きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

田中聡・沖縄防衛局長(当時)の発言をめぐる『朝日新聞』への質問と回答

『週刊金曜日』12月16日号メディア欄(58ページ)に掲載した記事執筆のために朝日新聞社に取材しました。紙幅の関係上、朝日新聞社の回答すべては掲載できないので、(電話番号などの連絡先や日時をのぞく)質問と回答の全文を公開します。

 質問は、田中聡・沖縄防衛局長(当時)がオフレコ懇談で、米軍普天間飛行場の県内移設に向けた手続きを性的暴行に例えた発言をしたときに、『朝日新聞』記者が同席していたかどうかについてたずねる内容です。
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●『週刊金曜日』の質問

       田中聡防衛局長(当時)の発言報道についてのご質問

前略 貴紙の報道に矛盾しているように見える点がありますので、ファクスにて質問状をお送りいたします。ご多忙中恐縮ですが、文書でご回答いただけますようお願いいたします。          不一

    記

 谷津憲郎朝日新聞那覇総局長が12月3日朝刊に掲載したコラムで以下のように書いています。

〈あの夜、1時間ほど遅れて居酒屋につくと、目当ての人は奥のテーブルでにぎやかにグラスを交わしていた。田中聡・沖縄防衛局長(当時)と、それを囲む報道各社。男ばかりが約10人。3千円の会費を払い、私は隣のテーブルで報道室長と話し始めた。(略)なんとも間抜けだが、私は例の発言を聞いていない〉

 ただ、田中局長発言を伝える貴紙の第一報では、〈朝日新聞社は、発言時には同席していなかった〉と書いています。

 一方、『琉球新報』12月8日付13面は、発言は〈1時間半ほどたった午後9時半ごろ出た〉、遅れて参加した琉球新報記者が大きな声で質問したところ、〈局長は大きな声で「これから犯す前に犯しますよと言いますか」と返答した。記者の記憶は鮮明で揺るがない〉と報じています。

 お聞きしたいのは下記の点です。

1)第一報では谷津総局長は、発言時に同席していなかったように読めます。午後9時半ごろ、谷津総局長は懇談会場にいたのでしょうか?いなかったのでしょうか?
2)午後9時半頃、谷津総局長が会場にいたとすれば、田中局長の大きな声をなぜ聞いていないのでしょうか?
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 質問のファクスは、谷津憲郎那覇総局長と朝日新聞東京本社広報部に送ったところ、広報部から回答がありました。

●朝日新聞社広報部の回答

冠省

 昨日いただいたご質問の「1」と「2」についてまとめてお答えします。

 弊社の谷津憲郎・那覇総局長は、田中聡・沖縄防衛局長(当時)の発言があった時間帯には懇談会場にいましたが、問題になった田中氏の発言は聞いていませんでした。

 11月29日付夕刊に掲載した一報の段階では、この発言について総局長の記憶になかったことから、「朝日新聞社は、発言時には同席していなかった」と記しました。

 その後の取材で、発言があったのは総局長が懇談会場にいた時間帯だったことが分かりました。12月3日付朝刊の「記者有論」では、総局長が「1時間ほど遅れて」懇談会場の居酒屋についたことや、「例の発言を聞いていない」ことを、お伝えしました。当時、総局長は田中氏の席と離れた隣のテーブルで沖縄防衛局の報道室長と話していたため、問題の発言を聞けていませんでした。

回答は以上です。よろしくお願いいたします。

草々

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 これだけでは、問題のありかがわかりにくいかもしれません。本誌記事と併せてお読みいただけると幸いです。

この国のゆくえ38……オフレコと、記者の良心の関係

<北村肇の「多角多面」(57)>
 いまでも振り返ると赤面の至りだ。新聞記者になったのは22歳。何から何までヒヨッコのくせに「マスコミとは、新聞とは」なんて偉そうにぶっていた。それでも、一点だけ自分をほめている。それは、「何のために、誰のために書くのか」という、その後37年間続く自問自答を始めたことだ。

