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「普通」という「個性」が起こした投票一揆

 これからは、「普通」や「フツー」が流行すると密かに思っている。「周りの人より抜きんでようと考えたら疲れる。それよりフツーの自分でいることが素敵」といった感じだ。これはこれで、多少の真理は含んでいる。弱肉強食社会への反旗と言えないこともない。しかし、ことは、そう単純ではないのだ。

 もし「私は普通の人間だ」と思いこんでいる人がいたら、それこそ普通ではない。どう考えたって、「普通の人間」なんて存在しようがないからだ。何となく多数派に属していることを「普通」と表現しているだけで、実際は、百人の人がいたら百通りの「普通」がある。このことこそ、絶対的な真理である。

 言い換えれば、「普通」とは「個性」の代名詞だ。戦争の出来る国を「普通」と考えているらしい安倍首相は、このことがわかっていない。一方、有権者は、価値観の多様性を認めず排除思想につながる、エセ「普通」であると見抜いた。

 参院選で与党が大敗するのは、各メディアの世論調査結果で予想がついた。それでも、いくつかの選挙区では、調査と違う結果が出た。何よりも、投票率が事前予測より高く、これが「意外な結果」を生んだのだ。

 たとえば、東京の投票率は57%を越えた。統一地方選と重なる亥年選挙は低い投票率が常識。しかも夏休み本番。個人的には50%を切るとみていた。だが、世論調査に対し「まだ候補者を決めていない」と答えた人のかなりが、投票所に足を運んだのだろう。データ上は「不利」と出ていた川田龍平さんを浮上させたのも、そうした票と思われる。

 同じく東京では、ダントツトップのはずだった鈴木寛さんより、同じ民主党の大河原雅子さんが票を伸ばした。川田さんも大河原さんも、集票マシーン的な組織をもたない。選挙のプロやマスコミでは把握できない、「普通」という「個性」の人々が、かような候補者に一票を投じたのである。

 惨敗したにもかかわらず居直った安倍首相には、もはや何を求めても無駄だろう。だが圧勝した民主党もうかうかしてはいられない。小沢代表がかつて強調していた「普通の国」の「普通」も、高見に立った「普通」でしかない。どんな組織とも無関係で、どんな組織にも守られない、自由だが不安定、そんな「個性」の起こす一揆があることを、ゆめゆめ忘れてはならないのだ。(北村肇)