きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

この国のゆくえ19……へそ曲がりは「クールビズ」の裏を考える

<北村肇の「多角多面」(38)>

 暑い。とにかく暑い。でも「スーツ・ネクタイ」をやめる気はない。猫も杓子も、クールビズ、クールビズで気持ち悪い。しっかり冷房がきいている国会内で、議員はドレスシャツを着ている。しかも似合わない。何か変だ。

 NGOの集まりで、時々、「スーツにネクタイ姿って、官僚か右翼か保守か」と揶揄される。いまどき、官僚も右翼もノーネクタイが主流だし、「保守派はネクタイ」などと凝り固まって考えるほうが、よほど保守的のように思う。

 新聞社の社会部時代、セーターにジャケット姿で出社すると、上司から「ネクタイをしろ」としつこく言われた。こうなると何が何でもスーツは着ない。しばらくやりあっていたとき、たまたま大きな事故が続いた。さすがに遺族取材にはスーツ・ネクタイが欠かせない。いざそうなると、安上がりだし便利だし、すっかり気に入ってしまった。

 時は経ち、いつしか仲間内から「『革新』を唱えるなら、資本家に首を絞められるようなネクタイはとれ」と言われることに。「関係ない」と相手にしていなかったら、突如、クールビズブームがふってわいてきた。小泉純一郎首相(元)が音頭をとるにいたっては、ますます「クールビズなどくそ食らえ」となったのは言うまでもない。

 特に福島原発事故が起きた今年は、クールビズ路線に乗らないのは「非国民」といった雰囲気だ。計画停電の脅しに乗った面も否めない。冗談ではない。だれがネクタイを外すものか――。と、いきがってみても、学生時代は「ネクタイ廃止法をつくれ」とわめいたこともある。要はへそ曲がりのなせるわざ。それは自分が一番、わかっている。

 ただ、大きなうねりが生じたとき、無自覚に流されることは避けたい。一見、本質とはかけ離れたことのようにみえて、実は深い意味を内包していることもある。「3.11」直後、政治家や官僚は作業服で会見に応じた。冷静に考えれば、何の意味もない。だが、統治権力側には意味がある。戦争時に軍服を着ることと同種だ。「緊急時には挙国一致が重要。国民は国家の指示に従ってほしい」との意思表示である。

 電力不足が政治問題になると、作業服は一斉にクールビズのドレスシャツへと変わった。へそ曲がりの私は、ここにもまた「挙国一致」の思惑があるのではないかと疑心暗鬼に陥るのだ。さらには、皇室のたび重なる被災地訪問との関連もついつい考える。考えていくうちに、ひんやりしてくる。これぞ猛暑の乗り切り策か。(2011/7/15)