きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

[この国のゆくえ21……ノルウェー・テロ事件と秋葉原事件を結ぶ線]

<北村肇の「多角多面」(40)>
 ノルウェー連続テロ事件のアンネシュ・ブレイビク容疑者。秋葉原事件の加藤智大被告。二人の間にはどのくらいの距離があるのか。手の届くところか、はるかに離れているのか。考え出すと、息苦しくなる。本当は考えたくない。しかし、考えなくてはならない。

 報道によれば、ブレイビク容疑者は右翼・反イスラム思想に傾倒していたと言われる。ビデオ声明では「多様性よりも単一性を」と訴えていた。政府の移民受け入れ策に不満をもっていたようだ。事件当時、ウトヤ島では与党・労働党支持の若者が集まっていた。そこに銃弾を撃ち込んだブレイビク容疑者は、「残虐だが必要だと思った」と弁護士に語ったという。まさに確信犯である。

 一方、加藤被告の「動機」については、裁判が進むにつれ、「承認欲求」が大きな意味を持つことが明らかになってきた。事件を起こすことによって自己の存在を他者に刻み込みたいという強い思い。政治的な犯行ではない。

 では、何が共通項なのか。年齢はブレイビク容疑者が32歳。加藤被告が28歳。同年代とみてもおかしくはない。だが、年代論でくくるには両国の事情が違うし、何よりも情報が少ない。私が引っかかるのは「無差別殺戮」という点だ。

 ブレイビク容疑者の場合は「無差別」ではないとの反論もあるだろう。確かに、狙われたのは「与党」であり、「与党支持者」だ。しかし、たとえばストレテンベルグ首相をターゲットにしたテロではない。同容疑者は、爆弾テロと銃乱射によって死亡した被害者の名前をだれひとり知らないだろう。その意味では「誰でもよかった」のだ。加藤被告の標的は「人混みにあふれる秋葉原」だった。そして、彼もまた殺害対象は「誰でもよかった」。

 いまの社会は、「名前」を失った、あるいは奪われた人々であふれ返っている。一部の政治家や経済人、いろいろな意味でのタレント以外は、名前をもっているようでもっていない。「勝ち組」以外は、「その他大勢」の枠に押し込められているのだ。

 もし、すべての人に「名前」があれば、「無差別大量殺人」は起きにくいのではないか。いかなる政治犯も自暴自棄になった人間も、実存する「名前」を前に命の重みを感じ、たじろぐはずだからだ。ブレイビク容疑者と加藤被告の距離は、意外に近いというのが私の結論だ。「勝ち組」に対する憤りや憤懣が、同じ「その他大勢」に向かう。二人はともに、この悲劇の、加害者であり被害者である気がしてならない。(2011/7/29)

[この国のゆくえ20……福島の子どもたちを救えなければ、この国に未来はない]

〈北村肇の多角多面(39)〉

 福島県の小さな子どもを持つ女性がこんな話をしていた。

「子どもたちは福島出身ということを隠しながら生きるしかないのかもしれません。結婚にも支障が出るでしょう」

 チェルノブイリ事故の後、障がい児・者は一層の差別に襲われた。「放射性物質の影響で障がい児が生まれる」といった、人間に対する愛もデリカシーもない報道が平然と垂れ流されたのだ。なぜ、いつも「弱い者」が犠牲にならなくてはならないのか。冒頭の「お母さん」の話を聞きながら、“原子力村の住民”に対する怒りが改めて沸き上がってきた。

 ある出来事を思い出す。

 その中学校は合唱がうまいと評判だった。地域の合唱コンクールを間近にした日、A子さんのお母さんが担任に呼ばれた。「お子さんをコンクールの日に休ませてくれませんか」。A子さんはダウン症だった。言葉は話せない。歌は歌えない。でも音楽は好きで、ピアノが鳴ると、笑いながら手をたたいたりリズムをとったりする。コンクールに出れば“足を引っ張る”と考えた担任が自主休校を頼んだのだ。

 お母さんは泣きながら了承した。普通学級に入れる運動を長年、続け、ようやく実現したばかりだ。学校とのトラブルはなるべく避けたかった。

 クラスメートがこの話を知ることになった。ある日、みんなは職員室に行き、担任に迫った。「A子さんをコンクールに出して。いままで一緒に練習してきたのだから」。子どもたちの熱意に担任は折れた。A子さんは級友と一緒にコンクールに参加、楽しそうに手をたたき、体を揺すっていたという。

 差別構造をつくるのはいつも大人だ。子どもたちは翻弄され、悩む。それでも、子どもたちは、友だちを包み込む愛情を心一杯に持っている。

 市民団体が、福島市内に住む子ども10人の尿をフランスの検査機関に送り調べたところ、全員から放射性セシウムが検出された。内部被曝の危険性が現実のものとなっている。しかし、文部科学省はこの問題に対する危機感が薄い。これ以上、小さい魂を踏みつけたり、ないがしろにすることがあったら、この国に未来はない。(2011/7/22)

警視庁の天下り問題3   元警視庁生活安全部長の正直すぎる話

風適法違反の疑いのある東京都のパチンコ景品流通システムにはたして警視庁は関与したのか、しないのか。

 
業界にずっぽりとはまっている警察OBは関与していると証言し、警視庁はよくわからないと逃げている。一体どっちなの?

