きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

「民主主義」を都知事選で覚醒させよう

<北村肇の「多角多面」(105)>
「民主主義」を都知事選で覚醒させよう

 有権者ならだれでも選挙に行ける。開票の不正はほとんどありえない。日本では当たり前のようだが、世界に目を向ければ投票妨害や得票数操作は珍しいことではない。だが、この事実をもって「日本は民主主義国家」と胸を張れるのだろうか。選挙は多数決によって結果が出る。その点では民意が反映されている。だから「日本は民主主義国家」と言い切れるのだろうか。

 そもそも民意とはなんだろう。理想を言えばこうなる。

 あらゆる情報が開示される――市民は自由に自主的に情報を入手できる――市民同士、あるいは市民と統治権力者の議論の場がある――そのような熟議を経て、市民は自ら考え、自分なりの物の見方をつくりあげる――自立した市民の投票行動により民意が示される――議員はこの民意を尊重し政策を立て実行する

 しかし、現実と理想はかけ離れている。何よりも「あらゆる情報の開示」がされていない。たとえば、憲法9条問題。国防軍の是非を問うには、日米安保条約に対する日米の考え方の相違、自衛隊と米軍の関係などについての詳しい情報が必要だ。だが、そうした情報は得にくい。新聞、テレビではほとんど報じられない。原発についても同様である。情報化時代と言われながら、肝心な情報はなかなか手に入らないのが実態なのだ。

 その原因は大きくいって二つある。①統治権力側が不都合なことを隠蔽する②マスメディアが真実を伝えない、あるいは伝えられない――このことについてはさんざん述べてきたので繰り返すのはやめる。ただ、一点だけ強調しておきたい。真の情報を入手できない状態に置かれると、人は情緒に流されやすくなる。さらに、ムードに溺れる人が増えれば増えるほど、ますます「真実」は闇の中に消えていく。かような情緒に覆われた社会での多数決を民意と言うなら、その民意は民主主義の証しにはならない。有用な情報をもとにした熟議を経なければ、自立した市民による民意とは言えないからだ。

 私たちはいま、民主主義の根腐れに直面している。真の民意が熟成されず、社会の雰囲気で選挙結果が左右されるようでは、民主主義の仮面をかぶったファシズムの到来すら招きかねない。だからといって、「民度が低い」と嘆くことはやめよう。それはそれで、思考停止に陥るだけだ。情緒に流されている人に届く言葉を生み出したい。その点で、選挙は格好の機会だ。あらゆる場面で、あらゆる人々に語りかけよう。知りうる限りの情報を伝えよう。民主主義の覚醒は独りぼっちの行動から始まる。(2012/12/7)