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第21回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」選外期待賞入選作

在日米軍基地移転の中のグアム

 篠崎正人

はじめに

 沖縄で起きた少女暴行事件に対する沖縄県民の怒りが高揚し、基地負担の軽減を求める世論が高まった1996年頃、西太平洋に浮かぶマリアナ諸島のグアムから「沖縄の米軍基地を受け入れてもいい」という意思伝える州知事などの発言が相次いだ。その後、沖縄県宜野湾市の海兵隊普天間基地を名護市辺野古地区に移設する計画が行き詰った今日、長崎県内の大村市や佐世保市、佐賀空港、徳之島など九州各地への移設が話題になる一方、沖縄に駐留する第3海兵師団の一部をグアムに移駐させることが日米で合意された。
 しかし、沖縄に駐留する海兵隊の一部をグアムに移転させることが沖縄の負担軽減にとって解決策なのか、今年3月6日から9日まで、原水禁九州ブロックのグアム調査団に同行して取材した。

南海の楽園の今

 グアムは、沖縄の3分の2にも満たない南北に最長45キロ、東西に最大10キロ、人口17万人弱の小さな島である。グアムは16世紀、大航海時代のスペインによる占領から1899年の米西戦争による米国統治、アジア太平洋戦争時の日本の占領、そして再び米国の信託統治を経て現在は米国の準州(自治領)となり今日に至っている。ベトナム戦争当時はB52爆撃機などの出撃拠点として、また1980年代の東西冷戦が激化したときは西太平洋における海軍と空軍の補給・支援拠点として全土の3分の1を米軍基地が占めるほどの「基地の島」であった。
 グアムやサイパン、テニアンなどマリアナ諸島には古くから「チャモロ族」と呼ばれる海洋民族が住んでいたが、米国の占領と統治が開始された後、チャモロ独自の言語や文化は失われていった。今日ではわずかに残された遺跡や食文化にその痕跡をとどめるだけとなっているが、それとても米軍の都合では、たとえばファロン・デ・メデニラ島の「聖地」のように先住民グループの反対を無視して爆撃場に使用される場合がある。
 グアムの主要な産業は漁業と観光だが、最大のものは軍需であった。この小さな島に、最盛期には空軍や海軍の基地と補給センターなど各種施設が集中し、「西太平洋の中軸(ハブ・センター)」(星条旗新聞記事)と呼ばれていた。
 しかし、冷戦終結後に始まった米国の「国防基地閉鎖と関与政策の見直し」により4箇所の主要基地が米本土やハワイへ移転あるいは閉鎖、縮小された。この結果、2104人の軍関係者と2665人の民間従業者が職を失い、2421人が移動を余儀なくされた。そのほか、フィリピンから移駐してきた艦船修理所が閉鎖されたことにより663人が失業し、合わせ約1万人以上が失業あるいは移転を余儀なくされた。1996年発行の地元経済誌「ビジネス・アルマナック」は「基地閉鎖がグアムに大打撃」と報じていた。1994年には軍人・軍属、民間人、外国籍合わせて約2万5千人を抱えていたので、基地閉鎖はグアム経済に大変深刻な状況をもたらした。
 グアム州政府と米国政府は基地跡地を一部地元に譲渡する一方、1996年には国防予算から5200万ドルを支出するなどの支援を行ったが、それまでの軍関係支出が約7億ドルから8億ドルであったことから比較すると、効果はきわめて限定的であったようだ。
 グアム自治州政府は水産資源の有効利用として缶詰工場も整備したが、大きな産業にはならず、観光産業も折からの日本の経済不況などの影響もあり、新たな雇用を生み出すカは不足していた。
 連邦政府もさまざまな支援策を講じて地域経済の安定を図ったが、産業基盤が軍需関連産業以外は成長していなかったため大きな効果は上がらなかった。観光と漁業以外に多くの産業を望めず、軍関係の産業に支配されていた状況では、新しい産業を興すにも限界があった。しかも、不要になった群用地を民間に返還したといっても、米国政府の都合で再接収ができる、という条件付であったから、地元に根付いた伝統産業を復活させる基盤さえ与えていない中での返還であった。この条件はその後、グアムに再び軍事基地が進出する下地でもあった。

