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第24回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」佳作入選作

外食流民はクレームを叫ぶ
大手外食産業お客様相談室実録

 ガンガーラ田津美

 四十二歳、既婚、一子あり、夫の国籍スリランカ。過去五年間、夫の収入はほぼゼロ。
生活のために、私は大手外食産業のお客様相談室に勤務している。時給一二〇〇円。各種手当てなし。五歳の子供を保育園に送った後、私は職場に向かう。そして、朝九時から夕方の六時、あるいは昼の十二時から夜八時まで、ヘッドセットをつけて電話を待つ。その内容は九割が苦情である。
私の仕事は、いわゆるクレーム担当者だ。
「今店行ったら、店員がいらっしゃいませも言わなかったぞ。おまえら、ふざけすぎだろ。食わないで店出てきたからな。チェーンがでっかいからって、つけあがってんじゃねえぞ。すぐ俺の家まで謝りに来い!」
「カレー弁当にスプーンがついてなかったわよ。どうやって食べろって言うのよ! 子供の運動会で食べようと思ったのに、食べられなかったじゃないの。運動会がぶちこわし。カレー代全額返金してよ」
「キムチチャーハンに髪の毛が入ってたけど? あり得なくない? あんな不潔なの食べられるわけないっしょ。どうしてくれるのよ」
「ゆで卵にひびがあります。不衛生です。御社の衛生管理はどうなっているのでしょうか。サルモネラ菌に私が感染したら、御社は全責任を負ってくれるのでしょうか?」
 日によって差があるが、私が一日に対応するクレーム数は二十本から二十五本。最初は、一本のクレーム対応を終えた後、次の電話を取るのに少々息継ぎの時間を必要としたが、五年間勤務した今では、電話を切ると同時に次のクレームを聞き始めている。
クレームからクレームへ、私の業務は人々の怒りと不満を延々と聞き続けることだ。

〔ファミレスはママの味 子・母・祖母 外食産業三世代利用者の生態〕
月曜の朝、三本目の電話は、三十代前半と思しき母親からだった。
「あのさ、お子様ピラフどうなってんの? 量が多すぎて、子供が食べられなかったじゃん。おかしくない? お子様ピラフじゃないじゃん、あれ。あたしは、いつもご飯を残しちゃ駄目って子供に教育してるわけぇ。それが、あんな量出されたら、二歳の子供が食べようにも食べられないじゃん。泣きながら全部食べたのよ、うちの子! しかも、ピラフの上に立ててある旗が、写真と違って傾いていたんだけど? メチャクチャ乱暴に突き刺した感じでさ。雑すぎじゃん。うちの子、半泣きになってたんだけど? しかも店員にそれを言ったら、謝りもせずポカンとしてるわけぇ。もうさ、よそのファミレスじゃ、こんなこと全然ないし」
 彼女は甲高い声でヒステリックにまくしたてる。そうですねえ、そうですよねえと、最大限の共感を演出しながら、私はデータのみを抽出していく。受電時間:朝十時半、来店日時:日曜日の午後、人数:母親と子供二人(一名は二歳)、注文品:お子様ピラフセット、来店頻度:高、クレーム内容:ポーション(商品量)とアピアランス(商品外観)について、怒りレベル:高、要求:ポーションの変更、アピアランスの改善。
以上の内容をパソコン上のクレームシートに入力し、怒れる母親の言い分をひたすら聞き続ける。
十分ほど共感の相槌を打つうちに、彼女の怒りはだんだん治まってきた。
「あたしもこんな電話かけたくなかったわけぇ。なんか、クレーム言う人みたいに思われたくないし……。でもぉ、母親として、子供が嫌な思いして、許せなくて。そうでしょ? うちの母親も、おたく(のレストラン)が好きで、小さい頃良く連れて行ってもらったんだけど、やっぱ残さず食べなさいって教えられて。だからあたしも子供たちに食べ残しさせたくないし。ねえ、あのピラフの量、子供には多すぎだよね、やっぱり」
 怒りをぶちまけてしまうと、多くの人が共感を要求してくる。怒ったことへの気まずさと、自己正当化の欲求ゆえだ。私は言う。そうですねえ、本当にそうですねえ。おっしゃる通りです。不愉快でしたよねえ、お子様も嫌な思いをなさりましたよねえ、お母様としては切ないですよねえ……。そして、思うのだ。三世代に渡ってファミリーレストランでの食事を常としてきた人間は、こういう思考回路を持つに至るのか、と。
二歳児を連れて頻繁に外食をすること、冷凍ピラフをレンジで温めただけの外食メニューを昼食として幼児に食べさせること、その量が多すぎると異議申し立てをすること。これら全ては、この専業主婦と思しき三十代の母親が、自宅でみずから料理し、自分の子供が食べられる分だけを盛りつければ済む問題だ。しかし、彼女にその発想はない。彼女の思い出の食卓は、母親が連れて行ってくれたファミレスだからだ。
この三十代の主婦のような三世代に渡る外食産業の利用者は、お客様相談室の常連でもある。
彼らは、自分がお得意様であるという特権意識を持ち、外食の場が自宅の食卓の延長であるかのように、自己都合を押しつけてくる。
ある五十代の女性は、小学生の孫が塾に行く前に食べさせたいと、牛丼を持ち帰りした。ところが店は混み合っており、孫の塾の時間に間に合わなかった。それを理由に、この五十代の女性の娘、つまり小学生児童の母親は、「牛丼を返すから返金しろ」と店に怒鳴り込んできた。問題の牛丼は、既に五十代の祖母が半分食べてしまっているのに、だ。
