きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

「偽」の国

シジフォスの希望(8)

 2007年を表す漢字は「偽」であるという。衣食住ことごとく偽装まみれの国にあっては、さもありなん。「段ボール肉まん」を驚けない惨状を晒した。しかし、この国の偽装の最たるものの一つは、やはり「政治」だろう。

 一国の首相をはじめとする事務所費をめぐる偽装が次々と問題化したが、日本政府の主要構成員である自由民主党と公明党それに行政官庁が、この一年これでもかと繰り出した偽装の数々は、年金から防衛利権、戦争支援に至るまでいちいち挙げたらきりがない。テレビ番組の偽装が一時期騒がれたが、「大連立」に暗躍する「権力すり寄り・一体型」の偽装メディアの存在は、この国の偽装政治をより醜悪に見せる役割を見事に果たしている。

 ビラを配布するという、いまこのときも日本全国および世界の多くの場所でごく普通に行なわれている市民的・社会的自由に根ざした表現活動を「有罪」とする偽装的な判決を出す裁判所や、誤認逮捕をしてその人の人生をめちゃめちゃにする警察・司法権力の存在もまた、偽装国家をより強固なものにしている。

 そもそも敗戦直後から戦争責任の偽装や憲法9条の偽装に着手してきたこの国にあっては、もはや何が本当で何が嘘なのかの境界線が事実上存在しなくなっているのではないか。過去の侵略戦争をめぐる歴史的事実が「歴史認識」などというどうともとれる解釈の領域で論じられるとき、すでに偽装は成立している。

 さらにいえば、この国の成り立ちからしても、万世一系だとか単一民族だとか、神話や伝説の類としてなら聞き流せるものを、すでにそこに偽装の匂いが漂う。それを「伝統」と称して、そうした国を「愛する心」を持たせるのだという。その実践として「日の丸・君が代」を強制する。個人の自由意志と考える力を根こそぎ収奪する行為ではないか。これを偽装教育と言わずして何と言おう。

 こうしてみれば、菓子やコロッケの偽装などせいぜい小悪である。この国の政治・司法・行政こそが偽装の本丸であり、欺きの大悪なのだ。(片岡 伸行)

                                                            (2007年12月27日)