きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

「テロ」という言葉

シジフォスの希望(17)

 ドイツ語で「恐怖」を意味し、政治的な目的を果たすために直接的な暴力や脅威に訴えることが、用語としての「テロリズム」の定義である。

 11月18日にさいたま市と東京都中野区で発生した殺傷事件の報道をめぐり、同日夜の新聞各紙のネットニュースをはじめ翌日の朝刊の見出しに「年金テロ」「政治テロ」の見出しが躍った。「厚生行政に絡む連続テロとの見方が強まっている」(19日・産経新聞)。つまり「テロ」だとほぼ断定したのだ。

 これに応じるように「政治的に狙ったテロだとすれば許し難い」(19日・舛添要一厚労相)とのコメントが流され、警視庁は同日「公安と組織犯罪対策部門との連携強化」を指示する。

 この間、鳥越俊太郎さんや大谷昭宏さんらが「本当に年金テロなのか」という疑義を呈していたが、新聞・テレビなどの大メディアではおおむね「テロ」という政府や警察庁の見方を垂れ流した。

 そして23日、コイズミという容疑者が出頭し「昔、保健所にペットを殺され腹が立った」「年金行政をねらったのではない」と供述すると、「テロ」という言葉が消えた。

 銀行マンにとっての預金・貸し金額と契約、俳優にとっての台詞や衣裳、医師にとっての薬やカルテなどと同様、ジャーナリストおよびメディアに属する人間にとっての生業(なりわい)の基本は言葉である。その事象を表現するための、少なくとも誤解や予断を与える用語を使ってはならない。預金額や台詞を間違ったり、異なる薬や病名を使ったりすれば、それは即、プロではないことの証明になるように。

 麻生宅見学ツアーでフリーター労組員ら3人を不当逮捕(10月26日)したばかりの警視庁・公安警察にとってみれば、統治権力に歯向かうような行動をとる者すべてに「テロリスト」のレッテルを貼ることができれば、誠に都合のよいことだろう。

 言葉のプロである警視庁記者クラブあるいは全国紙の社会部のみなさま。あなた方は、事件の捜査も始まったばかりの時点で「年金テロ」「政治テロ」との言葉を使用した理由を説明すべきではないか。まさか「警視庁がそのような発表をしたから」というわけではないだろう。それではただの、権力の補完装置になってしまう。警察に先行した独自の取材・調査によって、「テロ」という言葉を使用するに足る、さぞかし重要な情報を掴んでいたのでしょうね。    (片岡伸行・2008年11月24日)