体調の悪い母親のため、早朝に鰻弁当を購入した三十代の女性は、午後になって「弁当を交換して欲しい」と電話してきた。理由は、「母親がずっと眠っていて弁当を食べられず、御飯に鰻汁がしみ込んでぶよぶよになってしまったから」だ。出来かねる旨を伝えると、女性は苛立ちをあらわにし、「鰻弁当に高い金を払った。まだ全然口をつけていないのにもったいない。鰻が無理なら他の弁当と取り替えて欲しい」と、通らぬ理屈を述べ立てた。十五分以上説明しても彼女は納得せず、「返金しろと無理を言ってるんじゃない。食べていない弁当を交換して欲しいだけなのに、どうして出来ないのか? いんちき商売だ。食べられない弁当を売ったと、消費者センターに電話する」と電話を叩き切った。
勤務先から電話してきたある母親は、「おじいちゃんと子供にカレー弁当を買いに行かせたら、チーズトッピングが入っていない。子供と年寄りだから馬鹿にしてるんだろう。子供はチーズが載っていないと食べられない。今すぐ、チーズカレーを作り直して自宅まで届けろ。あたしは仕事中で忙しいんだ」と一方的に喚き立てた。椎茸のたっぷり入った中華丼を頼み、「孫は椎茸アレルギーがあるから、一個残らず椎茸を取り除いてくれ」と、涼しい顔で頼む祖母もいた。
同様のケースは数え切れないほどある。彼らに過剰な要求をしている自覚はなく、むしろ正当なサービスが受けられない自分たちが被害者であるかのような話しぶりだ。要求が受け入れられないと、消費者センターや保健所、公正取引委員会まで持ち出してくる。
外食産業三世代利用者をここまでの怪物に育て上げたのは、言うまでもなく、巨大外食産業の側だ。お客様第一主義を謳い、安いレトルト食品を三食腹に詰め込む顧客たちを、あたかも最上級のお客様であるかのように遇してきたからこそ、彼らはつけ上がり、誤った自己イメージを持つようになってしまったのだ。お客様相談室もまた、それを助長すべく存在している。
お客様相談室のモットーは、あくまでもお客様第一主義だ。
クレーム担当者は、外食産業三世代利用者の理不尽で無茶な要求にも、心からの謝罪と今後の改善を約束せねばならない。「またご来店頂けるよう、最善の努力をさせて頂きます」「貴重なご指摘、本当に有り難うございます」「わざわざお電話頂けて嬉しいと思います」等々の基本フレーズを、私たちはオウムのように繰り返す。それによって、外食産業三世代利用者たちは自分の正しさを再確認する。そして再び彼らは店に出向き、サービスの粗を見つけては、お客様相談室に電話してくる。

一日八時間、こういった人々からの電話を二十本から二十五本受け、要求に次ぐ要求を聞かされていると、何が正しくて何が間違っているのか、段々分からなくなってくる。既に世の中の価値観は変わり、こういう要求もありなのか? 外食産業はそれに応えるのが常識なのか? などと思い始めてしまうのだ。それはある種の洗脳に近い。
どこまでも要求の幅を広げてくるお客様に対し、無論、会社側は対応のマニュアルを準備している。どこまでが許容可能でどこからが不可能か。しかし、現場で要求を突きつけられるクレーム担当者たちは、常に揺れ動く。マニュアルでは、「食べなかった鰻弁当」の交換・返金など出来ないことになっている。しかし、延々とクレームのシャワーを浴びるうちに、「返金するのが正しいのではないか」と思い始めてしまうのだ。あるいは、自分で持ち帰る途中でカレーをこぼしたお客様に対し、マニュアルでは「お渡し後に起こったことは、自己責任のため対応できない」と答えるようになっている。しかし、「こぼれやすい容器を使った店の責任」だの「こぼれるから気をつけて下さいと注意してくれなかった店員の不手際」などと主張するお客様に対し、クレーム担当者は、次第にどちらの過失なのか分からなくなってしまう。何が正しくて何が間違っているのか? 完全に混乱し、パニックに陥った挙げ句、絶句となる。
人間、三十分以上も一方的に怒鳴り続けられれば、まともな判断力がなくなって当たり前だろう。そもそも、クレーム担当者などとは名ばかりで、電話を受けているのは、何のスキルもないアルバイト・パートたちなのだ。

〔コストダウン地獄 疲弊する現場と殺気立つ顧客〕
平日のクレーム電話の大半は、昼時と夕飯時に集中する。ほとんどは、持ち帰り弁当の内容が足りないという「入れ忘れ」クレームだ。箸やスプーンの入れ忘れ、あるいはサイド商品のみそ汁やサラダが入っていなかったと、昼休みの男性客や夕飯を持ち帰った主婦から電話が殺到する。弁当の大量注文で数がそろっていなかったというケースも多々発生する。
限られた昼休みに、さっさと食事を済ませようと思っていた男性たちは、「早く早く」と殺気立ち、入れ忘れ商品を職場まで届けるように命令する。「五分以内」にと時間指定するサラリーマンもいれば、「トラックで移動中だから、次のパーキングエリアまで持って来い」と無茶を言うトラックの運転手もいる。「箸がなくて食えねえぞ」と怒号する工事現場の建設員は、自分のいる場所の住所がわからず、「でっかいパチスロ屋のそばだからすぐ来い」と不可能な要求をつきつける。「場所がわかりませんので」と、言おうものなら、「俺の昼飯どうしてくれんだ! 現場だから住所なんかわかんねえよ。本気で腹立った。もう弁当いらねえから、おまえが謝りに現場まで来い!」と激昂し始める。
昼時夕飯時のお客様相談室はまさに戦場だ。電話はひっきりなしに鳴り響き、お届け指示を出そうにも、少人数で回している店舗は電話に出ようともしない。本部からかかってくる電話は、弁当の入れ忘れだの髪の毛が入っていただの、面倒くさい内容だと分かっているからだ。
ようやく電話に出ても、「届けるのは無理です」と半泣きになられたり、「今一人抜けたら、店回らないっすよ!」と、逆ギレされたりしてしまう。そもそも、入れ忘れの原因も、店員の不注意と言うよりは、少人数で店を回している必然の結果だ。
