きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

本当に破れかぶれ解散なのか

<北村肇の「多角多面」番外編>
 四面楚歌、総スカンの野田佳彦首相が「うそつき」と言われるのが嫌な一心で破れかぶれ解散に打って出た――。前代未聞、国会の党首討論で解散日を明言した野田首相の本心について、そんな論評が目立つ。違うのではないか。狙いはもっと別のところにあるのではないか。

 米国では異様に野田首相の評価が高い。それはそうだろう。どんな反対にあっても沖縄にオスプレイを入れる、原発を再稼働する、集団的自衛権に前向き、TPP参加を目指す。何から何まで米国の要求をのんできた。米国のポチと揶揄された小泉純一郎元首相以上のべったりぶりだ。

 米国の受けがいいのは、イコール霞ヶ関官僚の評価が高いことにもつながる。外務省しかり、防衛省しかりだ。しかも、財務省の長年の夢であった消費税増税まで実現したのだから「野田様々」である。それなのに、なぜ民主党政権は追い込まれたのか。

 米国が小沢一郎、鳩山由紀夫両氏の基本方針、つまり東アジア共同体路線に強い危機感を抱いていたことは間違いない。中国との間合いを計りながら外交を進めている米国にとって、万が一にも中国、日本、韓国が手を握る事態があってはならないのだ。そうした芽を徹底的につぶすためには、「小沢復権」を阻止しなくてはならない。

 一方、霞ヶ関にとっても「小沢復権」は悪夢だ。政治主導を掲げながら志半ばに表舞台から引きずり下ろされた小沢氏。もしも、再度、権力を握ることになれば復讐の鬼と化すだろう。世論調査を見る限り、小沢新党の支持率は伸び悩んでいる。しかし、高裁で無罪判決が出たことをきっかけに、どんな手を打ってくるかわからない。第三極、あるいは第四極の核になることも考えられる。米国や官僚がそう考えたとしてもおかしくはない。

 では、完璧に小沢氏をつぶすにはどうしたらいいか。その答えが「早期解散」だった。さしもの剛腕政治家も、年内総選挙では手の打ちようがない。「国民の生活が第一」は複数議席の獲得さえ困難だろう。また、橋下徹氏率いる維新の会も準備不足は否めない。霞ヶ関は橋下氏に対しても官僚主導に抵抗するのではないかとの危機感をもっている。その意味で、年内選挙はまさに一石二鳥なのである。

 民主党内での解散反対の動きがこれ以上、高まる前に解散に打って出る。もし「小沢つぶし」が最大のミッションなら、これはむしろ考えぬかれた策だ。(2012/11/15)

大飯原発再稼働に関する政治的責任に関する質問主意書と答弁

 関西電力大飯原子力発電所3、4号炉(福井県おおい町)の運転再開について、野田佳彦首相は「最終的には総理大臣である私の責任で判断を行いたいと思います」と5月30日に述べている。この「責任の範囲と内容」について政府は6月29日、「政治的判断を必要とする国政上の重要な問題であり、内閣の首長である野田内閣総理大臣がこれに関与し責任を持って判断を行うという趣旨で述べた」との答弁を閣議決定した。

 一方、事故発生時の賠償については「原子力事業者がその損害を賠償する責めを負う」などと従来の枠組みの説明にとどまっており、過酷事故が起こった場合でも野田首相個人が再稼働の責任を取る気がないことがあらためて浮き彫りになった。福島みずほ参議院議員(社民)の質問主意書に答えた。

 また、野田首相は「あのような事故を防止できる対策と体制は整っております」と断言したが、同答弁では事故原因は「津波」であるとし、「地震動」による主要機器の破損については認めなかった。国会事故調では「地震動」による主要機器破損の可能性について重大な関心を持っているほか、大飯原発の防潮堤はまだ完成しておらず、不誠実きわまりない。

 さらに6月8日の記者会見で、野田首相は「豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません」としたが、同答弁では「コストの試算においては、電源ごとの発電単価ではなく、火力及び原子力の燃料費のみにより計算した単価を用いている」とした。燃料費のみの比較で原発が安価だというのでは、野田首相は大ウソつき、との批判を免れないだろう。

