きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

大逆事件100年で、いま考える「国家の欲望」

<北村肇の「多角多面」(15)>

 幸徳秋水ら11人がでっちあげの「明治天皇暗殺計画」により処刑されたのは、100年前の1911年1月24日。翌日、管野スガ(須賀子)も死刑台の露と消えた。大日本帝国憲法下では、大逆罪の裁判は非公開が原則。だが、幸徳秋水ら26人に判決(24人に死刑、2人に有期刑)がおりた同月18日の公判は公開だった。桂太郎内閣にはみせしめの意図があったのだろう。本誌今週号から始まった連載「残夢  大逆事件を生き抜いた男 坂本清馬の一生」で、著者の鎌田慧さんもそう指摘している。

 この1世紀前の事件が語りかけてくるものは何か。私は、「国家の欲望」と「個人の欲望」がシンクロしたときのおぞましさを強烈に感じる。明治維新後、日本は異常な速度で帝国主義国家の仲間入りを目指す。そのために欠かせない「戦争」と「侵略」を遂行するには強圧的な国民統合が不可欠。時の政府は「天皇制」を不可侵とすることで、「反国家主義」勢力を弾圧した。まさに「国家の欲望」のもとで、市民の人権や自由を踏みにじったのだ。

 しかし、現実に政策を推し進めるのは「個人」である。その「個人の欲望」は「国家の欲望を実現する」ことで充足する。カネや地位、名誉が中心になるのは言うまでもない。歴史は単純に繰り返さないが、こうした「国家の欲望」と「個人の欲望」のシンクロはいつでも起こりうる。本質的には大逆事件と同様の国家犯罪が絶えることはないのだ。

 さて、2011年のいま、国家が不可侵としているのは「日米同盟」である。米国との連帯を損なうことは、一種の不敬罪なのだ。そう考えれば、鳩山由紀夫首相の退陣も、小沢一郎氏の失脚も背景がぼんやり浮かんでくる。強引すぎることは承知の上だが、私には形を変えた大逆事件に見えてしまう。

 ただし、100年前と決定的に異なるのは、明治時代の「国家」は大日本帝国であり、21世紀の「国家」は米国属国の日本ということだ。つまり、「国家の欲望」とは「米国の欲望」にほかならない。米国に尽くすことで「日本としての国家の欲望」を充足するという二重構造になっているのだ。当然、政治家、官僚、財界人の「個人の欲望」も複雑に歪んでいる。ただ、こちらはつまるところ「カネ、地位、名誉」に行き着く。
 
 そして、一向に変わらないのがマスコミだ。「小沢報道」も「普天間基地報道」も大逆事件報道に通底する。「権力の意向を忖度する」姿勢が垣間見られるからだ。大逆事件判決後、法廷では多くの被告が「無政府党万歳」と叫んだ。『朝日新聞』は翌日の紙面で、「何処までも不謹慎な彼等かな」と報じたという。(2011/1/28)

「新聞」の可能性を示した新聞労連大賞受賞作

<北村肇の「多角多面」(14)>

 2011年1月、「希望の見える」と形容したい出来事があった。タイガーマスクの話題ではない。新聞労連大賞の受賞作が、堕落の一途だった「新聞」に明るい灯をともしたのだ。同賞は「平和・民主主義の確立、言論・報道の自由などに貢献した記事・企画・キャンペーン」を表彰するもので、今回が15回目。私も審査員の末席を汚している。

 正直、ここ数年は応募作が減り、内容もいまひとつだった。だが、今回は違った。約20点の応募作はどれも力作で選考に苦慮した。特に大賞を獲得した二つの企画は、「新聞」の底力と可能性をくっきりと示した。

▼「大阪地検特捜部の主任検事による押収資料改ざん事件」(朝日新聞)
▼「普天間飛行場問題の本質に迫る報道」(高知新聞・琉球新報)

 前者は説明の必要がないだろう。「権力の監視・批判」という、ジャーナリズム本来の使命を忘れているのではないかと指弾され続けてきた全国紙が、久々に放ったホームランだ。隠蔽された事実を発掘し報道し、そのことにより社会正義の実現に寄与する――まさに真のスクープである。

 後者は企画自体が画期的だ。高知新聞は「本紙加盟の通信社をはじめとする在京メディアの報道は、基地問題の本質的な議論を喚起するようなものではなく、移設問題がらみの政局報道が中心で違和感をもっていた」という。そして、「沖縄の視点で基地問題を考えるため」に琉球新報に関連記事転載の協力を依頼、8月から11月にかけ12回の記事提供を受け、紙面化した。もちろん、高知新聞独自の記事も掲載している。

 また、惜しくも大賞は逸したが優秀賞になった「安保改定50年~米軍基地の現場から」は神奈川新聞、沖縄タイムズ、長崎新聞の3紙が、それぞれの県が抱える基地問題をルポ、各紙面で掲載したものだ。高知の取り組みも3紙の提携も、全国紙では考えられない記事のつくりかたであり、地方紙ならではの成果である。