今も残る広大な基地とインフラ

 グアムには1996年以降の大規模な基地閉鎖プログラム後にも全土の3分の1を占める広大な土地が米国政府財産として残っている。これらの用地、たとえば北部のアンダーセン空軍基地の近くに広がる原生林や海岸、近くの広大な住宅地区などは州政府を通して民間(先住民)に返還されることになっていた。しかしそれらの土地の一部はさまざまな有害物資で汚染されており、有害廃棄物を除去しない限り再使用できない状態で、汚染除去が進まないため今もって住民に返還されず、また再開発の方法も示されないままであった。
 フィリピンでは1991年に閉鎖されたクラーク空軍基地やスービック海軍基地など米軍基地跡に残る有害物資による汚染のため多くの住民に健康被害が広がっているが、グアムでは幸いなことに再利用が進まないためだろうか、被害の発生は確認できなかった。
 明らかになった米軍移転計画はこれらの土地への再配置を構想しているが、それらの土地はもともと先住民の土地であって、一部の用地は基地閉鎖計画により住民に返還されたものである。しかし、その土地を再接収して、たとえば射撃訓練場や事前集積基地を建設しようとするのが今回の構想だ。
 再利用の対象となっている主なものとして中部のアプラ海軍基地の埠頭や艦船修理所、アガナの弾薬庫、補給廠と北部にあるアンダーセン空軍基地及びその周辺設備と住宅地があり、それらの施設は1996年に訪問した当時と同じように、まだ十分使用が可能な状態に維持されていた。
 さらに、近くの無人島には爆撃訓練場がある。また、米国の支配下にあるグアムではないが、隣接する北マリアナ連邦のロタ島、テニアン島には使用可能な滑走路もあり、サイパン島周辺には海兵隊や陸軍、空軍の物資を満載した第3事前集積艦隊に所属する輸送艦の停泊場所としても使用されている。BRACによる基地閉鎖が始まった当時にはなかった光ファイバーケーブルも民間会社により設置運営されている。
 グアム商工会議所が調査会社メリル&アソシエーツ社に委託して1998年10月に行った島民の意識調査によれば、8割の住民が基地の存在を支持しているという。しかし、同調査でも50%の住民は現在の規模が妥当だとして、これ以上の基地建設には同意していないことも明らかになった。
 では、住民は沖縄から海兵隊の部隊が移転する計画をどのように受け止めているのだろうか。

カヌーは一杯

 私たち原水禁九州ブロックのグアム訪問は現地の新聞社としても関心があったようだ。
 私たちがグアムに到着する前から訪問の予定記事を掲載し、到着後は「日本の陳情団が來島」「先住民グループと交流」などの見出しで連日報道していた。また、訪問3日目に知事公邸や州議会で意見交換したときの様子はテレビでも放映された。
 今回のグアム訪問は、沖縄に駐留する海兵隊の移転問題だけでなく、米国戦略や戦力構成、さらには米軍の再配置計画の中での海兵隊の位置づけやグアムの戦略的位置などについても、当然、私たちの関心の対象であった。私たちは2日間に亘って副知事、州議会、住民グループと意見を交換し、米軍基地の受け入れの問題などを話し合ったが、それぞれの立場を要約すると次のようになる。

副知事:合衆国を構成するものとして、地域の安全保障にとってグアムは戦略的に重要な位置にあり、大多数の島民は愛国的立場から基地の受け入れには賛成だ。私たちは合衆国の一員として、海兵隊の存在には敬意を持っている。海兵隊は危険だと皆さんは主張するが、海兵隊と暮らすほうが(アフガニスタンの)タリバンと暮らすよりも安全だと確信している。しかしこれ以上、グアムに多額の資金を投入し大規模な部隊を受け入れることは地域インフラの不足をもたらし、住民福祉の点から限界だ。
グアムの象徴(旗の文様)であるカヌーに例えれば、もうカヌーは一杯になっていて、これ以上乗せればカヌーは沈んでしまう。