 人はだれも自分の幸せのために生きる。しかし、そのことと同じくらい人の幸せのために生きる。だから、「仕事」の目的には、自己実現だけではなく「人に役立たせる」ことも含まれる。医師は治療によって人の命を救うし、料理人はおいしい食べ物で人を喜ばせるのだ。では、記者はどうか。平和ですべての人の尊厳が守られる社会実現を目指す、それこそが使命である。そして、その使命を果たすには、「誰のために=読者、市民のために」「何のために=より良い社会をつくるために」が前提になる。「誰のために=自分だけのために」「何のために=会社あるいは上司の評価を得るために」では記者失格だ。懺悔をすれば、幾度も失格記者になったことがある。ただ、そのたびに、若い頃から自らに言い続けてきた「誰のために」「何のために」を呪文のように唱え、かろうじて良心を守ってきた。

 今年は、「オフレコ」が何度か問題になった。田中聡前沖縄防衛局長の「犯す」発言は、『琉球新報』が“掟破り”したことで表面化し、田中氏辞任につながった。一部のメディアは「これでは取材先との信頼関係が崩れる」と同紙に批判的だ。確かにオフレコは記事にしないことが前提であり、だから取材対象者のホンネが聞けるという利点がある。体験上、オフレコを全否定すべきではないと思う。

 しかし、記者として絶対に失ってはいけない「誰のために、何のために書くのか」に照らせば、田中氏の発言は報じざるをえない。結果として、信頼関係が崩れても仕方ない。記者はあくまでも、読者や市民との信頼関係を最優先しなくてはならないのだ。『琉球新報』は正しい。では、9月に問題になった鉢呂吉雄前経産相の例はどうだろう。私には「誰のために=原発ムラ住人のために」「何のために=原発推進のために」としか見えない。本来、オフレコを無視してまで報じるニュースとはとても思えないのだ。

 オフレコを受け入れるのは、「将来的に読者、市民に役立つ記事を書く」ためである。ここさえしっかりしていれば、政治家や官僚の掌で踊らされることはない。個人的には、過去、何度かオフレコ破りをした。付け加えれば、相手が良心的な官僚であれば、その後の関係が切れることはなかった。彼ら、彼女らもまたそれぞれの立場で「何のために、誰のために」を日々、考えているからだ。(201112/9)

「新聞」の可能性を示した新聞労連大賞受賞作

<北村肇の「多角多面」(14)>

 2011年1月、「希望の見える」と形容したい出来事があった。タイガーマスクの話題ではない。新聞労連大賞の受賞作が、堕落の一途だった「新聞」に明るい灯をともしたのだ。同賞は「平和・民主主義の確立、言論・報道の自由などに貢献した記事・企画・キャンペーン」を表彰するもので、今回が15回目。私も審査員の末席を汚している。

 正直、ここ数年は応募作が減り、内容もいまひとつだった。だが、今回は違った。約20点の応募作はどれも力作で選考に苦慮した。特に大賞を獲得した二つの企画は、「新聞」の底力と可能性をくっきりと示した。

▼「大阪地検特捜部の主任検事による押収資料改ざん事件」(朝日新聞)
▼「普天間飛行場問題の本質に迫る報道」(高知新聞・琉球新報)

 前者は説明の必要がないだろう。「権力の監視・批判」という、ジャーナリズム本来の使命を忘れているのではないかと指弾され続けてきた全国紙が、久々に放ったホームランだ。隠蔽された事実を発掘し報道し、そのことにより社会正義の実現に寄与する――まさに真のスクープである。

 後者は企画自体が画期的だ。高知新聞は「本紙加盟の通信社をはじめとする在京メディアの報道は、基地問題の本質的な議論を喚起するようなものではなく、移設問題がらみの政局報道が中心で違和感をもっていた」という。そして、「沖縄の視点で基地問題を考えるため」に琉球新報に関連記事転載の協力を依頼、8月から11月にかけ12回の記事提供を受け、紙面化した。もちろん、高知新聞独自の記事も掲載している。

 また、惜しくも大賞は逸したが優秀賞になった「安保改定50年~米軍基地の現場から」は神奈川新聞、沖縄タイムズ、長崎新聞の3紙が、それぞれの県が抱える基地問題をルポ、各紙面で掲載したものだ。高知の取り組みも3紙の提携も、全国紙では考えられない記事のつくりかたであり、地方紙ならではの成果である。

 全国紙が統治権力の批判をし、地方紙は連携をとりつつ「地方の全国ニュース」を展開する。これこそ、劣化の進む「新聞」が生き残るための一つの道と確信する(拙著『新聞新生』(現代人文社)参照)。

 むろん、『週刊金曜日』は2011年、さらに輝きます。(2011/1/21)