 全国紙が統治権力の批判をし、地方紙は連携をとりつつ「地方の全国ニュース」を展開する。これこそ、劣化の進む「新聞」が生き残るための一つの道と確信する(拙著『新聞新生』(現代人文社)参照)。

 むろん、『週刊金曜日』は2011年、さらに輝きます。(2011/1/21)

「櫂未知子の金曜俳句」2月末締切の投句募集について

『週刊金曜日』2011年3月25日号掲載の俳句を募集しています。
【兼題】 「猫の恋」もしくは「草餅、鶯餅」(雑詠は募集しません)
【締切】 2011年2月28日(月)必着
【投句数】1人計10句まで何句でも可
※特選に選ばれた句の作者には、櫂未知子さんの著書をお贈りします
 

【投句方法】官製はがきか電子メール
(氏名、俳号、電話番号を明記)

【投句先】
郵送は〒101-0061 東京都千代田区三崎町3-1-5
神田三崎町ビル6階 『週刊金曜日』金曜俳句係宛。

電子メールはhenshubu@kinyobi.co.jp
(タイトルに「金曜俳句投句」を明記してください)

【その他】新仮名づかいでも旧仮名づかいでも結構ですが、一句のなかで混在させないでください。
なお、添削して掲載する場合があります。

「櫂未知子の金曜俳句」1月末締切の投句募集について

『週刊金曜日』2011年2月25日号掲載の俳句を募集しています。
【兼題】 「入学試験、入試」もしくは「梅」(雑詠は募集しません)
【締切】 2011年1月31日(月)必着
【投句数】1人計10句まで何句でも可
※特選に選ばれた句の作者には、櫂未知子さんの著書をお贈りします
 

(さらに…)

金曜俳句への投句一覧(12月末締切、兼題「年忘(としわすれ)・忘年会」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』1月28日号に掲載します。
掲載が遅くなったことを申し訳なく思います。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

amazonhttp://www.amazon.co.jp/)でも購入できるようになりました。予約もできます。
「週刊金曜日」で検索してください。配送料は無料です。

(さらに…)

金曜俳句への投句一覧(12月末締切、兼題「湯たんぽ」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』1月28日号に掲載します。
掲載が遅くなったことを申し訳なく思います。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

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「週刊金曜日」で検索してください。配送料は無料です。

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2011年、私たちはどこにいて、どこに向かおうとしているのか

<北村肇の「多角多面」(13)>

 いま私たちはどんな世界にいて、どこへ向かおうとしているのだろう。年が明けると、嫌も応もなく、そんなことを考えてしまう。

 サラエボ生まれの映画監督、ヤスミラ・ジュバニッチさんの新作『サラエボ、希望の街角』が間もなくロードショーにかかる。宗教の違いに翻弄される恋人を描いた秀作だ。作品についてインタビューに答えた彼女の言葉に、強い印象を受けた。

「(ボスニア紛争後)イスラム原理主義に転向していった理由はそれぞれ異なります。崩壊していく世界での感覚と確実性の探究、容認の要求、アイデンティティの探求、精神安定の探求など……」

 1992年に始まり95年にとりあえず収束したボスニア紛争は、旧ユーゴスラヴィアの人々に癒しがたい傷を負わせた。そのトラウマから脱することのできない人たちが、「自分」を見失ったり、イスラム原理主義に走るのは避けがたいことなのだろう。

 だが、ジュバニッチ監督の言葉が現代日本の若者にも通じていることは、どう捉えたらいいのか。曲がりなりにも日本は、1945年以降、戦火にまみえてはいない。「平和ぼけ」という言葉さえ生まれるほどである。なのに、「崩壊していく世界での感覚と確実性の探究、容認の要求、アイデンティティの探求、精神安定の探求」はそのまま、この国の多くの若者にあてはまる。

 いま私たちのいる世界は、実は「静かな戦争」下にあるのではないか。そこでは銃弾が飛び交うわけでも、「民族浄化」が行なわれているわけでもない。しかし、人々は何かに脅え、不安の日々を送っている。すべてが不安定で、目指すべきこともわからず、自らの存在感は希薄になる一方。まさしく「平和」とは真逆の社会である。しかも、「敵」の姿が見えない。このことがさらに恐怖感をあおる。

 では、この先、私たちはどこに向かうのか。結局、それは私たちの意志にかかっている。「真の平和」を実現するという意志さえあれば、安定、安心、安全の世界を創造することは不可能ではない。そのためにはまず、自らの内面も含め、「静かな戦争」の実態を明らかにしなくてはならない。年明け早々、こうした難問を解く一つのきっかけがあった。「タイガーマスクのプレゼント」だ。人は人のことを考え、人のために生きてこそ安定を得られる。そう確信しつつ、改めて利己心と向き合った新春。(2011/1/14)