きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

◆都議選の自民圧勝からみえる深刻な社会状況◆

〈北村肇の「多角多面」131〉
「ジェットコースター」はもはや当たり前の風景になった。23日投開票の東京都議選。前回大勝した民主党は見る影もなく惨敗。代わって自民党は全員当選の圧勝。先の総選挙をなぞったような結果だ。現状では、目の前の参院選についても与党勝利は避けがたい。

 だが、主要な選挙のたびに指摘されるように、「勝ち組政党」に対する支持は決して堅固なものではない。都議選にしたって、史上二番目に低い投票率を考えると、自民党に投票した有権者は全体の約15%にすぎない。何らかの“風”によっていくらでもひっくり返る。雰囲気で選挙結果が動くのは、「民度が低いから」「民主主義が根付いてないから」という言説を時折、耳にする。しかし仮にそうした面があるにしても、ではその原因がどこにあるのかとなると判然としない。

 実は多くの有権者が無意識の領域に矛盾した志向性を抱えているのではないか、と私は思う。それはつまり、何ものからも解き放たれた自由のもとで存する「自立への欲求」と、何ものかに包み込んでもらいたいという「柔らかな拘束への願望」だ。

 戦後、日本人は天皇制国家のくびきから解き放たれた。未来には自由と自立が燦然と輝いていた(はずだった)。だが、慣れない世界に放たれた人々の多くは、希望の裏に不安を抱え込んでいた。その解消がなされないまま、60年以上の時間が過ぎた――。

 55年体制を背景にした日本型社会主義の時代は、沈潜した矛盾との直面をかろうじて回避することに成功した。しかし、新自由主義が、脆弱な自由や自立は弱肉強食、優勝劣敗社会をもたらすことを顕在化させた。プレカリアート運動や、原子力ムラへの怒りの行動は、そうした新しい奴隷制社会に対する反撃の色合いが濃いと言えよう。

 そして、殺伐とした社会は一方で、「強い者の庇護に身を置きたい」という欲望を引っ張り出した。むしろ自分の首を絞めることになるのはどこかで知りつつも、勝者へと身を捧げてしまう。最近の選挙で目立つ「勝ち馬に乗る」風潮が生まれた所以でもある。

『朝日新聞』の6月11日付朝刊に載った世論調査結果で興味深い項目があった。「自民に対抗できるような大きな政党があったほうがよい」という回答が71%を占めたのだ。強い政党が二つあれば、交互に身を寄せることが可能になる――無意識下でそのような志向性が多くの有権者にあるとするなら、自立した個人による民主主義の確立には相当の時間がかかる。確かに深刻だ。さりとて、超えられないはずはない。(2013/6/28)