入れ忘れほど頻度は高くないが、商品提供の際にお客様に汁物をかけてしまうという事故も、ある一定数発生する。これも、ぎりぎりの少人数で店を回した結果、従業員が疲労とパニックから引き起こす事態だ。あるいは、教育不十分な新人を無理矢理店に投入した結果でもある。
短い昼休みに飯を食い損なったサラリーマンや現場労働者、能力的にも人数的にも不十分な店の従業員、どちらもギリギリの時間で動かされて頭が沸騰寸前だ。
クレーム担当者の私たちは、お客様と店舗従業員との間で、常に板挟みとなる。経費削減のため、少人数なのは店舗だけでなく、お客様相談室もまた同様なのだ。
私を含め、たった五人しかいないメンバーで、全国規模の外食チェーンにかかってくる昼時のクレーム電話をさばけるわけがない。
 お客様相談室で受けるクレーム件数は、一日平均一〇〇~一二〇件だが、それはあくまでも受電出来た数だ。電話を受けている最中にも、どんどん着信は来ているのだ。お客様相談室が話し中でつながらなかったため、諦めて電話を切った人も含めると、二〇〇件はかかってきているだろう。
 多くのお客様が、開口一番「電話がつながらない!」「何度かけさせるんだよ、バカ」など、お客様相談室の回線が使用中だったことに怒りを表す。
「わざとつながらないようにして、クレームを無視する会社の方針だろう」
 そんな風にねちねちと会社全体を批判するお客様もいる。確かに、その読みは当たっている。大人数を投入してクレームに万全の体勢で臨むのではなく、あえて少人数しか配備せず、クレーム電話を「取りこぼす」のは、対応コストを計算した会社側の判断によるものだ。受電数の取りこぼしだけでない。何のスキルもないパート・アルバイトに電話対応させるのも、「こんなバイト風情に苦情を言っても仕方ない」と、電話を掛けてきた相手に諦めさせる為だ。「社員と代われ」「上席を電話に出せ」と、最初から要求する相手もいるが、よっぽどのことでない限り、社員が対応することはない。怒号にも恫喝にも、パートの主婦やWワークのフリーターが対応するのが普通だ。
量的にも質的にも不十分なお客様相談室は、大手外食産業の本質を表している。
 つまり、安かろう悪かろう、だ。

〔ワンコインランチに命を懸けて 妊婦も病人もファーストフード〕
 土曜日の午後二時、お客様相談室の電話は鳴りやまなかった。
 平日なら、ランチタイムを過ぎれば電話はいったん落ち着く。しかし、土日の午後ともなると、切れ目なくクレームの電話がかかってくる。通常の入れ忘れクレームの他に、接客などのサービス全般について、だらだらと不満を述べる電話が多いからだ。
二時から休憩予定だった私は、空腹を抑えながら電話を受け続けていた。電話の向こうでは、「いつ行っても、早朝の従業員の愛想が悪い。笑顔で迎えられたことがない」という内容を、五十代の男性が繰り返している。
「一日の始まりに店行ってやってるんだからさあ、もうちょっといい感じで接客して欲しいわけよ。それがあの仏頂面だろ。こっちはむかっとくるわけぇ」
きつい九州訛りのクレームは、ちょっと気を抜くと何を言っているのか分からなくなってしまう。私は、全注意力を傾注して電話からの声に耳を澄ませる。
 今日のお客様相談室は、ベテランの女性が一人病欠したため、いつも以上に人数不足で回していた。おまけに、二時から来る予定の新人が姿を現さない。ストレス過剰な職場ゆえ、いきなりバイトが来なくなるのは日常茶飯事だ。このままだと、休憩が取れるのは一時間以上先になりそうだった。
 十八分間、訛り言葉でまくしたてた後、ようやく五十代男性は電話を切った。
 私はデスクの引き出しを開け、空腹を紛らすために常備してあるチョコレートを取った。それを口に入れようとした瞬間、また電話が鳴り響く。
「お待たせ致しました。担当の××がお話を伺います」
言い終わらぬうちに、興奮した若い男性の甲高い声が耳をつんざいた。
「どうしてくれるんだよ! うちのは妊娠してんだぞ。一体どういうつもりなんだよ!」
 ヘッドセットの音量を下げながら、私はゆっくりと事情を聞き出す。どうやら、この若い男性とその婚約者は、昨日の深夜に来店し、豚キムチ焼きそばと鉄板焼きハンバーグを頼んだらしい。ところが、帰宅後、婚約者が激しく嘔吐し、水状の下痢が始まったと言うのだ。今現在の容態を尋ねると、嘔吐と下痢は治まり、婚約者はテレビを見ているとのこと。確かに、男の声の背後から、タレントのけたたましい笑い声が聞こえてくる。
「どちらの方がどのメニューを食べたのですか」と尋ねると、男は悔しそうな様子で、「二人で両方のメニューを分けて食べた」と答える。念のため、婚約者が妊娠何ヶ月なのか聞くと、いったん本人に確認してから、「四ヶ月」と言う。答えたくないプライバシーを答えさせられた屈辱と羞恥から、男は再び激昂し始める。
「何かあったらおまえらのせいだ、おまえらのせいなんだからな!」
 私は病院に行くことをお勧めするが、「うちのは一人では病院に行かれねえ。俺が仕事を休むわけには行かねえ。俺が仕事を休んだら、おまえら休業補償してくれんのか」と凄む。
食事と体調不良の因果関係が証明されるまでは医療費は払えないこと、また、休業補償も出来兼ねる旨を私は淡々と伝える。若い男は激昂し、上司を出せと叫ぶ。「おまえじゃ話にならねえ。上を出せって言ってんだあ!」という怒鳴り声に対し、あくまでも冷静に要求には応えかねる旨を告げると、男は電話を叩き切った。
数分後、再びその男から電話があった。「覚えてろよ。ぶっ殺す」そう凄んだかと思うと、電話はまた叩き切られた。