 大飯原発3号炉が7月1日夜にも起動すると報道されるなか、野田首相の無責任ぶりがあらためて浮かび上がった。質問と答弁を以下に全文紹介する。
(なお、テキストでは読みやすいように質問と答弁を交互に掲載する)

大飯原発再稼働に関する政治的責任に関する質問主意書

大飯原発再稼働に関する政治的責任に関する質問に対する答弁書

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     大飯原発再稼働に関する政治的責任に関する質問主意書

 関西電力大飯原発三、四号機の再稼働について、政府は最終判断を下した。この間、社民党は原発の再稼働に反対する申入れを繰り返し行ってきたところである。しかし、それに対する政府の回答は、「おおむね原発の安全性は様々な知見から科学的に原子力安全・保安院や原子力安全委員会が確認している。その上で、政治家が様々な意見を聞いて総合的に判断し、安心の部分を国民の皆さんに示す必要がある。」旨であった。

 今回の再稼働決定について、野田首相が「私の責任で判断して」と発言したことについて、重要性と責任の範囲と内容を確認するために、以下質問する。

一 二〇一二年五月三十日、野田首相は首相官邸で、第七回となる原子力発電所に関する四大臣会合を開催し、「大飯発電所三、四号機の再起動について、関西広域連合からは、原子力規制庁等の政府機関が発足していない中で、政府の安全判断が暫定的であることを踏まえた適切な判断を求めると声明をいただきました。関係自治体の一定のご理解が得られつつあると認識しております。政府は今回の事故を踏まえた、専門家の意見に基づき、安全性を慎重に確認してまいりました。(中略)立地自治体のご判断が得られれば、それをもって最終的にはこの四大臣会合でしっかりと議論をし、最終的には総理大臣である私の責任で判断を行いたいと思います。」(首相官邸ホームページ)と発言している。
この中で、野田首相は「責任」と発言しているが、その「責任」とはどのような意味として使っているのか。「責任」の内容を具体的に示されたい。

二 この「責任」に関する発言について、原発の再稼働の是非を最終的に判断するのは首相の責任なのかどうか、その法的根拠を含め、具体的に示されたい。

三 「私の責任で再稼働を判断した」原発が事故を起こした場合、「事故を起こした責任を野田首相が負う」と理解してよいか。その場合、東京電力福島原発事故で明らかなように、国家社会に与える被害は莫大になることも想定すべきだが、首相としてどのように責任を取るのかをその賠償方法を含め、具体的に説明されたい。また、「責任」の意味するところが、「事故を起こした責任を負う」とは違う場合は、どのような意味か具体的かつ詳細に説明されたい。

一から三までについて
御指摘の野田内閣総理大臣の発言は、定期検査で停止中の原子力発電所の運転再開については、電気事業法(昭和三十九年法律第百七十号)等に基づき経済産業大臣が所掌していることを前提として、関西電力株式会社大飯発電所第三号機及び第四号機(以下「大飯発電所三・四号機」という。)の運転の再開の可否については、政治的判断を必要とする国政上の重要な問題であり、内閣の首長である野田内閣総理大臣がこれに関与し責任を持って判断を行うという趣旨で述べたものである。
 なお、原子力損害の賠償については、原子力損害の賠償に関する法律(昭和三十六年法律第百四十七号)において、原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものである場合を除き、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めを負うこととされている。また、原子力損害賠償支援機構法(平成二十三年法律第九十四号)においては、国は、これまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っていることに鑑み、原子力損害賠償支援機構を通じて、原子力損害の賠償が適切かつ迅速に実施されるよう、万全の措置を講ずるものとされている。

四 前記一のホームページの中で、野田首相は「あのような事故を防止できる対策と体制は整っております」と断言している。「あのような事故」の内容と事故原因を明確に説明されたい。

四について
お尋ねの「あのような事故」とは、東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故(以下「本件事故」という。)を指す。これまでの調査等によれば、本件事故においては、平成二十三年三月十一日の東北地方太平洋沖地震により、同発電所において、外部電源を喪失した後、非常用ディーゼル発電機が正常に起動し、安全上重要な設備・機器がその安全機能を保持できる状態にあったと考えられるが、その後の津波の到達により、非常用ディーゼル発電機の機能を喪失し、第一号機から第四号機までの各号機において、全交流電源を喪失した結果、第一号機から第三号機までの燃料が損傷し、大量の放射性物質が環境中に放出されたものと考えられている。また、原子炉で発生した水素が原因となって、第一号機、第三号機及び第四号機において爆発が生じ、それぞれの原子炉建屋が損傷したと考えられている。

