きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

裁判員制度と徴兵制(上)

シジフォスの希望(18)

 全国29万5000人に先週、裁判員候補となる「通知書」が届いた。2009年5月からスタートする裁判員制度の目的は、市民の日常感覚や常識を裁判に反映する、司法に対する国民の理解と信頼の向上を図る――ことにあるという。
 なるほど。不当逮捕や冤罪や裏金作りを繰り返す警察の発表をそのまま垂れ流すメディアの情報を、日夜これでもかと浴び続けている「市民の日常感覚や常識を反映」することが求められているらしい。司法はよもや松本サリン事件を忘れてはいまい。そもそも死刑判決を含む裁判の場に素人を強制的に引き入れることは、司法の役割放棄ではないか。

 人権を守るための、マイノリティを含めた司法参加には異論はない。行政訴訟に限って。ただ、この制度では、税金を払っていても日本国籍がなければ裁判員に選ばれない。ここには巧妙に仕組まれた国家的作為があると私は見ている。結論から言えば、裁判員制度は徴兵制に似ている。その下準備ではないかとの疑念も捨てきれない。飛躍していると言う諸氏もいるだろう。本当に飛躍なら、それはそれで望ましい。しかし飛躍でなければ……。上・下にわたり理由を述べる。

 まずは、その仕組みの概略。
 選挙管理委員会がくじ引き(なんで、くじ引き? 宝くじに慣れ親しんだ多くの人に、この確率で1億円が当たればなどという筋違いの期待を与えるためか。つまり、当たることすなわち幸運という刷り込み)で選んだ名簿から、さらにくじ引きで事件ごとに裁判員候補者が選ばれ、裁判当日の6週間前までに裁判所から呼び出し状が送られてくる。原則として辞退できないが、70歳以上の人、学生、「一定のやむを得ない理由」のある人については、裁判所が認めれば「辞退」を許される。要するに半ば強制であり、出頭は義務なのである。出廷を拒否すれば「10万円以下の過料(行政罰)」(112条)が待っている。
 「徴兵制に似ている」と言った理由の、ほぼ半分がここで説明される(つづく)。       2008年12月6日(片岡伸行)