きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

分離壁とメディアリテラシー

パレスチナ自治区内に、おそらく今日この瞬間も、分離壁が作られています。分離壁については、467号(7月11日発売)で、エルサレムに住んでいる東間史歩さんが、「アパルトヘイト・ウォールと呼ばれる『分離壁』」という記事で報告してくれました。
分離壁の問題については、この記事を読んで貰いたいのだけど、忙しい方もいるので簡単に説明しましょう。

いわゆるパレスチナ自治区は東にヨルダン川西岸地区(パレスチナを行き来している人は「ウエストバンク」とも呼ぶ人も結構多い)とガザ地区の2つがあります。ほとんどのパレスチナ人がこの地域で生活しています。これまで自治区とイスラエルとの往来はそんなに厳しくありませんでした。だから、イスラエル側のレストランなどでは自爆テロなどパレスチナ側からの報復が繰り返されていました。もちろん、イスラエルの軍による弾圧を受けてのことです。

ぼくも専門家ではないので、ボロが出る前にパレスチナ問題についての知ったかぶりはやめておきましょう。
ともかくイスラエルは自分たちがしていることはさておいて、攻撃されないためにパレスチナ自治区の境界線に壁をつくって、往来を制限しようとしたわけです。イスラエルが「防御フェンス」「保安壁」などと呼ぶものです。けれども、それは壁の内部にパレスチナ人を閉じこめてしまおうとする発想であり、悪名高き人種隔離政策のアパルトヘイトにもなぞられたりしつつ、パレスチナ側からは分離壁と呼ばれました。

しかも、この壁はヨルダン川西岸地区に大きく踏み込んで作られ、実質的にパレスチナ人の土地を奪います。オリーブ畑をイスラエルお得意のブルドーザーで潰していきます。このパレスチナ人から奪った土地を、イスラエルは緩衝地帯と呼んだりします。一方、パレスチナ人はイスラエルに収用された土地ということで接収地や収用地という意味の呼び方をします。

平和へのロードマップや「行程表」という言葉はギリギリ見聞きする人もいるでしょう。しかし分離壁の存在をしると大ウソだと感じてきます。これのどこが平和につながるのでしょうか。イスラエル支援国家である米国すら建設停止を求めている代物なのです。

知り合いのジャーナリストは「想像できますか。地平線まで続く土とコンクリートの壁はまるで万里の長城ですよ」と苦い顔で、その光景をぼくに語りました。現在約120キロメートルが完成し、将来は約360キロメートル以上続く壁です。コンクリートのものだけでなく鉄条網のものや金網でできたフェンスと呼ばれるものもあります。

この分離壁の建設は別に最近に始まったわけではありません。しかし、なぜかこのことはあまり報道されてきませんでした。手前味噌ですが、「分離壁」と呼称し紹介したのは本誌が初めてだったのではないでしょうか。なぜ分離壁と呼ばれなかったかというと、その呼び方がイスラエルの政策を頭から批判することになるからです。一番甘っちょろい呼び方はフェンスでしょう。

この問題に限らず、呼称については当局とメディアまたはメディア同士でせめぎ合いがしばしば生じます。「通信傍受法」を「盗聴法」と呼ぶかどうかについても、1999年夏に法務省がメディアに盗聴法と呼ぶなとお達ししたこともあります。それくらい「なにをどう呼ぶか」という一般に使用される呼称を当局やメディアは気にします。
北朝鮮を朝鮮民主主義人民共和国と呼ぶかどうかでも、昨年、各紙がそれぞれの見解を発表していました。
「消費者金融」を「サラ金」と呼ぶかどうかも、地味ながら迷いがあります。消費者金融は「サラ金とだけは呼ぶんじゃないぞ!」と眼を光らせています。
このように伝わるキャッチフレーズがつくかどうかで、情報の印象や染み込み具合はかなり左右されていきます。至近では「有事」「個人情報保護」「構造改革」なんて言葉に多くの人が煙に巻かれました。

ということで、分離壁の名称をつけるのは結構迷いました。
なぜ、この名称がこれまで使われてこなかったのか? イスラエル当局のコントロールがメディアに及んでいるのではないか? なんて想像も関係者としました。
実際、パレスチナ現地は想像する以上にシビアだと聞きます。ウカツなことをやれば、日本で机の上で国際電話やメールのやりとりをしているだけのぼくに危険性はほとんどありませんが、現地の関係者たちに迷惑がかかるわけです。「先日も分離壁を撮影していたアメリカ人がイスラエル軍に見つかり次回から入国拒否になった」なんて話も聞こえて来たりするのです。
けれども、パレスチナの人びとがそう呼び撤去を求めているわけだし、イスラエル側の名称より的確に事実を表現して伝える力がある言葉だとぼくも思うわけです。ということで「分離壁」として「」をつけて載せたわけです。

その後、TBS系「ニュース23」やNHKでも分離壁の問題は取りあげられました。
また、最近、米国のブッシュ大統領がイスラエルのシャロン首相と会談し、分離壁に懸念を表明したということで『朝日新聞』も分離壁ということばを使いました。カギカッコなしです。それまで同紙は「フェンス」(7月26日付)などと呼称していましたので、この違いは非常に大きいでしょう。ただ、日本から見たパレスチナというよりは、米国からみたパレスチナという視点で報道したのではないかと思われます。
『東京新聞』(7月30日付、『中日新聞』系)は「分離壁」と「分離フェンス」の2つの呼称をなぜか使用しています。違うものだと思っているのでしょうか。とはいえ、分離壁の問題点についても、パレスチナ側の主張も報道し、もっとも情報が厚い記事が掲載されていました。
『毎日新聞』は「防護壁」(7月25日付)、「防御壁」(7月30日付)と呼んでいます。別の特派員が記事を書いているとはいえ、社として用語の統一はできていないようです。ただ、いずれの「壁」もイスラエルの人々をパレスチナから防護する壁というイスラエル当局の主張に沿った意味ということはおわかりでしょう。

『産経新聞』はただの「フェンス」。『読売新聞』は「分離するフェンス」(いずれも7月30日付)。情報も薄い記事ですから、両紙は意図的と言うよりは、そもそもパレスチナに関心がないのではないか、との印象を持ちました。

一見地味ですが、こうしてある言葉を一つとっても、各新聞がどの程度問題に関心をもっているのか、記者の理解が深まってきたのか、どのような政治的立場をとっているのかが見えてきたりします。今回、各紙を比較してみて、ぼくも参考になりました。
メディアリテラシーについてまともに勉強したこともないのですが、このようにメディアが発する情報を、受け取る側が見抜く知恵こそ、まさにメディアリテラシーということなのでしょう。

本誌でもそれぞれの編集者が誌面で隠れたメッセージをいろいろ発しているようです。面白いものに気づけば本コラムで紹介したいと思います。また、読者のみなさんもぼくたちを見透かしてみてください。(平井康嗣)