きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

[この国のゆくえ15……福島原発事故は「戦争」と受け止める]

<北村肇の「多角多面」(34)>

 戦争が奪うのは無数の命だけではない。豊穣な可能性の芽も無数に奪う。その中には、本来なら大きく花開いただろう芸術家の芽も含まれる。過日、「戦没画学生『祈りの絵』展」(横浜赤レンガ倉庫1号館)」に足を運んだ。ほとんどの作品は20代の手によるものだ。カンバスの向こうから、あきらめのつかない無念の叫び声が聞こえてくる。歴史に「もし」は禁物だ。それでもなお、「もし、あの戦争がなかったら」と考えざるをえないほど、そこには、無数の豊穣な可能性の芽があった。

 会場を一歩出ると、若者や家族連れのさんざめく笑い声がそこかしこにあった。初夏らしく敷き詰められた草の上では、あどけない子どもたちが駆け回り、寝転がり、弾けている。海には観光用のボートが何隻も浮かんでいた。どこにでもある、のどかな休日の午後。

 だが、私の脳裏にはその風景にふさわしくない言葉が浮かび、増殖していた。「福島は戦争だ!」。この瞬間も「福島原発事故」という戦争は、止むことなく、収束の見込みもなく続いている。その現実に、ぞくりとした。

 15年戦争に関する書物では、「社会は平々凡々たる“日常”に覆われていた」という記述によく出会う。頭では理解しても、なかなか実感できなかった。しかし、「3.11」から3ヵ月たち、身をもって知った。あのときも、戦争は遠い世界でのできごとであり、休日の午後は、どこものどかで、空襲や、まして原爆投下など想像の外だったのだろう。政府は実態を隠蔽し、新聞は「勝った、勝った」と平然としてデマを報じ続け、多くの市民は、自らが戦争の渦中にいることに気づかなかったのではないか。

 横浜の草地ではしゃぐ子らは確実に放射線を浴びている。すでに“戦地”は関東、あるいは日本全土へと広がっているのかもしれない。原発との戦いは膠着状態と言われるが、一進一退は何を意味するのか。放射性物質が依然として流出しているということにほかならない。しかも確実に堆積し続けている。いつかある日、政府もマスコミも福島原発事故が戦争であると認めざるをえなくなるはずだ。しかし、その時にはもう遅い。

「戦没画学生『祈りの絵』展」の出品作は、長野県上田市にある「無言館」の所蔵品だ。死を迎えた人間には「無言」しかない。だが、作品は雄弁に戦争を指弾し、命の崇高さをもの語る。生きている私たちに「無言」は許されない。戦争を戦争と受け止め、大きな声で訴え、叫ばなければならない。福島の、そして世界の子どもたちを守るために。あらゆる豊穣な可能性の芽をつぶさないために。(2011/6/17)