きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

◆自民党に勝つためにすべきことは◆

〈北村肇の「多角多面」134〉

 いつの選挙も死票ばかりと嘆く知人が多い。小選挙区制のもとでは、時の与党候補に投じなければ、かなりの確率で死票になる。選挙結果をみては「正義がなぜ通じないのか」と愚痴る知人も数知れず。

 そろそろ認めなくてはならない。「正義」を掲げた途端、多くの、本当に多くの有権者にそっぽを向かれるという現実を。なぜ正義はここまで嫌われるのか。最大の理由は偏狭だからだ。この枠から外れたら悪ですと言われているような気がする――たびたび若い人(20代~40代初め)から指摘される。正義は敷居が高すぎるのだ。

 投票権を得てから40年以上、自民党に投票したことはない。結構な年齢まで、同党に1票を投じる人の神経がわからないと公言していた。当然、友人には皆無。極論すれば、自民党支持者は“別の世界の人”だった。

 ある程度、自分を客観視できる歳になって、はっとした。「私は正義の革新派、あなたは本質のわからない保守派」。こうした発想は、突き詰めれば排除主義そのものだ。自民党に投票しただけでその人の「人格を疑う」と言い放つ人間にだれがついてくるのか。

 正義に基づいた言説は必ず社会に浸透する。そう思いたい。でも、そうはならない。そもそも正義は唯一無二ではない。みんなで「私の正義」を押しつけあうのが人間社会の実相。私の考える正義が本当にそれに値するかどうかだって、絶対の自信はない。

 自民党の強さは、皮肉にも正義の押し売りをしないことにある。「正義より利益」が同党の基本的な哲学だ。個人でも企業でも団体でも自治体でも、利益は具体的でわかりやすい。その利益を提供し見返りに票を得ることが自民党の“生きる道”だ。

 人間は欲の塊だと断じてしまえばことは簡単。その場合の「欲」はカネにつながる。しかし、私は「他者の痛みを感じ他者のために働く。あらゆる他者の人権を尊重する」という欲も人はもっていると確信する。この欲こそが私にとっての正義であり、それは押しつけによって発揮されるのではなく、いろいろな体験を通じ自然にわき上がってくるものだ。

 自民党支持者にも例外なく痛みはある。革新派の一員と任じる私がすべきことは、彼ら/彼女らの痛みに寄り添うこと。それができない限り、自民党に勝利する日も、私の求める正義が正当な地位を占める日も訪れないだろう。(2013/7/19)