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都知事選の選択――「やさしさ」なのか「つよさ」なのか

<北村肇の「多角多面」(104)>
「やさしさ」と「つよさ」のたたかい。29日告示された東京都知事選をそうとらえてみる。石原慎太郎前知事は常に「つよさ」を全面に掲げた。あえて解説するまでもなく、本当の「つよさ」ではない。だが、困ったことにこの戦略は功を奏してしまった。あれだけの暴言、放言を連発しながら高い支持率を保ったのは、傍若無人ぶりを「つよさ」に見せかける戦略があたったからだ。

「やさしさ」で思い出すのは美濃部亮吉氏だ。1967年から3期の都知事時代、老人医療費無料化や高齢住民の都営交通無料化といった福祉政策を次々と実践、絶大な人気を誇った。だが、都財政が悪化するにつれ、「バラマキ政策のつけだ」と激しい批判にさらされた。確かに財政悪化は事実だ。しかしオイルショックという避けられない要因もあった。それより何より、「やさしさの政策」を実現するために収支バランスをとるのが官僚の仕事。私には、バラマキを可能にするための知恵を出さなかった官僚のサボタージュとして映る。

 民主党政権もまたバラマキ批判の洗礼を受けた。「コンクリートから人へ」という「やさしさ」は財政悪化の前にこなごなに踏みにじられた。ここにも官僚の不作為がある気がしてならない。本格稼働への道筋がまったくたっていない高速増殖炉「もんじゅ」には、1日5千万円の税金が注ぎ込まれている。こうした無駄遣いこそ本当のバラマキだ。「宝の山」はあるはずだ。政権が「この政策は必ず実施する。そのためのカネを生み出せ」と指示すれば、官僚は必ずアイディアを持ってきただろう。要は、足下を見られていたのである。

「つよさ」を打ち出す政党や候補者は、「やさしさ」を訴える候補者に対し「現実味のない政策だ」と攻撃する。それこそ根拠のない中傷だ。皮肉ではなく、都庁の官僚は極めて優秀である。都政の基本理念が「やさしさ」ということになれば、それに即した政策をいくらでも具現化するだろう。

「つよさ」に憧れる有権者の方に言いたい。この国はいま、奴隷制に侵されている。歴史を振り返れば、権力者は、奴隷の中に階級をつくり奴隷同士で反目させることで反乱を抑止した。現代社会の「勝ち組1%」も同じ手を使う。「生活保護をもらってぜいたくしているのは許せない」という風潮など最たるものだ。さらには、「敵」をつくりその「敵」と戦わせることで存在を承認するという手法も変わらない。ただ過去と異なるのはムチを使わないことだ。もっとたくみに情報を使って人々の心に入り込み支配する。人間を駒としか扱わない「つよい人」に従うのか、いのちを尊重する「やさしい人」と一緒に、暮らしやすい街をつくるのか。都知事選は私たちにその選択を迫る。(2012/11/30)