きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

グレイクリスマス

シジフォスの希望(36)

「雪は、ゴミ溜めも焼け跡も、汚いものをみんな隠してくれます。だから雪の降らない、美しくないクリスマスをグレイクリスマスと言います」(公演のチラシより)――久しぶりに生の舞台を観た。東京・六本木の俳優座劇場での公演『グレイクリスマス』(作・斎藤憐、演出・高瀬久男)である。

 1945年、敗戦の年のクリスマスから物語は始まる。GHQ(連合国軍総司令部)による日本占領と民主主義政策の狭間で揺れる旧侯爵家「五篠家」が舞台だ。進駐軍相手のホステスとなって一家を支えようとする妻・華子と、日本の「ピープル」に民主主義と憲法の精神を伝えようとするGHQ内部組織「民政局」に共感する日系米国人将校のジョージ・イトウを軸に、さまざまな人間模様が描かれる。物語は1950年の朝鮮戦争までの5年間だが、進行役的なヒール「権堂」の素性も最終盤で明かされ、この国の戦前からの姿も浮かび上がってくる仕掛けだ。

 『グレイクリスマス』の初演は1984年である。主演の華子を最初に演じたのは渡辺美佐子さん、次に奈良岡朋子さん、そして今回、3代目として三田和代さんが演じた(この三田さんの演技と存在感が素晴らしかった)。

 舞台上で語られる、憲法や民主主義をめぐるさまざまな問いかけや希望や絶望は、時代設定として日本国憲法誕生あるいは草創期の事柄である。しかし、これらの問いかけや希望や絶望は、60数年を経た現在も古びていない。それどころか、現在の時代状況をより鮮明に映し出し、未来をも照射するものとなっている。まさに、「歴史とは現在と過去との対話」(エドワード・H・カー)である。

 俳優座劇場での公演は12月20日(日)まで。多くの「汚いもの」を抱え込んでしまった「戦後民主主義」のグレイクリスマスが、もうすぐやって来る。(2009年12月18日・片岡伸行)