五 二〇一二年六月八日の記者会見で、野田首相は「四月から私を含む四大臣で議論を続け、関係自治体の御理解を得るべく取り組んでまいりました。(中略)これにより、さきの事故で問題となった指揮命令系統を明確化し、万が一の際にも私自身の指揮の下、政府と関西電力双方が現場で的確な判断ができる責任者を配置いたします。」と発言しているが、この意味するところは、東京電力福島原発事故当時、指揮命令系統が明確でなかったと政府が認識していると理解して良いか。

六 前記五において、野田首相は「問題となった指揮命令系統」と発言しているが、その原因はどこにあったのか具体的に示されたい。さらに、現在、指揮命令系統を明確化するために行われている対策、今後予定されている対策などを具体的に説明されたい。

 また、「的確な判断ができる責任者」の配置は既に行われているか。行われている場合、その責任者の氏名と経歴を明らかにし、「的確な判断ができる」とする根拠を示されたい。配置が行われていない場合は、いつ配置される予定か、その時期と配置予定責任者の氏名と経歴を明らかにされたい。

五及び六について
御指摘の指揮命令系統に関しては、「原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書―東京電力福島原子力発電所の事故について―」(平成二十三年六月原子力災害対策本部決定)において「政府と東京電力との関係、東京電力本店と現場の原子力発電所との関係、政府内部の役割分担などにおいて、責任と権限の体制が不明確な面があった。特に、事故当初においては、政府と東京電力との間の意思疎通が十分ではなかった。」としている。これを踏まえ、総理大臣官邸(以下「官邸」という。)、原子力災害対策本部事務局が置かれる経済産業省緊急時対応センター、原子力発電所、電力会社の本店等との間をつなぐテレビ会議システムを整備した上で、緊急時には電力会社の本店等に政府と電力会社との連絡調整拠点を確保し、同省の責任者を派遣することにより、官邸の指示や連絡調整が迅速に行われるよう、体制の整備等に取り組んでいるところである。今後は、第百八十回国会で成立した原子力規制委員会設置法(平成二十四年法律第四十七号)の規定を踏まえ、原子力災害対策本部を始めとする関係機関等における責任や役割分担等が制度上においても明確になるよう、同法の施行に合わせて、関係法令や「防災基本計画」(平成二十三年十二月二十七日中央防災会議決定)、「原子力災害対策マニュアル」(平成十二年八月二十九日原子力災害危機管理関係省庁会議)等を改定することとしている。
大飯発電所三・四号機については、本件事故の後、初の再起動となることを踏まえ、万が一事故が発生した場合の緊急対応に万全を期すため、常時監視・緊急対応体制を整備しているところであり、当該体制の責任者として、牧野経済産業副大臣を大飯発電所三・四号機の再起動前に派遣することとしている。同副大臣は、万が一事故が発生した場合には、現行の原子力災害対策特別措置法(平成十一年法律第百五十六号)に基づき、原子力災害現地対策本部長となる予定であり、その経歴については、同省のホームページで公表しているところである。

七 前記五における記者会見で野田首相は「国民生活を守ることの第二の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。」と発言しているが、原発が安価な電力である根拠について、他の発電方式と比較した具体的な単価を含めて示されたい。また、その価格は各発電所の稼働率をどの程度と想定した上で計算しているか。さらに、想定した稼働率は、実際の各発電所の稼働率と一致しているか。加えて、「安価」とする原発の発電価格には、使用済み核燃料の再処理やバックエンドのコストを含んでいるか。これらの条件を含めて「安価」とする根拠を示されたい。

七について
御指摘の野田内閣総理大臣の発言は、エネルギー・環境会議及び電力需給に関する検討会合の下に開催した需給検証委員会の報告書において、仮に、国内の全原子力発電所が稼働を停止し、火力発電で代替した場合には、燃料コストが大幅に増加すると試算されていること等を踏まえ、いずれ電気料金が上昇することは避けられないとの趣旨で述べたものである。なお、当該コストの試算においては、電源ごとの発電単価ではなく、火力及び原子力の燃料費のみにより計算した単価を用いている。