自分が妊娠中に何を食べていたか、私は思い出そうと試みる。夫の国、スリランカで出産までの日々を過ごした私は、来る日も来る日も白米と野菜カレーばかり食べていた。それと、地域の官営病院で妊婦に無料で配給される栄養補助食スリーポーシャである。これは、トウモロコシや豆類などの雑穀をブレンドした黄色い粉末で、調理法は至って簡単。スリーポーシャにココナッツの砕片と砂糖を加えて手でこねると、粘り気が出てくるので、それを団子状に丸めるだけだ。   
加熱調理なしで栄養食が作れるので、南国の妊婦には有り難い配給品だ。妊娠中のスリランカ人女性なら、一日二回は必ずスリーポーシャを食べる。
スリーポーシャの一キロ袋を渡された瞬間の印象は、正直、家畜の餌……ではあったのだが、実際に作ってみると吉備団子のように素朴な味わいで腹持ちも良く、すぐに昼食の定番となった。
外食については、ほとんど記憶がない。週に何回か、夫が持ち帰る知人宅の手料理と、満月の日に仏教寺院が信者に配るダンサル(施し食)を除いては、他人の作った物を食べなかった。
毎日三十五℃を超す気温と猛烈な湿気という亜熱帯気候の地での調理は、日本人妊婦の私にはきつかったが、黙々と野菜カレーとスリーポーシャを作り続けた。肉類はたまにしか食卓に上らなかった。何しろ、気温のせいで簡単に肉が腐ってしまうからだ。冷蔵庫に保管しておいても、しばしば停電が起こるので役に立たない。となると、買ってきてすぐに肉を調理しなければならないため、必然的に肉料理の頻度が下がってしまうのだ。
風習の問題もある。基本的に、スリランカ人は、年がら年中肉を食べたりはしない。メインのタンパク源は豆類なのだ。平均的な一日の食事を言うと、朝は乾燥小魚のカレー、昼は豆と野菜、たまに魚のカレーが加わる。夕食や晴れの日には、マトンやチキンのカレーが供される。
さらに、ポヤデーと呼ばれる満月の日は殺生が禁じられるため、肉と魚、アルコールは販売禁止となる。三百六十五日二十四時間、いかなる種類の食べ物や飲み物も手に入る日本とは、比較にならないほど食生活に制約があるのだ。
そんな国で五年間近くを専業主婦として暮らした私は、大手外食産業のお客様相談室員としてクレームを受ける度に、彼の地と日本との差に嘆息する。
大手チェーンのファミリーレストランで、深夜バイトが加熱しただけの豚キムチ焼きそばと鉄板焼きハンバーグを食べる日本人妊婦、一方、官給の雑穀団子を自分の手で毎日こねて食べるスリランカ人妊婦。自分の体に何を摂取しているのか、はっきり分かっているのは後者だ。ファミレス妊婦は、自分が何を口にしているかなど、考えてはいないだろう。彼女はメニューを見るだけで、食べ物そのものを見はしない。本来、妊婦であれば、口にする物に最大の注意を払うのが当然だ。しかし、外食依存者たちにとって、「口にする物に注意を払う」とは、メニュー選びの問題でしかないのだ。
お客様相談室に勤務していて驚かされるのは、妊婦だけでなく、糖尿病患者や食物アレルギーを持つ人々が、当たり前のようにファーストフードを利用していることだ。
「病気で塩分を制限されているから、焼き肉定食の塩分量を教えて欲しい」あるいは「グリーンサラダのドレッシング込みのカロリーを知りたい」、「小麦アレルギーがあるんですけど、焼き鳥丼に小麦は使用されていますか?」といった問い合わせは、一日に数件ほどある。それらの電話を受ける度に、「自分で作れば安全ですよ」という台詞がのど元まで出かかる。ましてや、アレルギーを持つ乳幼児の母親が問い合わせてきた場合には、外食という選択肢を消去する発想がないことに慄然としてしまう。
私の夫は極度に外食を嫌う。その理由は、「外の食べ物は何が入っているか分からない」からだ。「家で作った物なら、何が入っているか分かるから安心だ」と言う。その考え方をどう捉えるかは人それぞれだろう。衛生レベルの低い発展途上国から来た野蛮人らしいと嘲るか、家庭食に培われたまっとうな感覚と受け取るか。
先週、怒り狂った父親からの電話を私は受けた。四十代前半ぐらいの父親は、小学生の娘と二人でファミリーレストランを利用したと言う。その際、「和風ドレッシングに乳成分が使用されているか?」とスタッフに尋ねた。高校生のアルバイトは、「あー、大丈夫っす」と答えた。
食後、小学生の娘は、首筋と手首に発疹が起こった。彼女には乳成分のアレルギーがある。父親は、ファミリーレストランのホームページを調べ、アレルギー成分表を確認した。その結果、和風ドレッシングには乳成分が含まれていることを知った。
「うちの娘を殺す気か!」
 父親は裏返った声で私に訴えた。
 マニュアル上、この父親に私は謝罪せねばならない。適当なことを答えたアルバイトの過失、教育不足のままアルバイトを放置した店長の管理責任、杜撰な店舗管理を許した会社としての責任、これら全てについて、私は会社を代表し、時給千二百円で「申し訳ございません」と言わねばならない。父親の気が済むまで怒鳴らせ、ひたすら謝罪する義務がある。
 この怒り狂った父親が娘の食事代として払ったのは、サラダ&ドリンクバー込みで五百五十円だ。父親と娘に商品を提供し、アレルゲン情報を伝えた高校生バイトの時給は八百三十円だ。私の勤務する巨大外食チェーンは、五百五十円の商品に「安心安全」を謳い、時給八百三十円のアルバイトのサービスを「最高のおもてなし」と称している。
 これらの商品価格と時給を考えた上で、父親はアレルギーのある娘を店に連れてきたのだろうか? 本当に安全が確保されると信じていたのだろうか? 「あー、大丈夫っす」と答えたアルバイトにだけ罪があって、それを鵜呑みにした保護者の自分に罪はないと考えているのだろうか? 来店前、ホームページでアレルギー成分表を確認する発想はなかったのだろうか?
