きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

◆新入社員に望むのは、ひたすら失敗すること◆

〈北村肇の「多角多面」(122)〉
 久しぶりに新入社員が入った。男性2人、女性1人。やはり雰囲気が変わる。初々しい緊張感は、古狸が狐の面を被ったような私にも伝わり、心地よい。

 若い人には毎度、同じことを話す。

「とにかく失敗してください。たくさん考え、たくさん動き回れば必ず失敗します。でも、そのうち必ず成功することが増えます。失敗を恐れて何もしなければ成功はやってこない。絶対に萎縮しないでください。ただし、同じ失敗を3回繰り返したら見捨てます」

 10回失敗して1回成功するのと、失敗も成功もゼロではどちらの評価が高いのか。言うまでもなく前者だ。しかし、どうもそうではないと考えている人もいるらしい。後者の点数はゼロだが前者はマイナス9という発想だ。こういうタイプを私は、算数はできるが哲学のわからない愚者と呼ぶ。

 40年近い社会人生活を振り返り、一つの真実に行き当たる。挫折を知らない人間は頭打ちになる――。時折、人並み外れて「お利口」な若者がいる。危機回避能力が高いという点での賢さだ。表面的な対処能力には優れているので、巧みにリスクを避けることができる。当然、失敗の経験がほとんどない。

 このタイプは上司にとっても使い勝手がいい。要領よく立ち回る能力があるからだ。しかし、ほとんどの場合、彼ら/彼女らが期待通りに成長することはない。当たり前と言えば当たり前。成功は失敗の積み重ねから生まれる。そこに突っ込まず頭で考えている限り、骨太の「仕事人」になれるはずもない。

 ただ、本当に反省すべきは若者ではない。部下の失敗を極度に恐れる管理職こそ諸悪の根源だ。上ばかり見ている管理職は、自分の評価を高めることに腐心し、ひたすらリスク回避に走る。だから、問題を起こす部下は許さない。

 懐の深さが消失した社会と言われる。失敗を受け入れない社会が健全であるはずはない。ミスを笑ってすますのは「甘やかす」ことではない。むしろ、多大な期待の裏返しだ。「自分で乗り越えなさい、ここで見守っているから」といっているわけだから。

 ちなみに、これまで「見捨てた」部下はいない。(2013/4/19)