きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

ミサイル騒ぎで市民を煽る政府の醜い思惑

<北村肇の「多角多面」(74)>
 街路樹が芽吹き始めると、街はたちまち印象派の絵と化す。コンクリートだらけの都心といえども、そこかしこに花の姿はあり、道行く人々もカラフルな服装を身にまとう。こんな季節、一昨年までは、ごく自然に浮き浮きした気分になったものだ。でも、福島原発事故以降、季節の明るさで心の軽くなることが減った。晴れ上がった午後でも、時折、葉の一枚一枚にセシウムの鈍い輝きを見るような気に襲われてしまう。

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が「衛星」を打ち上げた13日、政府は「敵の攻撃に対処する」といった風情で大騒ぎし、マスコミも戦時体制ごとくの報道に狂乱した。そもそも、田中直紀防衛省が「破壊措置命令」を出し、イージス艦出動、PAC3配備と続いたころから、政府もマスコミもせっせっと「非常事態」を演出、市民を煽り続けた。

 仮に「衛星」が目的ではなく「ミサイル実験」だったとしても、日本政府の対応は異常としかいいようがない。どこからみても、北朝鮮による「軍事攻撃」ではないからだ。そのことは政府もわかっているから、万が一「ミサイル」の破片が国内に落下し住民避難などの対応をとる場合も、災害基本対策法に則るとした。武力攻撃事態対処法に基づく国民保護法は使えないからだ。ところが、この基本的な事実はほとんど報じられなかった。政府と一部マスコミが二人三脚で、意図的に「戦争騒ぎ」を盛り上げたとしか思えない。

 こんな茶番の一方で、原発事故に関しては、ここまでやるかというほど過小評価し、何一つ解決していないのに「収束宣言」を出し、大飯原発再稼働に前のめりとなる。この落差は一体、どこから生まれるのか。そこには、責任回避に走る政府の醜い姿が垣間見える。とともに、日本に暮らす市民より米国の利益を最優先する姿勢も浮かび上がる。

 福島原発事故対策で重要なのは「原因究明」「責任の所在」「再発防止」だが、いずれも曖昧模糊のまま。市民の不安と怒りが充満するのは当然だ。その目くらましに「北朝鮮のミサイル発射」を利用したのだろう。しかもこれは政府にとって一石二鳥。米国のご機嫌も伺えるからだ。日本は04年度から毎年1000億円以上の税金をミサイル防衛体制の構築と研究開発に注ぎ込む。背景にあるのは、対中国、対北朝鮮に日本の自衛隊を使うという米国の軍事戦略だ。今回の「軍事訓練」は、日米で役割分担を調整する「共同統合運用調整所」が初めて行なう本格運用であり、米軍にとっては格好の「実験」だったのだ。

 米国には貢いでも福島県の子どもたちの医療費無料化には予算をつけない。これがこの国の為政者の実態だ。とても「浮き浮きした」気分にはなれない。(2012/4/20)