きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

筑紫さん

 11月7日に亡くなった筑紫哲也さんと直接ことばを交わしたことはない。ただ、時々開かれる編集委員が参加する「拡大編集会議」のテープ起こしを担当したので、筑紫さんの奥行きのあるお話を二度、三度と繰り返し聞くことができた。

 いちばん心に残っているのは、2002年11月15日号に掲載した曽我ひとみさんご家族の会見記事についての話し合いだ。筑紫さんはこのとき、『週刊金曜日』編集委員として、週刊誌やインターネットですさまじい攻撃を受けたが、へこたれた様子もなく、戦争報道の例を引いて報道のあり方を話してくれた。

 ジャーナリズムの総本山とされているコロンビア大学のスクール・オブ・ジャーナリズムの名物教授が、新入生に最初にする仮定の設問がある。「あなたが戦地に取材に行った。そばで兵士が傷を負った。兵士を助けるのと戦地取材のどちらを先にやるか」というもので、学生は8対2の割合で兵士を助けると答える。その後で教授は、たとえば沢田教一のベトナム戦争の写真を見せて、「この写真が少なくともベトナム戦争の終結を2年は早めただろう」などと話し、もう一度同じ質問をすると、8対2がきれいに逆転する。言ってみれば、逆転の前が普通の人で、逆転後がジャーナリストになり始め、ということだ。会見報道を載せるのは当然のことだが、世間に理解してもらうのが難しいテーマの一つであることは確かだ、というような話だった。

  『週刊金曜日』の読者の中には、テレビでのものの言い方と『週刊金曜日』で書いていることに温度差があるという批判が絶えずある。ある種わかってくれている読者のときと、不特定多数の人が相手のときとでは、(少数意見であることが多い)自分の言いたいことを積極的に理解してもらうためのアプローチや工夫、手練手管に違いがあるのは当たり前のことだと思う、という話もされていた。

 新聞、雑誌、テレビのそれぞれを極めた筑紫さんの声を身近に聞くことができなくなったのは、本当にさみしい。

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 本誌ホームページのリニューアルを機にこの欄に書くことになりました。「金曜日」のこと、読んだ本のことなどコマゴマ綴っていきます。ものを書くのは不慣れな者ですが、以後お見知り置きを。