きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

硫黄島に行った1

クリント・イーストウッドが監督した映画『硫黄島からの手紙』が上映中である。
まだ観ていないし観る予定もないのだが、この映画の文字や映像を目にするたびに硫黄島での日々を思い出す……(ちょっとオーバーな表現かな)。

映画のヒットにより、東京都小笠原村の「硫黄島」は「いおうとう」ではなく「いおうじま」と今後呼ばれるようになるのだろう。これまでおれの周囲では「いおうとう」だと主張する人物が少なからずおり、読み方について議論になることもあった。「いおうとう」と発音しても間違いではないらしいが、島に関するグッズでは「いおうじま」と明記されているから、「いおうじま」とやはり呼んだ方がよいのだとは思う。

東京から約1250キロメール南下した亜熱帯海洋性気候の硫黄島は現在、自衛隊の基地となっている。かつては民間人も住んでいたこともあり、旧島民の子孫にも会ったことがあるが、現在の主たる住民は海上・航空自衛隊員である。時期によっては空母の離着陸訓練のために米兵が滞在するが、軍に関係しない民間人は原則居住していない。
ただし、ネットを検索してみると小笠原から出航する硫黄島ツアーを見つけることはできる。東京都と言っても小笠原村自体が遠く、民間人にとって到底、気軽に旅行できる場所ではないのである。また、おれの知る限りでもマスコミ関係者や遺骨収集関係者、また防衛省関係者が研修目的で訪れることはある。

おれの場合はいずれとも異なり、もっとハードルが低い立場で島に行けた。
硫黄島基地の食堂で数日間、皿洗いや給仕のアルバイトをしていたのである。現在もこのアルバイトが存在するかどうかは知らない。

アルバイトをしたのは今から12、3年ほど前のことである。
まだ学生だった、ある年の2月頃(おれは結構長い間学生生活を送っていた)、春休みに金を溜めようと考えて『日刊アルバイトニュース』(当時)を眺めていた。
当時のおれは年中、金ケツだったので(今もか)しばしば短期のアルバイトをしていた。どうせ働くなら面白いアルバイトをしようと考えて、アルバイトは選んでいた(だから金ケツになるのか)。

ページをめくっていると、小笠原諸島の南端に位置する島で2週間程度の皿洗い及び調理人を募集するという求人広告が目についた。
細かい文面はすっかり忘れてしまったが、「きみも亜熱帯の硫黄島でアルバイトをしないか」というキャッチコピーが書いてあったような記憶がある。

当時のおれは硫黄島について詳しい知識は持っていなかったが、なかなかいけない南の島だということぐらいはすぐに察した。島で暮らしていればムダな金も使わず、バイト代はそのまま貯まる……。手元に10万円は残る金額だった。

そこで早速、求人募集先に電話し、午後には新宿の雑居ビルにある事務所に向かった。
先方は自衛隊の弘済会だった。弘済会では自衛隊を引退した年配の人間たちが働いており、おれは初老の男性に面接を受けた。
男性の話によれば、毎年3月は前年度の防衛予算を消化するため、硫黄島で一日中日米両国の戦闘機が離着陸訓練をする。朝も、昼も、夜も、である。食堂はフル回転となり、人手が足りなくなる。そのため短期的にアルバイトを雇うとのことだった。今でもこの構造は変わらないだろう。このアルバイトも税金使い切りの一環ということである。
数日後、採用に合格したと自宅に連絡があった。当時は携帯電話もインターネットもない時代だった。

おれはちゃっかりと水着やカメラを硫黄島に持っていたことを考えると、合格後、事前に硫黄島での過ごし方の説明を受けたはずだ。それは以下のようなものだったと思う。

・自由時間には、ほとんど制約なく自由に島を回れる。
・ただし、海にはハンマーヘッドシャークが泳いでいるため、遊泳は禁止。
・洞窟を利用した天然サウナがある。利用するには水着を着用とのこと。
・さそりに注意。履く前に靴の中をチェックすること。
・写真撮影はOK。

という具合だ。

硫黄島には神奈川県の厚木基地から自衛隊機で出発するという。
朝は早いということで、担当者から厚木基地の目の前にあるビジネスホテルに一泊するよう指示を受けた。
翌朝午前7時くらいだったと思うが、指定された時間にフロントに下りると20歳くらいから50歳くらまで20、30人ほどの男たちが集合しており、全員が自衛隊の送迎バスに乗り込み基地に入った。

飛行機に乗り込むための待合所らしき場所の前でバスから下ろされたおれたちは、その建物に入り万が一死亡した際に身元を確認するために必要だからと、番号が書かれたドッグタグを首からぶらさげるよう指示を受けた。
1980年代バブル後期、アメカジファッションでドッグタグをつけるのが流行ったが、さすがにホンモノをつけたのは初めてだった。
その後、後部ハッチの開いたロッキードC130Hに乗りこむよう誘導され、ベンチのような椅子に向かい合って横に並んで座った。各自の荷物は一カ所に集められネットをかけられた。
こうしてアルバイトを乗せたC130Hは小笠原諸島の南端に飛びたった。
硫黄島が近づくにつれて、狭い機内の温度が上昇していくことを感じ「きたきたー! これが亜熱帯!」と心の中でつぶやいたことを覚えている。(つづく)

【関連サイト】
・硫黄島についての情報
http://www.ogasawara-channel.com/iwojima/
・c-130hについて
http://www.mod.go.jp/jasdf/equipment/04_c130h.html