きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

「日本は変わる」のか

シジフォスの希望(34)

 有権者の審判が下った。第45回衆院議員総選挙は民主党の歴史的な圧勝である。「地殻変動が起きた」「日本は変わる」などの反応がマスメディアを通じて流されている。本当に「日本は変わる」のか。具体的な選挙結果の分析などは新聞各紙などがやるだろうから、民主主義あるいはデモクラシーについて違った観点で考えてみる。

 ここまでさかのぼる必要はあるだろうかと思いながらも、デモクラシーの原点から始める。古代ギリシャの哲学者プラトンは2400年ほど前、その著書『国家』の中で、理想国家についてこう書いた。「統治者、軍人、職人(民衆)の3階級からなる」ものとしての理想国家は、それぞれ能力を発揮できる領域があり、政治はその専門家である統治者に任せるべきである、と。財力や家系などによる社会のごく少数が権力を握る、いわゆる寡頭制だ。デモクラシーの語源といわれる古代ギリシャの「デモス」とは、都市国家(ポリス)を構成する部族あるいは共同体地域のことだが、人口の大半を占めるのは奴隷であった。

 フランスの哲学者ジャック・ランシエール(1940年~)は言う。デモス出身者とは「計算外の人、話す存在だと計算されていないのに話す人のこと」という侮蔑的な呼称として使われており、「デモクラシーとは、最下層民による統治、(略)つまり、名門の出でもなく、財産も社会的威信もなく、特別な学もない人々」による統治を意味するという(『民主主義への憎悪』2008年7月、インスクリプト刊)。デモスと侮蔑される「言葉なき人々」「取るに足らない人々」「分け前なき人々」が声を上げ、分け前(富や権利)を求め、生活の絶対権力を少数の権力者から奪い取って「公的領域を拡大するプロセス」、それが民主主義だとランシエールは定義する。

 さて、今回の民主党の圧勝は、戦後一貫して天皇制絶対主義の亡霊を基盤とした地縁や血縁、世襲や業界利権などによる寡頭制政権を維持してきた自民党に代わって、日本における事実上初めてのデモクラシーの発現ということになるのだろうか。それとも……。

 英国の作家バーナード・ショーがデモクラシーについて、こんな言葉で皮肉っている。
「デモクラシーというものは、腐敗した少数の権力者を任命する代わりに、無能な多数者が選挙によって無能な人を選出することである」(「革命主義者のための格言」より)。

 今回の選挙結果がそうだということではなく、05年の郵政選挙で自民党に入れた無党派層がある種の雰囲気(「風」)によってごっそりと移動しただけであれば、10月の参院議員補選や来年6月の参議院議員選挙で、再び違う方向へと流れる可能性もある。「日本は変わる」かどうかより、どのように変わるのかが問題なのだ。
                       〈2009年8月31日、片岡伸行〉