きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

◆私たちが「取り戻す」べきものは◆

〈北村肇の「多角多面」130〉
 強い日本を取り戻そう、経済成長を取り戻そう、憲法を取り戻そう。何でもかんでも「取り戻そう」って言っておけばいい。そんな薄っぺらな風潮に流されたら、それこそ本来あるべき社会も人間も取り戻せない。大事なのは「取り戻す」ことではなく、いまを見つめ明日をつくりあげることだ。

「取り戻そう」をキャッチコピーにした自民党の戦略が当たった背景には、多くの市民が「昔は良かった」というノスタルジーに浸っている現状がある。確かに、たとえば私が20代だった70年代はこれほど息苦しくなかった。社会にもっと包容力があったし、明日は昨日より明るいと信じていた。

 でもそれを壊したのは、「取り戻そう」と総裁が叫んでいる自民党そのものだ。諸悪の根源は、新自由主義という弱肉強食路線をむりやりこの国に持ち込んだこと。放火をしておいて、「火の用心」と拍子木をたたいている姿は滑稽であり許し難い。

 ただ、別の観点から見ることも必要だろう。それは、そもそも「日々、発展していく日本」はありえないということだ。良きにつけ悪しきにつけ、この国は成熟期に入っている。さらに言うと、地球レベルでもかつてのような発展は望めない。巨視的にみれば人類そのものが停滞期にあるのだ。

 周辺を見渡すと、「アンチエージング」が流行っている。老齢期になってなお若さを取り戻そうと考えるのはばかばかしい。成長し、成熟し、老いていくのは宇宙の摂理であって、無駄で無意味な努力は虚しさをつのらせるばかりだ。成熟期にはそれなりの、老齢期にもそれなりの生き方や幸せがある。

 取り戻すべきことは、「いまの条件の中で、いかに生きやすい社会をつくりあげるのか」という姿勢にほかならない。少子高齢化が進み、技術革新も頭打ち。そんな時代に私たちのなすべきこととは、果たして何か。どんな社会が理想なのか。その問いに答えを出し、政策として具現化するのが政治家の役割だ。

 目指すのは、強い国ではなくやさしい国である。成熟した時代では、優勝劣敗より共存共栄が求められる。競争しつつ発展する社会ではない。お互いに助け合いながら、お互いを嫉妬することも、お互いの足を引っ張ることもなく、お互いがお互いのいのちと人権を尊重し合う。この国の明日はそうありたい。(2013/6/21)