[この国のゆくえ28……完全なモノは存在しない、それこそが真理]

<北村肇の「多角多面」(47)>

 ニュートリノの速度は光速より早い――このニュースを聞いたときは飛び上がった。タイムマシーンがSFの世界にとどまるのは、「光より早く飛ぶ物質はない」というアインシュタイン説をだれもが信じてきたからだ。もし、ここがひっくり返ったなら、時々現れる「未来から来た人」の中には“本物”がいるのかもしれない。
 
 この6月、イタリア発の不思議なニュースが話題になった。シチリア島ですべてのデジタル時計が15分間進んでしまったというのだ。おもしろがりながらも「何か科学的な原因があるのだろう」と考えていた。でも、「時間」の概念が根底からあやしくなるのなら、何が起きても不思議ではない。オカルトがオカルトではなくなる。

 宇宙に関する本を読んでいると、最近は「ナゾの解明が近い」といった言説を目にする。しかし素人の私からみると「ナゾだらけであるとわかった、そのことが進歩である」としか読めない。物理学の進展とともに、宇宙はますます人知を超えた世界になっているのではないのか。そこに降ってわいた相対性理論への疑問。現代物理学はアインシュタインなくしては存在しえないのだから、ひょっとすると、すべては一からやり直しということになりかねない。

 あまりに自明のことだが、科学は万能ではない。というより、未来永劫、人類にとって科学が万能になることはありえない。なぜなら、人間自体が不完全な存在なのだから。「神」になりえない人間が生み出す科学は、どこまでいっても完全たり得ないのだ。

 しみじみ思う。科学万能主義者は人間を信じていないのだろう。不完全なモノは、科学にとって忌み嫌うべきモノでしかない。だから、人間より科学が優先される。そうした彼ら、彼女らの“心の貧しさ”がどれだけの人間を傷つけてきたのか。

 あえて持ち出すまでもないが、原発の安全神話は科学万能主義のもたらしたものだ。一部のまともな学者は「制御できない技術は危険」と指摘した。とともに、私を含め、具体的なことはわからないものの、感覚的、直感的に「原発は危険と感じた」人間もいた。しかし、いずれも非科学的と軽んじられた。

 人間は、一人の例外もなく欠陥だらけだ。だからこそ、お互いを認め合い、支え合ってきた。完璧ではないからこそ、愛おしい。それが人間である。「科学する心」も、「完全なモノは存在しない」を前提にして初めて成り立つ。(2011/9/30)

[この国のゆくえ22……「苦悩」とともに2011年の夏を過ごす]

<北村肇の「多角多面」(41)>
 あっという間であり、異様に長い5ヵ月でもあった。「3.11」は時間感覚をも狂わせたようだ。

 振り返ってみると、そこには無数の「?」が、まだ化石にならない状態で浮遊している。それはそうだ。何一つ解決していないのだから。「収束」しないのは福島原発事故だけではない。私の想念もまた、何の見通しも不時着する場所もなく、いたずらにさまよい続けている。

 原発が人類にとって負の存在であるとの結論はとうに下していた。一旦、事故が起きたら、破滅の事態をもたらすことも明確に予言できた。政府や電力会社を中心にした“原子力ムラ”の醜悪さも自明の理だった。なのに、私といえば、無数の被害者が生まれた現実を呆然として見つめるばかりだ。

 私にとって「結論」とは何だったのか。それを自分なりに出すことで何が解決したのか。いままた、どんな結論を出そうとしているのか。その煩悶の中で混沌としているというのが、偽らざる心境だ。具体的な言葉にすればこうなる。「3.11」で犠牲になった人々の「死」、残された人々の「生」に対し、一体、どうやって向かいあえばいいのか、まったく見えてこない――。

 原発を廃炉に追い込み、二度と同じような被害者を出さない。そのことが、大震災で亡くなられた方々への手向けにつながり、死者を悼むことすら奪われた人々の支援に結びつく。さらには、明日を背負う子どもたちの未来をつくりだす。ここまでは無条件、反射的に紡ぎ出すことができる。しかし、何かが足りない。