「外の食べ物は何が入っているか分からない」という私の夫の意見は事実だ。だからこそ、消費者は外食産業に対して知識で武装せねばならないし、常に疑い深く、警戒していなければならない。
外食依存症の人間たちには、その発想がない。彼らは外食産業に無根拠な信頼を置き、深く考えることを拒否している。そして何も考えず腹の中に流し込んだ後で、異物があっただの、味に問題があっただのと大騒ぎする。まるで味方から裏切られたかのように。
そもそも、巨大ファーストフードチェーンはそれを利用する人間の味方などではない。
巨大外食産業で働いている私が、利用者である彼らを批判するのは卑劣かも知れない。しかし、
ひとつはっきりしていることがある。
私ならば、ワンコインランチに命を懸けたくはない、ということだ。

〔外食流民 食卓を失った人々〕
 平日の朝九時、お客様相談室の受付が始まった途端、いっせいに電話が鳴り出す。
「おはようございます。担当の××がお話を伺います」
 電話口の向こうから、痰の絡んだ塩辛声が聞こえてきた。
「ああ、××さんかぁ」
 彼は私の名前を呼ぶと、「いつも悪いなあ」と切り出した。
 この初老の男性は、お客様相談室の常連だ。声を荒げたり、恫喝したりはしないのだが、週に一度は電話をかけてきて、同じ店についてのクレームを言う。内容はいつも同じで、「みそ汁がぬるい」の一点張りだ。
「毎日通ってるのに、ちぃーっとも改善せんよ。おかしいんじゃなかね? 朝からぬるいみそ汁飲まされて、わしは情けないよ……」
 地方都市に住むこの初老男性は、警備の夜勤明けに店で朝食を取るのが習慣だ。
「朝からぬるいみそ汁ば飲まされる情けなさ、××さん、分かるかね?」
 これもいつものフレーズだ。私は相づちを打ち、「またお店の従業員に厳しく言っておきます」と繰り返す。実のところ、みそ汁は店舗の定める適正温度で提供されており、従業員に出来ることは何もない。
「そうば言っても、またぬるいみそ汁じゃろ? もうほとほと嫌になった」
 夜勤明けで眠いだろうに、この男性はお客様相談室が始まるのを待って電話してくる。そして同じ話を繰り返し、ぬるいみそ汁を飲むために、翌日も同じ店に向かう。
 非常に穏やかな人物ではあるが、この初老男性は、俗に言うクレーマーだ。一度は、みそ汁の温度が適正だと説明したこともあったのだが、「ぬるいみそ汁は情けないけぇ」と繰り返すばかりで聞く耳を持たない。
 この初老男性のように、不満を抱きつつも、性懲りもなく店に通い続ける人々がいる。
自分の席に割り箸がなかったと、三十分間に渡って店員を罵倒し続けた二十代のサラリーマンは、二日後に「また同じミスをしやがった!」と電話してきた。注文を取る順番を間違えられ、後回しにされた事で、責任者に土下座を要求した五十男は、一週間もたたないうちに入れ忘れクレームを入れてきた。従業員が会計後にアルコール消毒をしなかった店舗を、リストにして読み上げた年齢不詳の男性に至っては、色んな地域のチェーン店舗を利用し続け、問題点を定期的に連絡してくる。
彼らは、何らかの理由を付けて食事代をタダにしろとごねたり、割引券をせびる人々とは、根本的に違っている。彼らの目的は金品ではない。もし仮に、お客様相談室の私が、「今回の不手際に関して、お食事券をお送りさせて頂きたい」などと提案したら、喜ぶどころか激昂し始めるだろう。「数百円の券で俺を丸め込もうたって、そうは行かないぞ」「私をクレーマー扱いするんですか!」と。では、何が彼らの望みかと言えば、「今回の不手際で自分がどれだけ不快に感じたか」を吐き出し、その「多大な精神的苦痛」について平身低頭、謝罪してもらうことなのだ。
初老の男性について言えば、「朝の不快感」に共感してもらうことが望みだ。
じつに馬鹿らしい、というのが一般人の意見だろう。私もそう思う。手っ取り早く腹を満たすファーストフードの場に、何をそこまで求めているのか、と。
しかし、それは健全な食生活が土台にある人間の発想だ。お客様相談室に電話してくる多くの人々には、本来あるべき健全な食生活もなく、帰るべき家庭の食卓もない。彼らにとって、食の根本は、一杯三百円以下の牛丼やワンコインのランチなのだ。それゆえに、それらを食べる場所で感じた不快感は、即座に解決されなければならない。まさに死活問題なのだ。
実のところ、お客様相談室にかけてくるのは、外食の常連、それも一日数回を外食で賄うヘビーユーザーたちである。「たまたま晴れの日に外食に出掛け、サービスの悪さで、せっかくの食事が台無しになった」という理由でかけてくる利用者は滅多にいない。怒りに興奮して喚き散らし、執拗に罵倒を続ける人々は、「外食しか」選択肢がない人々だ。だからこそ、そこまで怒り狂っているのだ。
平日は、ほかほか弁当やハンバーガーなどのファーストフードを常食、またはスーパーの持ち帰り総菜を利用し、休日は家族でファミレスや牛丼屋、ラーメン店、回転寿司に行く家族、あるいは、平日休日問わず朝昼晩三食牛丼屋かラーメン店、コンビニ弁当をサイクル利用する独身者。そういう消費者層が、お客様相談室の常連なのだ。
