きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

司法の秘密主義ってひどくなってないか

検察が政策と一体化して事件を作り上げる国策捜査という言葉が派手に踊っている。だが、現場では検察、警察によって地味に、しかし、膨大な数の人権侵害が行なわれ、その事実が漏れないように、ときには尾行までついて監視され、闇に葬られている。

東京地方裁判所に行くと、裁判の傍聴をしている学生や趣味の人がうろうろしている。
最近は傍聴記も売れているようだし、webでもその手の書き込みが多い。
彼ら彼女らは、傍聴してつまらなそうだとすぐ法廷を退出するし、きょろきょろしているからすぐわかる。日本国憲法上の権利であるから、思う存分享受するべきだ。

だが、特定の裁判を深く知りたければ、基礎的な資料として訴訟記録を読みこむ必要がある(実際の取材では、担当弁護士や当事者に資料をもらうことが多いが、協力を見込めない場合や取材している記者が見つからない場合は、赤裸々に記録されている裁判資料はとりわけ貴重な資料になる)。

東京地方裁判所における民事裁判の訴訟記録は、民事記録係閲覧室に行けば、原則、誰でも閲覧できる。ただし、当事者だろうが第三者だろうが閲覧者は名前や住所を明らかにしなければならないこともあるし、有料なので、冷やかしは辞めた方がいいだろう。

一方、刑事裁判ならば東京地方検察庁(東京地検)の記録課を通じて閲覧できることが建前である。建前というのは公開原則とその例外が逆転している状況だからである。

刑事事件の訴訟記録や保管記録の閲覧の関連法規は、刑事訴訟法53条や刑事確定訴訟記録法第4条などがある。これらの条文を頭にいれておかないと、記録課の保管検察官に嫌みを言われることもある。さらに言えば、犯罪被害者等の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律もあり、現在進行中の裁判は公判終結前まで閲覧や謄写に関する制限が設けられている。

とはいえ、臆することはない。以上の法律を素直に解釈すれば、一般に公開されて終結した裁判ならば、何人も記録を閲覧できるはずだからだ。

しかし、東京地検の現場レベルでの解釈運用は異なるようだ。

先日のこと。およそ1年前に控訴が棄却されて判決が確定しているある殺人事件の訴訟記録の内容を知る必要に迫られ、東京地検に電話した。
「○年○月○日に判決が確定した○○の事件を閲覧したいのですが、どのようにしたらよろしいでしょうか」

すると、記録課は少し調べてから、次のような理由で断ってきた。
「2つの理由で閲覧は難しいです。この事件は重要事件なので今も検察官が裁判記録は整理中です。だから、今見ることはできません。さらに、マスコミの方には、閲覧は厳しいです。報道されたりいろいろあるでしょう。正当な理由がなければお見せできません」

「判決が1年以上も経ち、まだ整理中なんですか。3年経てば非公開になることもあるし、5年経てば証拠も破棄される可能性があるのに、まだ整理中なんですか?」

「はい。証拠がいろいろありますから」

「それに、正当な理由がないと見せられないというのは、刑事訴訟法35条1項、2項と刑事確定訴訟記録法4条1項の拡大解釈じゃないですか」

「いいえ。正当な理由がなければ閲覧できないことになっています。ともかく今は整理中ですから1カ月後にでも電話してください。それでも整理していればまたその一ヶ月後に」

ようするに東京地検は、まったく閲覧させる気がないのである。
根拠不明の解釈をしてまでもである。だから、ここに記録を残しておくことにした。

ちなみに私が閲覧を求めた裁判は期日間手続きを採用され、拙速に公判が終結した事件である。東京地検は、このまま閲覧拒否を続けて、永田町に出入りする人間も登場するこの殺人事件を闇に封じ込めようという憶測すらしてしまう。
検察とすれば、公開の場である裁判やマスコミ対策を乗り切ればあとは密室でいかにようにも処理できると考えていることだろう。私だって、自分が事件をコントロールしたければそうする。

これまでもメディアスクラムだ、報道被害だと、犯罪被害者やその関係者に関する情報漏洩は社会問題化してきた。犯罪被害者を保護する法制度が遅れてきたことは事実である。しかし、一部の検察・警察はそれを追い風にマスコミ対策をすすめてきたフシもある。最近の検察・警察は講談社の『僕はパパを殺すことに決めた』などの問題もあって、情報非公開を正当化するには追い風なのだろう(注)。
さらに裁判の迅速化を進める公判前整理手続きや期日間整理手続きも導入された。だがこれらはは裁判公開原則の例外を増産することなり、はては記録閲覧制限の推進にもつながる。蛇足だが、裁判員制度も司法の責任を民間におしつけることになりはしないかと懸念している。

別にマスコミは正義の味方だから情報を公開しろとは言わないし、思いもしない。
しかし、一方で検察も世間にばれなければいいと考えて勘違いの正義を押しつけないでもらいたい。たとえば、一般人には知られないと思っているのかもしれないが、検察官の裁量で行なわれる司法取引もすでに先取りなし崩し的に機能させていることは関係者も証言している。

ともかく、情報公開が民主主義に不可分であることは、日本だろうが米国だろうが民主主義の仕組みにおけるイロハのイなのである。自己統治のためには、情報発信する前提として自ずから導き出される知る権利を行政は最大限、保障しなければならない。

面倒くさいけど、地検にしつこく電話するか。

(注)2007年10月17日付けで講談社はこの件についての声明を出している。
http://www.kodansha.co.jp/emergency2/

追伸▼最近読んだ司法関係の本に『焼かれる前に語れ 司法解剖医が聴いた、哀しき「遺体の声」』(WAVE出版)がある。知られざる司法解剖の現場のルポだ。当事者が共同執筆しているので、生々しいが、私にタイムリーだったのは死因に異常に心不全が多いという話。▼というのも先日、弊誌でとりあげた「闇の北九州方式」という一連の行政による生活保護受給停止をとりあげたが、生活苦で自殺した人が、心不全とされていたことがあり、違和感を覚えたのだ。そりゃ人間最後は心臓が止まるわけだけど、なんでもかんでも心不全では司法解剖の意味がないでしょう。▼ガンで亡くなった人に死因はガンではなく、心不全です、肺炎ですというのと同じだ。実際、心不全は原因不明死の逃げ場になっていると本著では指摘している。また、報道されるような法医学教室は虚像と言い切ってもおり、現行制度の不備を痛切に訴えている。▼暴力団への捜査情報漏洩がどうしようもなく蔓延しているという愛知県警のような現場がある一方で、事件現場では真実究明に精魂傾ける職人たちもきちんと存在しているのは救いである。▼ちなみに、この本の表紙は結構、格好いい病院内の写真なのだが、撮影しているのが横浜大輔さんという人。横浜なのに千葉県出身というのがウリ? 某自動車雑誌では愛嬌ある巨漢で、誌面にも登場してしまうアイドル的存在だっというが、現在は「フライデー」の突撃記者もやっている。こんなに写真が上手だとは知らなかったぞよ。
(平井康嗣)