きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

◆自己犠牲の「美談」から見えてくるもの◆

<北村肇の「多角多面」(114)>
 美談はおうおうにして記者の筆を滑らせる。私自身、ウソではないが真実とも言い切れない記事を幾度となく書いたと告白せざるをえない。いわゆる「お涙ちょうだい」の文章はどこかに脚色がつきまとう。でも、不思議と罪悪感はなかった。美談ならば許されるのではないかという、大いなる勘違いがあったのだ。

 埼玉県が公立校(約1250校)の道徳教材に東日本大震災での美談を取り上げた。報道もされているが、南三陸町の危機管理課で防災無線を担当していた遠藤未希さんの話しだ。迫り来る津波を前に「早く、早く、早く高台に逃げてください……」とマイクを握り続けた。庁舎が飲み込まれそうになり30人ほどいた職員は屋上に駆け上がった。だが、助かったのはわずか10人。そこに遠藤さんの姿はなかった――。

「天使の声」と題された教材の最後の文章はこうだ。「出棺の時、雨も降っていないのに、西の空にひとすじの虹が出た。未希さんの声は、『天使の声』として町民の心に深く刻まれている」。後半の部分は筆が滑ったとしか言いようがない。

 昨年8月25日付『東京新聞』によると、犠牲になった同町職員の一部遺族が、「町長が高台に避難させなかったことが原因」として佐藤仁町長を業務上過失致死容疑で告訴している。美談と片付けてすむ話しではないのだ。

 また、「教材作成の意図と取り扱いの留意点」には「~自分の命を犠牲にして他者の命を救うことを肯定するような指導にならないことに配慮しながら」としつつ、次のように書かれている。「遠藤未希さんの行為を通して、任務に対する使命感や責任感、すべての人への愛情とも言える他者への思いやりなど、人間としての誇り、心の強さや気高さに焦点を当てて指導できるようにする」。

 埼玉県といえば、知事は自虐史観批判を持論とする上田清司氏。同知事はジェンダーフリーを攻撃し続ける高橋史郎氏を県教育委員長に任命したことでも知られる。それだけに、上述した教材にはどこかよこしまな意図を感じる。日清戦争で「死んでも突撃ラッパを吹き続けた木口小平兵士」の逸話を思い出すのだ。

 最近、AKBと自己犠牲の関係性を指摘する言説がちらほら出ている。「自分を捨てても他者のために」という美談がビジネスに使われる。その先には「個人の命より国家を優先」という社会が見えてくる。おぞましい。(2013/2/22)