クレームの合間に来店頻度を尋ねると、多数の男性が、「週三日以上通ってるんだぞ」「朝昼晩の三食、おまえの店で食うこともある」と答える。
彼らにとって、台所は家庭の外にあり、食卓で交わすべき会話は存在しない。かつて、母親の揚げすぎた天ぷらや出汁の利いていないうどん、ぺちゃんこのホットケーキにつかれていた微笑ましい悪態(「お母さん、今日のカレーしょっぱいよ」「このぶり大根、煮付けが薄いな」「何これ、ホットケーキがぺっちゃんこ」etc)は、外食産業のお客様相談室に向かって吐き出される終わりなき要求と攻撃的な批判に取って代わったのだ。

〔食のネグレクト 腹が減ったら買ってこい〕
平日の午後二時半、昼時のクレームラッシュが終わり、手弁当を広げていた私は、意外な電話を受けた。
「こちらは、××市の児童福祉局ですが……」
 保健所や消費者センターからの電話は珍しくないが、児童福祉局から連絡が来たのは初めてである。私は食べかけの弁当を横に押しやった。
「こちらは××社のお客様相談室ですが、何かございましたでしょうか?」
 私と同世代、四十代と思しき女性は、再び職位と名前を名乗った後、用件に入った。
「実はですね……今から申し上げる特徴の子供が、そちらの牛丼店に来ていないか、確認をしたいのです」
 年齢は九歳。小学校三年生の女児。髪の毛は肩に届くぐらいの長さ。汚れた服装で、顔にいくつもアザがある。以上の特徴について、児童福祉局の女性は、さばさばと実務的に話した。
「この女児がですね、虐待の疑いがあるという通報がありまして」
「店舗名と来店日時は分かりますか?」
「店舗所在地は、××市の××町。時間の正確なところは不明です。通報者の方によると、先月から今月にかけて何回か見かけたそうですが。時間は深夜から早朝にかけて」
「深夜帯の勤務者に確認すれば、該当するお客様が来店したかどうかお答え出来ます」
「お願いできますか?」
「では、本人に確認が出来次第、ご連絡するように致します」
 児童福祉局の職員との会話が終わると、私は食べかけの手弁当を引き寄せた。弁当のおかずは、昨晩子供が残したイモの天ぷらだ。一口かじった歯形が残っている。
「ちょっとこのおイモ固い」。そう言って子供はイモの天ぷらを残したのだ。
私はイモの天ぷらの歯形を眺め、深夜の牛丼店にたたずむ九歳の女児を思った。
その子は、本当は何が食べたかったのだろう?

午後七時三十二分、私が受けた電話は、聞き取りにくい小さな声の男性からだった。おそらく二十歳そこそこの若さだ。
「ちょっと要望があるんですけど……」
 私は即座に身構え、臨戦態勢に入った。声の小さな男性は、自分の言葉が正確に聞き取られていないと急に切れる傾向があるからだ。しかも、残り三十分足らずで退勤の私としては、話が長引くのは大いに迷惑である。しかし、彼の話は意外な方向に進んだ。
「小学校の給食で、肉じゃがってあったんですよ」
「肉じゃが、ですか」
「そう、それがすげえうまくて……。忘れられないんですよ。じゃがいもや白滝に味が染みてて、牛肉がとろけるみたいで。ご飯の上にのっけると、すげえインパクトなんですよ」
 彼は、小学校時代の給食を思い出しているのか、しばし黙った後、小さな声で続けた。
「作って欲しいな、って」
 私は丁寧に聞いた。肉じゃがをですか、と。
「ううん。肉じゃが丼って言うのを、やってもらいたい。そしたら絶対食べに行くんで」
 電話は、「じゃあ」という一言で切れた。
 私は無性に切なく、胸が詰まりそうだった。
彼の記憶に残っている最高の食べ物は給食の肉じゃがなのだ。それをファミレスのメニューに加えて欲しいと電話してくる心境は如何なるものなのだろうか。親元を離れているのだろうか。それとも……。再び電話が鳴る。
「お待たせしました。担当の××でございます」
「ちょっとぉ、ふざけんなよ!」
 キンキン声が鼓膜に突き刺さる。私は受話音量を下げながら、出来る限り性別を意識させない低めの声で対応する。ヒステリックな女性の対応には、穏和な年齢不詳の男性モードで行くのが無難だ。こちらの性別を意識させるソ音接客(「さしすせそ」の「そ」の音で声を出す)や元気すぎる返事、中年女性にありがちな訳知りの相槌は怒りに火を注ぐだけだ。
「今子供にカレー買いに行かせたんだけど、蓋が開いてて全部こぼれちゃってんだけど? ちゃんと蓋閉めてんのかよ。あり得ない。もう絶対にあり得ないっしょ! 部屋もカレー汁こぼれまくって汚れたんだぜ。掃除に来い! てか、カーペット弁償しろよ!」
電話口からは、母親の罵声だけでなく、幼児が激しく泣きじゃくる声がずっと聞こえてくる。怒りをぶちまけ、無茶な要求を繰り返す母親は、私に向かって喚く合間に、「うるせえ、黙ってろ!」と子供を怒鳴りつける。子供は一向に泣きやまず、私の耳には、若い母親の罵声と幼児のしゃくり上げる声がわんわんと反響する。私は、相手の怒りをなだめながら、利用店舗を聞き出そうとする。どんなに相手が怒っていようと、私には基本情報を入力する義務がある。「ぶっ殺す」と言われても、「いつ何時にどこのお店をご利用ですか」と聞き返すのだ。