 現時点での私の「結論」は、矛盾に満ちている。それは「結論を無理して出すことはない」ということである。肝心なのは「思い悩むこと」ではないのか――。

 今年もまた「8・6」、「8・9」がやってくる。戦争、核兵器、原発……考えるべきことは山積している。例年と違うのは、「3.11」によって、社会を覆っていたフタが吹き飛んだことだ。否応なく「死」が露出し、すべての人の眼前にさらされたのである。逃げてはいけない。しかし、簡単に結論を出そうと焦るべきではない。まずは悩みたい。「生きている」からこそ、苦悩する。苦悩するからこそ、明日がある。この夏を苦悩とともに送ろう。出来る限り、背筋をピンと伸ばして。(2011/8/5)

[この国のゆくえ12……デタラメな人間しか扱えない代物、それが原発]

<北村肇の「多角多面」(31)>

 飛行機が苦手だ。無類の高所恐怖症ということもある。だが、それ以上に鉄の塊が空を飛ぶことに違和感がある。だから、なるべく飛行機は使わない。とはいえ、北海道はいたしかたない。過日、千歳空港を目指す機内から、こわごわと下をのぞいてみた。海岸線が見たかったのだ。

 普段は、陸地の果てに海が存在している(ような気になっている)。空から見たら、どうなのか。それを確認したかった。やはり、間違った感覚であることがはっきりした。陸地は、たまたま海が少し下がったことによって顔を出しているにすぎない。ほんの少し、海に遠慮を願っているというわけだ。ごくごく狭い陸地で、わがもの顔にふるまう人間。その一人であることに恥ずかしさを覚える。

 札幌行きの目的は、出前講演会「大震災・原発とメディア」で話をさせてもらうためだった。約100人の会場に190人近くが集まり、何人もの立ち見が出た。『週刊金曜日』読者会主催の出前講演会は、どこも盛況だ。それだけ原発事故への関心が高いのだろう。

 北海道には泊原発がある。1号機は定期検査中、2号機は営業運転中、3号機は試験運転中のはずなのにフル活動という。北海道電力はこの3号機でプルサーマル計画を立て、推し進めている。正気の沙汰ではない。原子力安全・保安院は5月17日、道庁で、道と地元4市町村を対象に説明会を開いた。その場で保安院職員はこう説明したという。

「30年以内に震度6強以上の地震が発生する確率は浜岡原発の84%に対し、泊原発は0.4%。大地震の発生する確率は非常に小さく、原子炉の運転継続は安全上支障がない」

 保安院がもとにしたデータは、地震調査研究推進本部が1月1日を算定基準日とした出したものだ。それによると、福島第1原発の確率は「0.0%」だった。「0.4%」のどこが安全というのか。
 
 ことここにいたって、まだ原発を推進するなど、愚かの極みだ。原子力安全委員会の斑目春樹委員長は、福島第1原発1号機への海水注入をめぐり「再臨界の可能性はゼロではない」と発言した件に関し、国会の場で「事実上、ゼロだという意味だ」と説明した。「ゼロ」の意味がまったくわかっていないらしい。前回も述べたように、原発はおよそ制御のできない技術である。そこは飛行機とは違う。結局、原発はデタラメな人間にしか扱えない代物なのだろう。(2011/5/27)

[この国のゆくえ10…浜岡原発の稼働停止が示す潮目の変化]

<北村肇の「多角多面」(29)>

 浜岡原発全基の稼働が、とりあえず止まる。薫風とともに、微妙に潮目が変わったのかなと思う。

 菅直人首相が「浜岡原発全炉停止」表明をした翌日の7日、『読売新聞』社説にこんな一節があった。

「東日本大震災での教訓を生かそうということだろう。東京電力福島第一原発が、想定外の大津波に襲われ、大事故を起こしたことを踏まえれば、やむを得ない」

「運転中に事故を起こし放射性物質が放出される事態になれば、日本全体がマヒしかねない。静岡県や周辺自治体も、早急な安全性の向上を求めていた。中部電力は首相の要請を受け入れるべきだ」

