きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

〈「坂の上の雲」のまちづくり〉への違和感

 4月24日号の「金曜日から」(編集後記)に次のように書いた。
〈愛媛県松山市が、司馬遼太郎の小説を基に進めている〈「坂の上の雲」のまちづくり〉に違和感を持ち続けてきた。民俗学者、宮本常一について佐野眞一さんが語った言葉から、違和感の原因がよくわかった〉。
 編集後記でお約束したとおり、この問題についてさらに詳しく書きたい。

 佐野さんの言葉を読んだのは、『宮本常一のメッセージ――周防大島郷土大学講義録』(みずのわ出版、2007年発行、1575円)。5人の講義が収録されており、佐野さんの講義はその1番目にあたる。編集部内での配置替えに伴い、机周りの資料を整理していて再読した。

『東電OL殺人事件』や『カリスマ』などのノンフィクションで知られる佐野さんは、自らの取材・執筆姿勢を述べた後に次のように語る。
〈宮本常一の精神ってのは一体何か。僕はよく言いますけども「大文字で語るな」ということなんです。たとえば、僕は小泉純一郎というのは始めっから嫌いでして、なぜかと言うとすべて大文字なんです。「改革なくして成長なし」と。始めは騙されるっていいますかね、なんか口当たりがいいから。しかしよく考えてみると、何も言ってない。それがだんだん化けの皮が剥がれてきた。格好はつけてるけれども、人の胸に落ちない、感動させない。そういう言葉を僕は「大文字言葉」と呼んでいます〉

 松山市は「『坂の上の雲』まちづくり 基本理念」(http://www.city.matsuyama.ehime.jp/sakakumo/1177933_912.html)のなかで〈この時代の人びとは、前のみを見つめて歩き、のぼってゆく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて坂をのぼっていくというのだ。これが「坂の上の雲」という題名の由来となっている。〉と記しているが、これこそ「大文字言葉」の典型ではないか。2003年1月31日、第156回国会の施政方針演説で取り上げるなど、小泉純一郎氏が〈「坂の上の雲」のまちづくり〉を好きなのも当然と言えば当然なのだ。

 では、大文字言葉がどうしてダメなのか。前出の本で佐野さんはこう書く。
〈「ふるさとをよくしよう」なんてお題目を唱えたってよくなりっこないですよ。お互い、たとえば隣に住んでる人間がどういう人間で、どういう志を持ってるのか、その志は手を携えることができるのか――お互いが知り合うことがなければ、そんなもの絵に描いた餅ですよね。人と人の関係だけじゃなく、人と地域の関係もそうですね。自分が生まれた地域って一体どういう地域なんだと言うことを知らない限り、地域を良くしようと言ったところで、それは結局のところお題目に過ぎない〉

 小説で描かれる正岡子規や秋山好古・真之兄弟について、松山には多くの一次資料がある。もし3人を顕彰するというのであれば、それらの一次資料を丹念に掘り起こせばよい。小説という虚構の世界に頼ってまちづくりを進めようとするから危なっかしくなってしまうのだ。一次資料から市民一人ひとりが歴史を発見していくのではなく、大小説家がつむいだ物語に地域をあてはめるとはなんと愚かしいことか。

 だから、展示も「実物」に乏しくなりがちだ。ほんの一例だが、総事業費約30億円とされる「坂の上の雲ミュージアム」の目玉の一つが、「新聞の壁」(『産経新聞』に1296回連載された新聞記事を展示、3階~4階のスロープ)とはイタすぎる。

 実は、〈「坂の上の雲」のまちづくり〉は、中村時広・松山市長(49歳)の強力なリーダーシップによって進められている。地元に詳しい記者は「中村市長は出身小学校や中学校・高校を公開していません。父親の時雄氏が長く国会議員をしていた(のちに松山市長)関係で、東京で育ったと言われています。少なくとも松山で子ども時代を過ごしたという話はあまり聞きませんね」と言う。もしもそうだとすれば、そして松山を皮膚感覚で知らない人間が小説によって仮想空間としての「松山」にあこがれたのだとすれば、悲しい。中村市長は実直でまじめな人柄だが、やはりまちづくりが「本末転倒」に陥っているとすれば、それは批判しなければならないと思う。