最初は、「知らねーよ。てめえらで調べろよ」と吼えていた母親も、「どちらの店舗をご利用か分からないと対応できませんので」と根気強く繰り返すうちに、渋々店舗名を口にした。
私はパソコンで店舗検索を行い、住所や近隣の施設を確認する。立地は駅のすぐそばで、あまり柄の良くない地域だ。レジ回りに置かれた販売物(ガムやライター、キーホルダーなど)が度々盗まれる要警戒店舗である。お客様対応も厄介なケースが多い。注文を取るのが遅れただけで、「作業服だから馬鹿にしやがった」といきり立つ夜勤明けの工員、食べ終わった食器に自分の髪の毛を落として「全額ただにしろ」とごねるチンピラ、支払いの時になると痴呆を装う老人……。店舗の従業員では対応しきれず、最終的に、お客様相談室にお鉢が回ってくるパターンが多い。
こんな柄の悪い地域の駅前店舗に、夜八時近くなって、子供一人でカレーを買いに行かせるとは……。一体、子供は何歳ぐらいなのだろうか? 
私は、オンラインで繋がっている店舗カメラの映像をマルチスクリーンに開く。四アングルからのカメラ映像が一気に映し出される。レジ前、カウンター席、テーブル席、厨房。レジ前アングルにズームし、時間設定を今から三十分前にして映像検索を行う。
カメラに記録されていたのは、レジ前に立っている小学校低学年の男の子の姿だった。襟元が伸び切ったTシャツに、茶色のソフトモヒカンにされた頭。おそらくは小銭を握っているであろう拳を体の両脇に垂らし、弁当の出来上がりや会計を待つ大人の群れに混じって気配を消している。誰も子供には関心を払っていない。大人たちは、一刻も早く自分の番が来ることしか考えていない。空腹を満たし、金を払い、帰る。その流れを機械的に処理する店員と時間に追われる大人が醸し出す殺伐たるムードの中、小学生の男の子は、無表情で拳を握って待っている。自分と家族の夕食を買うために。いや、夕食ではなく、限りなく餌に近い何かを買うために。
 私はパソコンの右隅に表示されている現在時刻を確認する。七時五十三分。私のシフト終了まで、残り七分。今夜の夕食は子供の大好きなチーズコロッケにすると約束した。どんなに急いで作っても、四十分はかかってしまうメニューだ。帰宅してすぐじゃがいもを茹で始めても、出来上がりは二十時半を過ぎてしまうだろう。しかし、五歳の娘は文句を言ったことはない。どんなに空腹でも、料理が出来上がるまで、一人で遊びながら根気強く待っている。時には、料理の合間に台所に駆け込み、料理途中のキュウリやトマトの切れ端、出汁昆布をつまんで囓りながら、私の手元を眺めている。
スリランカ人の夫によると、彼の母親は一日の大半を台所で過ごし、子供たちもまた、ほとんどの時間をそこで過ごしたと言う。短くはない時間だ。何故なら、スリランカ人の主食であるカレー作りには、手間がかかるからだ。まずココナッツの実を二つに割るところから始めねばならない。次に、半分にしたココナッツの中身を、鉄の銛に似た削り機を使って、延々と削る作業が待っている。鰹節削りから食事の支度が始まった昔の日本と同じだ。
削ったココナッツの実を水に浸して搾ると、甘いココナッツミルクが出来る。これをベースにして、ターメリックに各種スパイスを加え、野菜や魚のカレーを作る。夫とその姉は、削り終わったココナッツの実で遊んだり、ちょっぴりココナッツミルクを飲んだりして食事の出来上がりを待ったそうだ。
離婚後、女手一つで二児を育てていた夫の母は、仕事が終わってから食事の支度を始めるため、夫とその姉が夕食にありつくのは、時として夜中近い事もあったと言う。
空腹を抱えた子供にとって、食事が出来上がるのを待つのは辛い。待たせている方も辛く、つい焦り、苛立ってしまう。しかし、その待ち時間は決して無駄ではないと信じたい。何故ならば、自分が口にする物が、どれだけの手間をかけられたのか、子供にはしっかりと分かるからだ。  
肉や魚を焼くのには時間がかかる。野菜を茹でたり、揚げるには素早くやらねばならない。それが分かるからこそ、出来上がりを待つことも出来る。
私の夫も娘も加工食肉が嫌いだ。ソーセージやハムやベーコンは一切食べない。私は時々食べる。時間がない時、疲れ切っている時、私はソーセージやハムに助けを求めたくなる。しかし、夫も娘も食べないため、どんなに疲れ、眠たくても、肉を焼き、魚を揚げる。しかし、そういう時、肉は生焼けで、魚は中途半端にしか揚がっていない……そんな事態が発生する。
「お肉生だよ」
「ママ、疲れてるから、ダディが焼いてこよう」
かくして、食卓では上記のようなやりとりがなされる。生肉、あるいは生魚を食卓に載せた私に対して、誰も非難したり、怒ったりはしない。家庭の食卓では当たり前の事だ。当たり前であらねばならない。
