きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

パンセ懇談会

シジフォスの希望(9)

 今回はたぶんに個人的な事柄を書く。
 「ショスタコ(ドミートリィ・ショスタコーヴィチ、1906~1975年)が好きです」と言うと、「めったにいません。よっ、少数派!」などとからかわれる。ややかじっている人は「20世紀を代表する交響曲を残しましたが、ソ連時代のプロパガンダ作曲家ですよね」などと上目遣いをして、こちらの反応を確かめたりする。そのへんの事情に詳しくない私は「ああ、そうですか」とだけ応える。

 芸術家や哲学者が一個人として時の政治にどう反応していたかは興味深い。「存在論」で知られるマルティン・ハイデッガー(1889~1976年)がナチス党に入党していたことは有名だ(が、突撃隊を粛清した「長いナイフの夜事件:1934年」でヒトラーに幻滅)。だからといって、彼のいう「存在的」と「存在論的」という認識方法は取るに足らないかというと、そうではない。思想と創造性は、時代の影響と制約を受けながらも、それによってまた鍛えられ、ある種の普遍性を獲得していく。

 というようなことを、酒を飲みながらとりとめもなく語り合うごく少数による地下組織のような会合を不定期に持っている。仮称・パンセ(思想)懇談会。メンバーを明かすわけにはいかないが、そんなもったいぶるほどの内実を持った会合でないことは、その集まりが別名「飲み会」と呼ばれていることからも説明不要だろう。要するに、テーマを決めながら言いたいことを言う場である。

 前回は、ハイデッガーと恋愛関係にあったというハンナ・アーレント(1906~1975年)がテーマだった(偶然にもショスタコと生没年が同じだ)。参加者の一人である現役大学院生は、アーレントのいう「観照的生活」と「活動的生活」について熱弁をふるった。が、残念ながらその内容をもう誰も憶えていない。次回のテーマの候補に、「知と権力」をめぐる考察を深めたミシェル・フーコー(1926~1984年)の名が挙がった。しかし、私は気乗りしていない(津田塾大学准教授の萱野稔人さんがゲスト参加してくれれば面白いかもしれないが……)。私は、小説『血と骨』で知られる梁石日がいいと思うのだ。

 ここまで読み進んだ方の中には、「なんだ、『週刊金曜日』の連載小説『めぐりくる春』の宣伝じゃないか」と鋭い反応を示す人もおられるだろう。そのとおりだが、それだけではない。梁石日の『夏の炎』を読むと、前述した「時の政治にどう反応していたか」を考えさせられる。また、梁石日原作の『闇の子供たち』が映画化され、08年夏に公開されるという。これも注目だ。さらに、あまり知られていない梁石日の詩集『夢魔の彼方へ』。アルチュール・ランボー(1854~1891年)の影響が見て取れるこの初期作の中に、梁石日の原石が詰まっている。

 ちなみに、この一文は交響曲とは一味違う『ジャズ組曲』を聴きながら書いた。冒頭のショスタコ、1934年の作品だ。梁石日の生まれる2年前の作品である。物哀しい場末のダンス音楽のようなこの小品を、私はこよなく愛している。 (片岡 伸行)
                                                            (2008年1月19日)