 たまたまこの日は、名古屋で「震災・原発報道」について講演することになっていた。当然、浜岡原発についても触れるので、各新聞の朝刊を買い込んで新幹線に乗り、そこで上述の記事を読んだ。驚いた。おそらく『読売』は、「地元の了解も得ず、首相には停止命令の法的権限もない。政治的パフォーマンスだ」という論調になると踏んでいたからだ。

 原発を日本に持ち込んだ中心人物が正力松太郎氏であることは有名だ。正力氏は『読売新聞』の社主であり、初代の原子力委員会委員長でもある。『読売』が一貫して、原発容認の立場をとってきたのも肯ける。それだけに、かなり異例の社説と言ってもいいだろう。

 もちろん、額面通りに受け取るわけにはいかない。社説の最後は「政府と、電力会社の作業が遅れれば、浜岡原発に限らず各地で原発停止が広がるかもしれない。そうならないよう、政府と電力会社は、対応を急がねばならない」と締めくくられている。つまり、「浜岡は当面、人身御供にするが、原発推進路線を変えてはだめ」ということだ。実際、菅首相はその後、「他の原発は安全」と強調し始めている。

 だが、それでも潮目は変わりつつある。一旦、止めてしまえば、そうそう簡単に再開はできない。全国各地での「原発廃炉運動」に勢いもつく。『読売』が浜岡を見捨てざるをえなかったのも、それなりに追い込まれたからだ。もはや、正力氏や中曽根康弘氏が米国と二人三脚で進めてきた原発路線は、過去の遺物なのだ。多くの市民が覚醒し立ち上がりつつあるこの国に、新しい芽が出つつある。(2011/5/13)

[この国のゆくえ3…未曾有の危機を前に指揮者がだれかわからない]

<北村肇の「多角多面」(22)>

 東日本大震災で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

 天災は避けようがない。だが、人災は人間の知恵や努力で防ぐことができる。福島原発事故は、「政災」であり「官災」であり「業災」だ。政府も官僚も財界も、原発に対しあらゆる面で甘すぎた。未曾有の大震災によってそれが露呈した。政府や東京電力のしどろもどろの会見を聞きながら、「まだ何か隠蔽する気か」と、わきおこる怒りを抑えられない。

 ただ、この場で政府や東京電力の批判を展開する気はない。重要なのは、「これからどうするのか」だ。菅直人首相にまず頼みたいのは、「指揮命令系統の確立」「情報の一元化と整理」である。いまのところ、誰が指揮者なのかさっぱりわからない。最高責任者が首相なのは当然だ。しかし、それだけではどうしようもない。たとえば、「原発事故に関しては枝野幸男官房長官、救援体制は○○大臣、電力不足問題は△△大臣が責任者」などと明確にし、その人たちが明瞭な言葉で逐次、会見するだけでもかなり違う。

 責任者の明確化にもつながるが、情報発信がひどすぎる。整理も一元化もされていない。突発的な事案の会見とは別に、最低限、「現在、わかっていること」「わからないこと」「実施している対策」「実施を検討している対策」などの枠組みを決め、その中に必要な情報をあてはめ、1時間ごとに提供するくらいのことができないものか。

 民主党の岡田克也幹事長にも望みたい。与党責任者として、野党との連携に向け市民にわかる形で動いてほしい。阪神大震災など過去の大災害に関わった自民党議員はたくさんいる。その人たちの知恵も借りるべきだ。もちろん、野党も当面は「政争」を棚上げにしなくてはならない。国会を挙げて取り組んでいるという姿勢をはっきりと見せることが、市民の安心感につながるはずだ。

 歴史的な大地震により浮き彫りになったことが、もうひとつある。この国では、さまざまな意味で“のりしろ”が失せていたという現実だ。災害をある程度、吸収できるだけの余裕がない。「自然を破壊したことによるつけ」に限らない。心の面でも同様だ。阪神大震災のときも、被災地の方だけではなく、多くの市民が軽いうつ状態になったような日々がしばらく続いた。当時より“のりしろ”のない「いま」はさらに深刻だ。

 考えようによっては、これだけの危機的状況を超えられるかどうかで、この国のゆくえが見えてくるのだろう。(2011/3/18)