きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

「破れかぶれの楽観主義」でいこう

<北村肇の「多角多面」(72)>
「あれっ」という感じだった。予想外の結末だった。フィンランドの巨匠、アキ・カウリマスキ監督は、庶民の心の機微をさりげなく物静かに描く。最新作「ル・アーヴルの靴みがき」(4月下旬公開)も、春雨に芝生が濡れるように、じんわりと心が泣ける秀作だった。それにしても、あまりにも出来すぎたハッピーエンドに虚を突かれたのだ。

 ストーリー紹介は控えておく。その代わりに、パンフレットに載っていた監督インタビューの一部を紹介する。

――本作では、ル・アーヴルに暮らす人々を結ぶ「博愛」が少年を救います。ですが現実には、もはやそんな精神は存在しないのではないですか?
 私はもちろん、まだ存在していると信じています。
――世の中の状況が暴力的になればなるほど、あなたは人間というものに一層の信頼を持ち続けているように感じます。それは、破れかぶれの楽観主義なのでしょうか?
 昔から童話でも、赤ずきんが狼を食べてしまうバージョンの方が、その逆よりも好きなんだ。現実の世界では、ウォール街の青白い男たちより狼の方がましだけどね。

 そうか、「破れかぶれの楽観主義」だなと一人で得心した。いつからか、社会にハッピーエンドなどありえないと思い込んでいた。悲観主義にどっぷりとつかっていたから、笑顔、笑顔の大団円で終わる作品に唖然としてしまったのだ。冗談じゃない、まだまだ「博愛」はすたれていないよ――カウリマスキ監督のそんなメッセージに目を見開かされた思いだ。
 
 悲観主義は一歩、間違えると「逃げ」につながる。あきらめという袋小路に入り込むことで気を鎮める愚に陥るときもある。それなら、たとえ勝算はなくとも、自分勝手な楽観主義のほうがよほど建設的だ。私自身、もともと性善説を捨てたことはない。この世とおさらばするまで、それは変わらないだろう。一方で、批判精神を失うことはない。生まれたときからの悪人はいない――そう信じるからこそ批判もできるのだ。
 
 源平咲きの梅に目を肥やしていたら、あっという間に桜が空を占有し始めた。梅と桜。似ているようで、その「性格」は相当に異なる。好みは人によって別れる。ただ、多くの人は、どちらも「美しい」と感じる。草木や花に「美」を感じ取れるのは、私たちに「博愛」の心があるからだ。
 
 少し、春に浮かれたかな。でも、私はいつでも「人間」が好きだ。(2012/4/6)