 しかし、同様の事が店舗で発生した場合、事態は全く別の展開を見せる。
「生肉を提供するなんて、あんたら人殺しだ! O一五七で世間が騒いでるのに、管理も出来ないのか。こんな生肉食わせて、狂牛病になったらどうする? うちのチビに何かあったら責任取ってくれんのか!」
 先週の土曜日の昼下がり、怒り狂った二十代の女性からかかってきた電話は、子供用に注文した牛丼の肉が生であるという内容だった。店舗で食事中に騒ぎ出した女性は、生肉を店員に突き出し、「どうする? どうしてくれる?」と興奮してまくしたてた。店舗にいた高校生のバイトたちはどう対処すべきか分からず、その内の一人は、凄まじい女性の剣幕に泣き出してしまったらしい。
結局、家族三人分(母親、幼児二人)の会計をタダにし、その場は収まった。しかし、問題はその後だ。店舗から生肉を持ち帰った母親が、「子供の様子がおかしいから、責任者が会いに来い」と要求してきたのだ。三十分以内に責任者の訪問がないなら、店舗から持ってきた生肉を保健所に提出すると脅迫まがいの台詞を吐き、その母親は電話を叩き切った。
私は、その店舗を担当するエリアマネージャーに連絡し、その女性宅の訪問謝罪と生肉の回収を指示した。まだ二十代半ばのエリアマネージャーは、散らかったアパートの一室で三時間に渡る罵倒を受け、一年間全ての食事が無料になるフリーパスを要求された。その女性いわく、別の飲食店で不手際があった際、店舗の責任者から同様のフリーパスを渡されたのだと言う。
アパートの一室では、就学前の幼児(四歳と 二歳ぐらい)が、ゲームをしながら菓子パンやスナック菓子をむさぼり、食べかすが部屋中に散乱していたと言う。しかも、罵倒する母親本人は、妊娠中のおまけつきだ。
「本当に勘弁して欲しいっスよ。マジ、ハンパないっス」
 疲れ切ったエリアマネージャーは、社会人の立場を忘れて、「素」の二十代男性に戻ってしまい、電話口の私に愚痴を吐き出した。私は「お疲れ様」と声をかけ、しばしねぎらった後で電話を切った。私はお客様相談室員として、電話口でしか狂った顧客に対応しないが、エリアマネージャーあるいは店舗責任者の職にある社員たちは、彼らと直に対応せねばならない。
 小学生の男の子にカレーを買いに行かせた母親も、責任者と会うことを要求したため、問題の発生した店舗にエリアマネージャーを向かわせる事にした。こう言うと簡単なようだが、複数店舗を管理するエリアマネージャーは殺人的に過密なスケジュールで動いており、連絡を取る事すら容易ではない。二十四時間営業店舗を抱えて深夜稼働もするので、日中は短い睡眠を取っている事もしばしばだ。バイトの本数が揃えられなければ、シフト調整ミスとされ、自分が長時間シフトせねばならない。冗談ではなく、四十時間連続シフトなどざらだ。
和民のブラック企業ぶりが話題になっているが、飲食業界ならどこも同じ様な状況だ。社員もバイトも体力の限界まで働いている。社員のほとんどは、客からの異常な要求と会社からの過剰な要請との間で半死寸前だ。そんな彼らにクレーム対応を依頼するには、お客様からのクレームを聞くのとはまた別の対応技術が要求される。やり方を間違えれば、エリアマネージャーたちはクレーム対応を拒み、電話に出ない。怒り狂った客と責任者との板挟みになったお客様相談室の担当者は、ただただ怒鳴り続けられねばならない。
なだめ、すかし、共感、嘆願、強請……ありとあらゆる方法で、エリアマネージャーたちにクレーム対応をさせるテクニックを身につける。それもクレーム担当者として重要なスキルだ。 
今回は運良くマネージャーと連絡がついたため、私は帰り支度を始めた。パソコン上の時刻表示は八時六分。娘を保育園に迎えに行き、買い物を済ませ、帰宅は九時少し前になりそうだ。
 それでも、と私は自分に語りかける。じゃがいもを茹で、丸め、衣をつけ、油で揚げねばならない。同時にキャベツを刻み、わかめを戻し、サラダも作らねばならない。閉店前のスーパーに行けば、私が作るのと同じメニューが五十%引きのシールを貼られ、合計三百円足らずで売られている。それを買い物かごに入れさえすれば、料理に費やす時間が子供と遊ぶ時間に使えるだろう。一日中働いて、ようやく子供と過ごせる時間が四十分間、余計に増えるのだ。その誘惑は大きい。それでも、と私は思うのだ。台所に立たねばならない。自分の手で作った物を家族に食べさせねばならない、と。その理由を問われたら、私は答えるだろう。
理由などない。それが当たり前なのだ、と。
自信をもってそう言えるのは、この五年間、大手外食産業のお客様相談室に勤務したお陰だ。
人と物のコストを切り捨てるだけ切り捨て、疲弊した現場が送り出す加工食品を、限られた予算と時間ゆえに消費している人々。その荒んだ食の光景の中には、自分の家族を置きたくはない。
しかし、我が家の生計を支えているのは、まさにその外食産業なのだ。
そんな矛盾を生きながら、今日も私は電話を取る。
「お待たせ致しました。担当の××がお話を伺います」