きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

拓殖大学はある意味、セーフティネット

1月10日、あのアルベルト・フジモリ元ペルー大統領が「テロ対策」の特別講演をするというので、東京茗荷谷の拓殖大学に本誌の竹内一晴記者と私は訪れた。内容などについては詳しくは、本誌1月18日号の記事を見てください。

私にとって拓殖大学の思い出と言えば、小学生の時に進学塾の「四谷大塚」の毎週日曜にあった試験会場ということと、友人が部室でちゃんこ鍋を馳走になったという強くて有名な相撲部(朝潮<若松親方>や旭富士<宇治川親方>などの出身校)くらいだ。

現地に着くと大学正門前で在日ペルー人たちとNGOのピースボートが抗議をしていた。

一方で、大学側の警備員が配備されており、閉じられた門の格子の向こうから「うるせえー」と大学生が市民運動を冷やかしているようだった。

ここまでは、よくある光景だ。

いささか驚いたのは拓殖大学の学生の反応だ。

「このサヨク!」

「朝日(新聞)の手先か、おまえら」

「てめえ、顔を覚えたからな」と30人くらい群がって叫んでいたのだ。

「なんだかイデオロギッシュな学校やなー」と思わずにはいられなかった。

国士舘大学と並んで都内では、バンカラで鳴らした校風でもある。しかし、そんな体育会系の学生ではなく、茶髪・キンパツ・ピアスのどちらかというと「ちゃらい」感じの学生が、当たり前のように叫んでいるのである。

体育会系ともぜんぜん関係ないようなチャパツのアンチャン風が「このサヨク!」と心からの絶叫している光景。これを校風と言っていいのだろうかわからないが。

「ある意味、知的教育受けているな」と変な感心をしてしまった。

ということで、拓大関係の「有名人」を少々調べてみた。

拓殖大学関係者で有名人といえば、「つくる会」系の『南京事件』(中公新書)などの著作を持つ秦郁彦元教授や井尻千男拓殖大学日本文化研究所長、などそのスジの有名人は多い。

今ならWTCテロ以来、テレビによく出演している森本敏教授(安全保障論)もいる。吉原恒雄教授(安全保障論、国際関係論)も国防研究会?のJFSS(日本戦略研究フォーラム)も理事でもある。

とどめは拓大総長の小田村四郎氏。彼は右派の組織でもある「日本会議・日本会議国会議員懇談会」の副会長である。そのほか、日本会議と拓殖大学のつながりは深い。

政治家と言えばKSDで捕まり、天皇陛下在位10周年式典の“立て役者”であり、自らも「参院の天皇」とも呼ばれた村上正邦元参院議員。この家族主義者が去ったので選択的夫婦別姓が自民党内でも論じられるようになったと言われている。

あの鈴木宗男衆院議員も拓大政経学部在学中より、石原慎太郎東京都知事の所属した自民党タカ派グループ「青嵐会」などで知られた故・中川一郎元農水大臣の秘書をしていた。中川一郎氏の息子の中川昭一氏も歴史教科書問題を通じてタカ派として知られているし、前述の「日本会議国会議員懇談会」の会長代行を務めている。

小泉首相の靖国参拝を腰砕けと叱る元保守党・自由党の安倍基雄元衆院議員も客員教授。

中でも重鎮は、第12代拓大総長を務めた中曽根康弘・元“大勲位”総理大臣だろう。

中曽根元首相の秘書を務めた渡辺秀央元衆議院議員・現(財)世界平和研究所理事も拓大卒だ。

中曽根首相の顧問を務めていた文化人の加瀬英明客員教授は、映画『プライド・運命の瞬間』製作委員会代表,映画『ムルデカ・17805』製作委員会代表でもあった。

加瀬さんはそのほかにも“リッパ”な肩書きを驚くほどたくさん持っています。

上記の人物以外にも中曽根元首相関係者で拓大のお世話になっている人物は多い。「中曽根学校」ですな。

ここまで書いてきて、なんだか気持ち悪くなってきた。

まるで外国に旅行して自分って日本人だった、日本が恋しい、とあらためて確認したような気持ちでしょうか

以上の「改憲派」以外にも、拓大はもちろん多様な人材を輩出している。

しかし、拓大ブランドというのは一部のジャンルの人脈にとって居心地のいいセーフティネットになっているには違いないだろう。

*マカロニほうれん総研は自発的趣味的なシンクタンクです。
(平井康嗣)