きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

最高裁の風景~傍聴記(2)

シジフォスの希望(27)

 最高裁第三小法廷で開かれた和歌山カレー事件の上告審口頭弁論(2月24日)は、弁護側の「事実取り調べ請求」が却下され、その異議申し立ても何の根拠も明示されずに即座に棄却されたあと、弁護側による陳述に移った。弁護側はまず、動機もなく決定的な証拠もないカレー事件を補うために「類似事実」として検察側が持ち出した「葛湯毒物混入事件」を、「これは事件ではない」と強調した。

「もし(林眞須美被告に)殺意があれば、オープンな食卓のテーブルに並んで座っている他人のいる前で葛湯(くずゆ)に亜ヒ酸を混ぜて(林健治に)飲ませるだろうか。他人の立会いの下での殺人行為などありえない。なぜなら殺人が即座に露呈するからだ」
 
「しかも林健治は保険金を詐取するために『亜ヒ酸は自分で飲んだ』と言っている。取り調べた小寺検察官に対しても(林健治は)『自分で飲んだ』と供述しているが、検察官は『いや、お前は飲まされたんや。俺に協力すれば医療刑務所に入れてやる』などと言って取り合わなかった。被害者も加害者も自作自演だと言っているこの事件において、(林眞須美)被告人は保険金詐欺の共犯ではあっても殺人未遂については無罪だ」

 そして弁護側は事件の核心に触れる陳述をおこなう。
「犯人は確実に別にいます。そう主張するのはわれわれだけではない。事件直後から地元では多くの場所でそうした噂があった。地元ではいまだに『眞須美さんは犯人じゃない』と言う人がいる」

 本当に犯人は「別にいる」のか。そもそもこれは夏祭り客を狙った殺人事件であったのか。であれば犯人は一体、誰を殺そうとしたのか。地元では事件前、犬が毒殺されたり、物置が放火されたりする不審な事件が続いていた。地元住民の間では『この事件は殺人事件じゃない。食中毒で店の信用をなくそうとしたんだ』との声がある。さて、ここからは慎重に記さなければならない。以下は弁護人の陳述の要旨である。

 鍋は4つあった。カレーが2つの鍋に、おでんがもう2つの鍋に入っていた。4つのうちの1つのカレーの鍋に毒物が混入されていた。このことはとても重要である。混入された時刻とされる昼から祭り開始までの6時間、誰がこのカレーを味見するのかは分からない。また、夕方になってこの鍋のカレーが誰に配られるのかも分からない。
 カレー鍋はAという飲食店が提供した。カレー鍋などが置かれたガレージはBという別の飲食店の場所である。ここで食中毒が起きれば、AあるいはBが信用を失う……。

 裁判所は一審、二審ともに毒物混入の動機は「不明」「とっさの思いつき」などとしているが、林眞須美被告が保険金詐欺事件の共犯であったとすれば、その動機はカネを手に入れることである。しかし、裁判所の言うように「とっさの思いつき」で無差別に毒入りカレーを食べさせても1円のカネにもならない。このことは、むしろ林眞須美被告が犯人ではないことを示唆しているのである。「とっさの思いつき」というよりも、「食中毒」による店の信用失墜を狙った意図的な混入とする方が、動機としてははるかに説得力があるのだ。

 このあと弁護側は「亜ヒ酸」鑑定についての重大な疑問、近所の女子高生(当時)の証言の危うさなどを指摘したあと、「被告人が仮に保険金事件4件にかかわっていたとしても、いやむしろかかわっていたとすればなおさら、被告人はカレー事件の犯人ではない。なぜならカレー事件は不特定多数が対象であり、それではお金が入ってこないからだ」とした上で「被告が本当に犯人だったのかどうか。冷静に判断してほしい。指揮権を発動し原審を破棄し、無罪判決を求める」と締めくくった。約1時間の迫力と説得力ある弁論だった。

 そのあとの検察側の弁論は、はっきり言って紹介するに値しない。学芸会の棒読み以下の、熱意も迫力もまったく感じられないものだった。「犯人が別にいるなどというのはなんら根拠のない憶測」として「上告には理由がない。速やかに棄却を」と述べて、約20分間の弁論を終結した。

 さて、最高裁はどのような判決を出すのか。司法制度改革をめざす最高裁が採り入れようとしている「市民の日常感覚や常識」はどのように反映されるのだろうか。判決は春にも出される見通しだ。  (2009年2月28日・片岡伸行)