏は「このままでは仕事が出来ない」として議会決定を受け入れた。さぞ無念だろう。

 そもそも「品位」とは何か。パリッとしたスーツ姿の議員が聞くにたえないヤジを平然ととばす。国会から地方議会まで、さまざまな議場で目撃した。彼らこそ議場に入れなければいいだろう。鉄面皮のほうが余程、たちが悪い。

 覆面だろうが金髪だろうが、議員としての仕事さえしていれば何の問題もない。姿格好で評価するなら、公約は無意味ではないか。

 覆面議員の話は地方議会の問題にとどまらない。長髪はダメ、丈の短いスカートはダメ……。一部の教育現場では相変わらずとんちんかんな「人格教育」が行なわれている。校則でがんじがらめにしてどんな生徒をつくろうというのか。「形式だけ整えておけばいい」という発想の人間が大量に生まれたら、どんな社会になってしまうのか。

 安倍晋三首相の推進する復古教育は、形式主義の品位重視につながる。身だしなみを整えるのはもちろん、教師にはきちんとあいさつし、「日の丸」には45度のお辞儀をする――。「君が代」を大声で歌っているかどうか計測するという馬鹿げた事例が大阪であったが、あほらしいと笑ってすますことはもはやできない。

 右向け右の強制と規則だらけの社会。想像しただけでイラッとする。「自由」より「公の秩序」が重要だなんて、冗談ではない!(2013/3/22)

「櫂未知子の金曜俳句」3月末締切の投句募集について

『週刊金曜日』2013年4月26日号掲載の俳句を募集しています。
【兼題】「朝桜」「夕桜」「夜桜」(雑詠は募集しません)
【締切】 2013年4月1日(月)必着
【投句数】1人計10句まで何句でも可
※特選に選ばれた句の作者には櫂未知子さんの著書(共著を含む)をお贈りします
【投句方法】官製はがきか電子メール
(氏名、俳号、電話番号を明記)

【投句先】

郵送は〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-23
アセンド神保町3階  『週刊金曜日』金曜俳句係宛。

電子メールはhenshubu@kinyobi.co.jp
(タイトルに「金曜俳句投句」と明記してください)

【その他】新仮名づかいでも旧仮名づかいでも結構ですが、一句のなかで混在させないでください。
なお、添削して掲載する場合があります。

◆自民党憲法草案のトンデモぶり◆

〈北村肇の「多角多面」(117)〉

 前回衆院選に対し違憲判決が次々と出ている。資格のない議員が立法府に居座っているわけだ。ところが、違憲状態にある安倍政権は憲法改定に向けてひた走る。もはや漫画か悪い冗談にしか見えない。先頃、連立与党・公明党の漆原良夫国対委員長が「個人の意見としては96条だけなら改正していいと思っている」と発言した。いわゆる「3分の2条項」が緩和されれば、憲法改定のハードルはかなり低くなる。維新の会、みんなの党、さらには民主党議員の一部も改憲派とあっては、96条改定の危険性が高まってきたのは間違いない。そこで、改めて自民党憲法改正草案(以下「草案」)の検証をしておきたい。

 何よりも許し難いのは、憲法の性格をアベコベにしていることだ。言うまでもなく憲法は「権力を縛る」ものである。現行憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とうたっている。ところが、草案では102条で「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と書かれている。まるで、国民を奴隷扱いしているようなものだ。目が点になる。

 現行憲法前文には「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」とある。つまり今の憲法の原理に反する一切の憲法は認められないわけで、草案自体が憲法違反といってもいい。極論すれば、首相が堂々と国会で憲法違反を宣言しているのと同じだ。
 
 問題の「国防軍」創設を定めた草案9条の二には「国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める」との項目がある。秘密保全法とのセットだ。さらに5項には「国防軍に審判所を置く」とある。また、現行18条の「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」が草案では「社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」と変わっている。徴兵制を可能にするためだ。これらをみると、軍事体制国家の確立を目論んでいるとしか思えない。

 草案12条「国民の責務」には「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」とあり、21条「表現の自由」2項は「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」となっている。要約すれば「国家に異議申し立てをした組織、個人は許さない」ということだ。

 曲がりなりにも「平和な民主主義国家」の道を極端に外すことなく来た日本が、まったく別の国家になる。それが自民党草案の本質である。(2013/3/15)

◆「3.11」を前に考える平凡で日常的な死◆

<北村肇の「多角多面」(116)>

 叔母が昨年末、逝った。母親が8年前、養父は9年前にみまかった。生者より死者との対話が多くなる地点に立ったと実感する。若いころには想像できなかった、というより見て見ぬふりをしていた「死」が、存外、日常性をまとった平凡とも言えるものであることに、ようよう気づいたわけだ。

 冷静に考えれば、死は生の何層倍か豊穣な世界であることに思いいたる。何しろ親族に限らず無数の死者が私の中に息づいている。その意味で死者は無に帰さないのだから、単純にその数は生者をはるかに凌駕する。「いま」は、計数不能な死者の存在のもとに成り立っているのだ。

 人間は大きなしかも本質的な間違いを犯してきたのではないか。生と死が不連続であるとの思い込みである。此岸と彼岸は決して断絶していないのに、死を別の世界に追いやった。その結果、いまの世においてのみ責任を果たせばいいのだという風潮が社会を厚く覆った。死後など知ったことではない、社会は生者のものなのだ――。

 東日本大震災で亡くなった人々、核実験の死の灰で亡くなった人々、先の大戦で亡くなった人々。福祉政策が崩壊する中で餓死に追い込まれた人々。不自然死により「過去の人」となった方々のさんざめきが聞こえたとき、「過去の人」は私にとって生者になる。彼ら、彼女らの語りかけ、それは私には「一人の例外なく自然死を迎えられる社会の希求」に聞こえてならない。

 福島原発事故からまもなく2年。安倍政権はしゃにむに「原発維持」に向かって暴走する。日米首脳会談で、オバマ大統領に「原発ゼロ政策は見直す」と胸を張ったといわれる。福島県の調査で甲状腺がんの患者と疑いの濃厚な人が10人見つかった。氷山の一角だろう。被害が顕在化するのはこれからだ。なのに、被災者の救済は一向に進まない。これらを眼前にしたとき、棄民政策という言葉しか浮かばない。
 
 さらには、集団的自衛権を認め、憲法改正により国防軍創設をもくろむ。生活保護費を削減する。一部の政治家や官僚、経済人、さらにはマスコミ人には、生者たる死者の声が聞こえないのだろう。いな、聞くことを恐れて耳を塞いでいるのかもしれない。

 死者、とりわけ不自然死による死者を「無」として扱う社会に希望をたたえた未来はない。生者たる生者だけではなく、生者たる死者の声に耳を傾けたい。(2013/3/8)

兼題「春の風邪」 金曜俳句への投句一覧(3月22日号掲載=2月末締切)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です。

選句結果と選評は『週刊金曜日』3月22日号に掲載します。

どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

(当季雑詠は募集しておりませんが、ここにまとめて掲載します。「春の風邪」と「春の風」を混同している句もあわせて掲載します)

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

amazonなどネット書店でも購入できるようになりました。予約もできます。「週刊金曜日」で検索してください。

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兼題「海苔」 金曜俳句への投句一覧(3月22日号掲載=2月末締切)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です。

選句結果と選評は『週刊金曜日』3月22日号に掲載します。

どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

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