きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

ディベート「死刑」(下)

シジフォスの希望(33)

 死刑「廃止派」と「存置派」に分かれた学生たちの立論をもとに、森達也さんと藤井誠二さんが加わって討論は展開された(7月11日、「僕らにとって死刑って何だろう?」in立教大学)。
 主な討論内容は「死刑は合憲か違憲か」「絞首刑は残虐か」「償いとは何か」「応報(復讐)か教育(更生)か」「死刑支持の世論に従うのが民主主義か」などであった。いくつかのやりとりの要旨を抜粋・構成し直して紹介する。

 合憲か違憲か
――1948年の最高裁の大法廷で死刑は合憲とされている。確かに憲法36条では「残虐な刑罰」は禁じられているが、現在の絞首刑は果たして残虐か。
――仮に絞首刑が残虐なら、電気椅子とかガス室とか静脈注射ならいいのか。「残虐」の基準は?
――憲法36条(拷問及び残虐な刑罰の禁止)と31条(法定手続の保障)は矛盾しているように思う。どのやり方が残虐か残虐ではないかではなく、人が人の生命を奪うこと自体が残虐だ。
 償いと更生
――死刑で殺してしまっては更生は不可能。国家には犯罪者に償わせながら更生させる義務がある。
――償いなどありえない。人を殺めた以上、修復は不可能だ。死刑になったからといって償えない。
――刑法では社会秩序を乱したことに対する罪刑であって、被害者が賠償金を求めるには民事裁判を起こすしかない。
――死刑になったら民事裁判も起こせない。刑務作業もできない。被害者のことを思いながら反省させ、賠償の観点も含めて刑務作業を続けることが償いではないか。
――償いとは別に、国の更生制度はあらためる必要がある。
 世論と民主主義
――2004年の内閣府調査では死刑に「賛成」が8割を超えている。「廃止」を求める声は一ケタだ。民主主義の原理からしても死刑は存置すべきだ。
――世論の支持が多ければ間違っていても従うのか。世論イコール民主主義なのか。
――フランスでは世論の6割超が死刑を支持していたとき、時の大臣が廃止を訴え、結局、廃止した。世論イコール民主主義だとすればフランスは民主主義ではないことになる。
 応報(復讐)感情
――死刑を廃止した国のほとんどで犯罪が増えていない。つまり、死刑が犯罪の抑止につながることはない。問われているのは応報感情だ。
――確かに死刑が犯罪抑止効果があるとは思えない。ただ、日本は廃止されていないので実証できない。刑罰の社会的使命として被害者の感情の修復は必要だ。
――しかし死刑の有り様はまったく公開されていない。国会議員が出向いて渋々と刑場を見せる程度だ。遺族によっても意見は分かれるが、公開すべきだと思う。
――応報感情というが、被害者が天涯孤独な人なら応報は成り立たない。また仮に遺族が「死刑にしないで」と言ったら減刑する必要があるではないか。

 以上のやりとりの中には森さんと藤井さんの発言、コーディネーターを務めた服部教授の発言も含まれている。

 シンポでは、「クリッカー」と呼ばれるテレビのリモコンに似たハンドヘルド端末を来場者約200人に渡し、討論の前と中間と終了後の3回、それぞれ「死刑に賛成か反対か(どちらでもないか)」の回答をしてもらい、その数が瞬時に壇上の拡大スクリーンに映し出された。討論前は「賛成」「反対」がほぼ同数の100前後と拮抗していたが、中間では「賛成」78、「反対」127、「どちらでもない」33、討論終了後は「賛成」62、「反対」130となり(「どちらでもない」は選択項目から外した)、「反対」が「賛成」の倍以上に増えた。

 さまざまな論点を持つ死刑制度についての、森さんと藤井さんのスリリングな対談本(『死刑のある国ニッポン』金曜日刊)が8月5日すぎから書店に並ぶ。深みとすごみのある死刑ディベート、ぜひご一読を。

(2009年7月14日・片岡伸行)