 
暴力団排除のためにこのシステムを導入したはずだが、業界内部からも訴訟が起きるなど疑問の声が広がり始めている。そして、今年になってからこれを『週刊金曜日』という警察をよく批判している、よくわからない雑誌までが調べているというおだやかではない事態になっていた。

 そのような状況で、天下り警察OBを援護射撃する有力な”相棒”が問屋たちを相手に話しをすることになった。

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警視庁の天下り問題2 警視庁管内の金地金賞品が風適法違反の疑い

 

 遊技場と買場と景品問屋

一般のパチンコ遊技者は都道府県レベルでホールを中心としたパチンコという世界をのぞいている。その世界は遊技場(パチンコ店)、買場、景品問屋の三者から成り立っている。

    
 一つは、つまりパチンコ遊技場である。

お客さんは、ここで1玉4円や1円で買い(といってもだいたい1000円単位であるが)、遊ぶ。出玉は持ち帰ることは許されず、金地金などに交換するか端玉はチョコレートなどの景品に交換されている。

   
 二つめは、パチンコの換金景品を交換する買場である。

お客さんは、遊んで増えた球をホールで金景品や特殊景品に交換するが、この目的は換金である。買場は、金景品などを現金で買い取る。東京では金景品は0・3グラムが1500円、1グラムが3500円、4000円、5000円と異なる値段で交換されている(写真参照)。 (さらに…)

警視庁の天下り問題1 暴力団排除運動

2011年3月4日号に続き、5月27日号の『週刊金曜日』ニュース欄「アンテナ」で、パチンコ問屋業界と警視庁OBの天下りについて2回目の短い記事を書いたが、その後日談があるので、報告しよう。

まずはリテラシーを上げる解説に少々お付き合いをお願いしたい。 (さらに…)

この国のゆくえ19……へそ曲がりは「クールビズ」の裏を考える

<北村肇の「多角多面」(38)>

 暑い。とにかく暑い。でも「スーツ・ネクタイ」をやめる気はない。猫も杓子も、クールビズ、クールビズで気持ち悪い。しっかり冷房がきいている国会内で、議員はドレスシャツを着ている。しかも似合わない。何か変だ。

 NGOの集まりで、時々、「スーツにネクタイ姿って、官僚か右翼か保守か」と揶揄される。いまどき、官僚も右翼もノーネクタイが主流だし、「保守派はネクタイ」などと凝り固まって考えるほうが、よほど保守的のように思う。

 新聞社の社会部時代、セーターにジャケット姿で出社すると、上司から「ネクタイをしろ」としつこく言われた。こうなると何が何でもスーツは着ない。しばらくやりあっていたとき、たまたま大きな事故が続いた。さすがに遺族取材にはスーツ・ネクタイが欠かせない。いざそうなると、安上がりだし便利だし、すっかり気に入ってしまった。

 時は経ち、いつしか仲間内から「『革新』を唱えるなら、資本家に首を絞められるようなネクタイはとれ」と言われることに。「関係ない」と相手にしていなかったら、突如、クールビズブームがふってわいてきた。小泉純一郎首相(元)が音頭をとるにいたっては、ますます「クールビズなどくそ食らえ」となったのは言うまでもない。

 特に福島原発事故が起きた今年は、クールビズ路線に乗らないのは「非国民」といった雰囲気だ。計画停電の脅しに乗った面も否めない。冗談ではない。だれがネクタイを外すものか――。と、いきがってみても、学生時代は「ネクタイ廃止法をつくれ」とわめいたこともある。要はへそ曲がりのなせるわざ。それは自分が一番、わかっている。

 ただ、大きなうねりが生じたとき、無自覚に流されることは避けたい。一見、本質とはかけ離れたことのようにみえて、実は深い意味を内包していることもある。「3.11」直後、政治家や官僚は作業服で会見に応じた。冷静に考えれば、何の意味もない。だが、統治権力側には意味がある。戦争時に軍服を着ることと同種だ。「緊急時には挙国一致が重要。国民は国家の指示に従ってほしい」との意思表示である。

