きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

東京 = ヘッジファンド新銀行東京、國本衛さんの葬式に全生園

最新号の3月28日号は400億円の追加出資をした「石原銀行」こと新銀行東京を特集した。

この一件では新銀行東京側が融資先リストなどを開示せず、各報道機関は四苦八苦して信用機関などを駆使して、どぶ板をしていたようだ。
その密室性と巨額の資金運用から、モルガン出身の大久保勉議員(民主党)など金融通は新銀行東京のことを「ヘッジファンド東京」「オフショアファンド東京」と揶揄する。

実際、都議会ですら自公民あわせて石原翼賛体制を敷いているので情報がとれずに苦労した。

おまけに元役員たちは海外に飛ぶものもいる。情報を当てることすらできず、全然話を聞けない状況がメディアの間では続いていた。ジャーナリストの藤田和恵さんと取材をすすめたところ、うまい具合に仁司泰正初代執行役の懐刀と言われた丹治幹雄氏に話を聞けた。

パチンコメーカーのアルゼで働いているという丹治氏は米国に滞在中ということで電話取材のみとなり不十分ではあったが、このタイミングでの当事者の話は珍しいだろう(もったいぶりますが、詳しくは本誌で)。

月曜日午後は取材の合間に、國本衛さんの葬式に東村山の全生園に。

國本さんはハンセン病違憲国賠訴訟原告団協議会事務局長となり、ハンセン病患者の権利回復運動の中心人物であった。

幼い頃、韓国から来日したところ、ハンセン病が発症し、家族と隔離されて療養所で暮らすことになった。
ハンセン病だけでも差別を受けたが、韓国人ということで、療養所内でさらに差別を受けたという。だが、私の知っている國本さんはおおらかで明るくすがすがしい方だった。

私は、國本さんが生き別れになった弟に会うために韓国に旅立ったときに取材をした(2006年4月7日号参照)。
釜山空港で弟夫婦と会った國本さんは韓国語が通じず、意思の疎通が十分にできずお互いにもどかしかったことが、見ていて少し哀しかった。

季節が冬に戻ったかのような氷雨が降っていたものの、白衣の病院関係者をはじめ参列者も多く、ルポライターの鎌田慧さんや國本さんの本を編集した毎日新聞の向井さんも参列していた。

上の二つはいずれも東京都で同時に起きていたことである。
なおさらのことだが、巨額の無駄金と都議会での馬鹿げたやりとりを眺めていると、新銀行東京の不毛な空騒ぎにため息が出る。
(平井康嗣)