きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

[この国のゆくえ35……影の薄くなった日本を輝かせるのは平和憲法だ]

<北村肇の「多角多面」(54)>

 かつて、「日本」といえば「フジヤマ、ゲイシャ」だった。高度成長期の代名詞は「エコノミックアニマル」。海外旅行ブームは「ノーキョー」を有名にした。80年代以降、「ソニー・トヨタ」は技術立国・日本を象徴した。それが、今世紀に入ってからは、せいぜいサブカルチャー分野の「アニメ」「オタク」くらいか。いい意味でも悪い意味でも、「日本」は影が薄い。

 極めつけは「総理大臣」の存在感のなさ。ころころ変わるせいだけではない。要は資質の問題だ。一国のリーダーは「どのような社会をつくるのか」について確固たる哲学をもたねばならない。だが、ついぞそんな首相にお目にかかったことはない。野田総理はまさに典型だ。国内では安全運転に徹し、海外では何かとアドバルーンを上げる。しかもそれは、世界に向けた国家レベルの基本方針ではない。「消費税増税」など国内の政策にすぎない。要するに、野田氏の狙いは「外圧利用」と「米国の顔色うかがい」であり、こんなハリボテ総理の国がパッシング(無視)されるのは当然だ。

 いわゆる三点セットの「消費税増税」「TPP(環太平洋経済連携協定)」「米軍沖縄基地」。このうち「増税」については、財務省に踊らされた結果との見立てがある。それは間違っていない。しかし、別の視点から捉える必要もある。「霞ヶ関官僚の目は常に米国に向いている」ということだ。つまり、官僚のシナリオは米国の為に書かれているのだから、すべての面において、官僚主導とは米国主導にほかならないのである。

 TPPの真の狙いは、米国型基準(スタンダード)を日本にも押しつけるということだ。同国の社会規範の一つに「自己責任」がある。「努力する者は救われる」というと聞こえはいいが、要は「弱肉強食」「優勝劣敗」である。果たして、これらは日本に適しているのか。私には到底、そうは思えない。

 ここまで日本が落ちぶれた最大の原因は、米国の腰巾着に成り下がったことにある。「日本固有の」とか「日本らしく」は、一歩、間違えれば歪んだナショナリズムに転化する。しかし、その反動で米国流にどっぷりとはまりこんだのでは意味がない。「自分を大切にする心が、他者を大切にする心を生む」という真理も忘れてはならない。

 日本が誇れるものに「平和憲法」がある。野田首相は世界に対し、堂々と胸をはり平和憲法の“輸出”を図るべきだ。「改憲」とか「原発輸出」とか「武器輸出三原則見直し」とか頓珍漢なことを言っていたのでは、存在感を増せるはずはない。(2011/11/18)