 電力不足が政治問題になると、作業服は一斉にクールビズのドレスシャツへと変わった。へそ曲がりの私は、ここにもまた「挙国一致」の思惑があるのではないかと疑心暗鬼に陥るのだ。さらには、皇室のたび重なる被災地訪問との関連もついつい考える。考えていくうちに、ひんやりしてくる。これぞ猛暑の乗り切り策か。(2011/7/15)

金曜俳句への投句一覧(7月22日号掲載=6月末締切、兼題「冷房」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』7月22日号に掲載します。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

amazonhttp://www.amazon.co.jp/)でも購入できるようになりました。予約もできます。
「週刊金曜日」で検索してください。配送料は無料です。

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金曜俳句への投句一覧(7月22日号掲載=6月末締切、兼題「茄子の花」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』7月22日号に掲載します。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

amazonhttp://www.amazon.co.jp/)でも購入できるようになりました。予約もできます。
「週刊金曜日」で検索してください。配送料は無料です。

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「櫂未知子の金曜俳句」7月末締切の投句募集について

『週刊金曜日』2011年8月26日号掲載の俳句を募集しています。
【兼題】「海の家」もしくは「蜘蛛(くも)」(雑詠は募集しません)
【締切】 2011年8月1日(月)必着(7月31日が日曜のため1日延ばします)
【投句数】1人計10句まで何句でも可
※特選に選ばれた句の作者には、櫂未知子さんの著書をお贈りします。 

【投句方法】官製はがきか電子メール
(氏名、俳号、電話番号を明記)

【投句先】
郵送は〒101-0061 東京都千代田区三崎町3-1-5
神田三崎町ビル6階 『週刊金曜日』金曜俳句係宛。

電子メールはhenshubu@kinyobi.co.jp
(タイトルに「金曜俳句投句」を明記してください)

【その他】新仮名づかいでも旧仮名づかいでも結構ですが、一句のなかで混在させないでください。
なお、添削して掲載する場合があります。

この国のゆくえ18……スーパーマンは存在する。それを信じることが大切だ

<北村肇の「多角多面」(37)>

 月にウサギがいるように、スーパーマンもどこかに存在していると信じていた。いつから、その確信が揺らいだのか、うまく思い出せない。20代後半か、40歳を過ぎてからか。こう書くと、「ネジが弛んでいるのでは」と思われるかもしれない。若干、つけ加えると、「スーパーマンはいると信じる」ことの大切さを、いつ、どこに置き忘れてきたのか、それが問題なのだ。

 若手作家では一番人気の伊坂幸太郎の作品を、実は読んだことがなかった。たまたま「群像」7月号をぱらぱらとめくっていたらスーパーマンをモチーフにした作品に出会った。伊坂の「超人」だった。これがメチャクチャ面白い。面白いばかりではなく、「社会に吹いている風」や「人間存在の探求」という、作家にとって最大であり、かつ不可避の仕事をきちんと踏まえている。あわてて、何冊か購入し読みふけった。

 筋立ての巧妙さや洗練された言葉の操り方に人気の秘密を発見し、これまで気にはなりながらも近づかなかった不明を恥じた。とともに、この若さ(1971年生まれ)で、人間のどうしようもない愚かさを描ききる技量に脱帽した。現代社会に生きる者が多かれ少なかれ抱える闇を、それはつまり、得体のしれない不安が漆黒の世界で手招きしているような闇を、あっけらかんとスポットライトの中に浮かび上がらせる。闇に灯りをあててその存在を知らしめるという芸当は、そうたやすくできることではない。たとえば、ぱっと思いつくのは松本清張とか高村薫くらいだ。

 伊坂ワールドにはまた、闇を照らす存在としてのスーパーマンがいろいろな形で登場する。かなり深刻でときには凄惨なテーマを扱いつつも、どことなく「希望」を感じさせるのは、「正義の味方」の存在によるところが大きい。

「3.11」以降、「命をかけて働く」人々がメディアにたびたび登場する。自衛隊員、「フクシマ50」などなど。これこそ「大和魂」という称賛の声もある。これまでも何度か触れたが、必死に働いている現場の方々には深い感謝とともに感動を覚えている。しかし、彼ら、彼女らだけがスーパーマンであるわけではない。「大和魂」は日本人の専売特許でもない。

 スーパーマンの資質は、人間であるなら誰でも等しく持っている。「正義の味方」は特殊な人ではない。私たちは例外なく、心の中にスーパーマンを宿しているのだ。いま必要なのは、そのことを思いだし、信じることだ。(2011/7/8)