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テレビ局と電通は、「阿吽の呼吸」で利益を“二人占め”している

「阿吽の呼吸」だそうだ。「首相は靖国参拝をしない」という外交上の“約束”があったと中国に暴露された日本政府は、最初は否定、次いで「阿吽」と言い換えた。なんともみっともない対応。鼻白んだのは私だけではあるまい。そもそも、阿吽の呼吸は、「なあなあ」と「まあまあ」の国でこそ威力を発揮する。

 ところで「阿」と「吽」の間には上下関係があるのだろうか。「阿」は万物の初め、「吽」は終わりを意味するが、といって「初め」のほうが偉いわけでもない。ところが、広告の世界ではそこにはっきりとした序列がある。業界トップの電通が、力の弱い広告主などと「阿吽の呼吸」で契約を結ぶとき、「阿」の電通の意向が常に優先されるのだ。

 理解しにくいかもしれないが、広告業界では時に、億単位の契約ですら口約束で交わされたりする。契約条件が「暗黙の了解」で決まったりもする。正式な書類を交わさないので、後で問題が生じる危険も大きい。だから、口約束とはいえ、両者は言い分をしっかり伝えておかなくてはならない。しかし、電通がからむと、「吽」の広告主が自己主張することはまずない。力関係が違いすぎる。極論すれば、ルールをつくるのは電通であり、周囲はそれに自分を合わせるしかないのだ。

 この歪んだ電通支配構造の解明に、いよいよ公正取引委員会が立ち上がったことは本誌先週号で報じた。早ければ年内にも、何らかの改善に向けた動きが出てくるものとみられる。さらに今号からは、「大メディアの正体」第二部でテレビ局を取り上げる。実は、電通の一人勝ちを許している原因の一つに、テレビ業界の「丼勘定」があるのだ。かつて「テレビCM間引き事件」が起きたとき、広告主はしばらく、間引きの事実に気がつかなかった。きちんとした契約書もない世界のこと。いつ、どの番組の前後で流されたのかというデータすら、広告主に伝わらないケースがあったという。テレビCMに関しては「多くが電通のさじ加減でことが進み、テレビ局は黙認」というのが実態とされる。

 そのテレビ局。番組制作現場では、担当職員のさじ加減が大きな意味を持つ。このことが、金銭をめぐる不祥事の温床になるとともに、下請けいじめにもつながっているのだ。電通とテレビ局の体質は、神社などにある、あの「阿吽」を模した一対の狛犬のごとしか。こちらはみごとに、似たもの同士、「阿吽の呼吸」で利益を“二人占め”している。(北村肇)