きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

岡本太郎と私

今週号で本誌編集長の北村肇が万博の記事を書いており、芸術家の岡本太郎さんに言及していたので、ひさびさに「太郎」を思い出した。
実はぼくは岡本太郎さんには親近感がある。20年近く前、生前の岡本太郎さんと学生だった私は青森県内で会ったことがあるからだ。会ったといっても、宴席で同席しただけだけど。

青森県三沢市に古牧温泉という有名な観光地がある。2004年にゴールドマンサックス(GS)に買収され、当時の経営者たちは今はいない。GSは、温泉が集めていた青森県出身の版画家・棟方志功の作品に目をつけていたと言われていたが、その後どうなったのだろうか。
ともかく、その古牧温泉で岡本太郎さんに会ったわけです。
そもそもなぜ太郎は青森にいたのか! 少々、話を遡りましょう。

●青森県の古牧温泉

古牧温泉の社長は杉本行雄さんという方だった。日本の元祖企業家とも呼ばれる渋沢栄一、渋沢敬三の書生・秘書をしていた人物で、古牧温泉の敷地内には渋沢栄一邸を移築していた。渋沢への感謝を忘れない、たたき上げの優秀な番頭だっただのろう。人格者という評判は親族からたびたび聞かされた。

その杉本さんはそもそも十和田観光電鉄の建て直しのために渋沢から派遣されたと聞く。一連のいきさつは亡くなられた岡本太郎の養子となっていた岡本敏子さんに聞いた話に依拠する。青山の岡本太郎記念館で雑談をしながら聞いたので、詳しい日時などが曖昧であることはご容赦願いたい。敏子さんには『電通の正体』(金曜日刊)の取材で大阪万博の話などを聞く際にお世話になったのだ。
数十年前、岡本太郎は敏子さんと一緒に恐山に来たそうだ。芸術家の好奇心であろうか。それとも太郎が関心をもっていた縄文なのだろうかわからない。
ところが、その晩の宿の予定がなく、地元で民具を収集している面白い場所があると紹介されて泊まったのが杉本さんの家だったそうだ。これも家か杉本さんが関心をもって民芸を集めていたかのかいささか曖昧である。そこで意気投合した太郎は、古牧温泉がある地を訪れた際に温泉を掘れと杉本さんに言ったそうだ。神懸かり的な話だが、掘ってみると温泉が出た。その後、日本一の宿泊者数を誇るホテルになった。

●カッパ村村長

その太郎と縁があったのが、私の祖母の再婚相手の中河与一。

中河は河童の研究をしており、どういういきさつだが、古牧温泉内にカッパ村を築き、村長になった。私が物心ついたときにはカッパ村の村長だった。村長といっても、7月の終わりに3、4日開かれる「かっぱ祭り」の間、かっぱ村を訪れることが仕事であった。

祖母はもちろんのこと母や親族も、7月終わりになるとみなカッパ祭にでかけることは緩やかな年中行事になっており、親族の間では今年はだれがかっぱ祭に行くのかはお決まりの話題だった。

1992年7月だと思うが、この年に太郎はカッパ村のシンボルであるかっぱ像をつくっている。バンザイしている三等親のかっぱだった。
ぼくはそのときに初めてかっぱ村に行った。かっぱ像落成式にも参加し、その流れで太郎と宴会で一緒になった。実はそれだけのことである。岡本太郎は有名人だったので、わいわいと一緒に記念撮影をしてもらった。かなり高齢になっており、敏子さんに付き添われていた。

そんな関係で、たまに親族から岡本太郎、敏子さんの話は聞いていた。古牧温泉が買収された際には敏子さんもお金があれば自分で買いたいとおっしゃっていた。
この面々で、当時を知る人で鬼籍に入っていないのは、認知症が若干入っている祖母だけになったようだ。