州議会:州議会としては合衆国連邦議会に海兵隊のグアム移転問題では住民の意見を聞くよう議会決議で求めている。グアムは米国の自治(国連の信託統治)領であるためさまざまな権利が認められていない。たとえば、私たち州議会議員でさえ米本土に出かけるときはパスポートが必要とされている。税金は納付しているのに大統領選挙の選挙権も与えられていない。上院議員の選出もできない。日本政府の費用でグアムに基地を移設するなら、日本政府はまず、グアムの住民が合衆国内で平等な立場で意思決定できるよう支援してほしい。
 グアムでは1995年以降の基地閉鎖により一部の土地は州政府に返還された。しかし基地跡地では有害廃棄物による深刻な土壌汚染が明らかになっている。返還された土地も土壌の浄化作業が済んでいないため2割程度しか利用できず、今だにほとんどの土地が利用できていない。
 米軍(政府)は現在でもグアムの3分の1の土地を所有している。もし日本から海兵隊の基地を移転するというのであれば、基地受け入れはその範囲で行うべきだ。新たに住民の土地を接収するのには反対している。米軍の再編計画については議会で公聴会を行い、住民の意見をまとめオバマ大統領に伝えた。議会決議では土地の強制収用や先住民族の文化財破壊、観光や漁業を妨げる海岸の占有、環境を破壊する工事を許さず、現在の施設の範囲で対処すべきとした8項目を確認した。

住民団体:「チャモロ・ネーション」は先住民の組織として、23年前から権利回復の取り組みを行っている。米軍再編を機会に米軍基地を抱えている国の人々との交流を始めた。米国は先住民の承認を得ずに基地を拡大してきた。今また、射撃場建設のために先住民の土地を補償もなしに取り上げようとしている。米軍占領下の沖縄で起きたことと同じことが再びグアムでも起きている。私たちは特別に基地の存在に反対しているのではない。
 基本的には、グアムのことはグアムの人々に任せてほしい。基地がなくなったらグアムの経済はどうなるかという心配があるが、現実の土地もない中では検討もできない。土地があればさまざまなアイデアが出てくるだろう。まず、基地用地の返還が必要だ。

進まなかった基地の返還

 4年前の2006年1月、米軍が撤退した後の状況を調査するためフィリピンに出かけたことがある。1週間かけた取材旅行では、当時極東最大の広さを誇っていたクラーク空軍基地があったアンヘルス市、同じくスービック海軍基地があったスービック市とパンパムガ市で進められている基地跡地の再開発の現状と課題についてそれぞれ取材した。
 スービック湾に隣接したキュ一ビー・ポイント住宅地区も含め、ルソン島にあった米軍基地は1991年に起きたピナツボ火山の噴火と降灰の被害を受けて閉鎖され、用地はフィリピン政府に返還された。しかしその用地はさまざまな重金属や化学物資、廃油で汚染されており、移り住んだ住民の間で健康被害が広がり、白血病、皮膚病、腎臓病、心臓病、喚起の言う生涯(肝機能障害?)、悪性新生物による被害は今なお住民を苦しめていた。
 結局、返還された米軍基地跡地のかなりの面積は汚染が除去されないため使用できず、そのまま放置されていた。住民の間では汚染の原因者である米国政府を相手に訴訟を起したグループもあったが、いまだ米国政府の責任は認められていない。
 グアムでも同様のことが起こっているという。州議会での意見向寒の折、フィリピンや沖縄での基地跡地汚染問題について意見を聞いてみると、やはりグアムでも返還された土地の汚染が深刻なもので、除去作業が進まないため新たな利用もできていないということであった。
 基地の跡地利用が進まなかったのは、決して利用計画の不備や実行能力がなかったためではなく、汚染された土地の浄化作業を原因者である米国政府が行わなかったからであった。
 面白いことに、フィリピン・クラーク空軍基地跡地の再開発を進めているCDC(クラーク開発協同組合)の広報担当者であるロペス氏もチャモロ・ネーション代表のデビさんも同様のことを言っていた。「土地と知恵があれば、できますよ」と。
 用地の再利用を進めるためには、まず返還した土地の汚染を米国政府の責任で浄化することが必要なのだ。

なぜグアムに基地なのか

 ハガニアにある知事公舎での会見の中で会見に応じてくれた副知事は行政の責任者としての立場と愛国的立場から現在の軍事基地の存在には賛成する一方、グアムをカヌーに例え「小さな船にこれ以上詰め込んだら沈没する。」と、これ以上の基地増強には明確に懸念を表明した。
 また、州議会も95年以降の基地閉鎖の中で疲弊したグアム経済の現状を心配しながらも、本来住民に返還すべき土地が汚染除去の遅れから計画通りに進まない中で、逆行するように計画されているこれ以上の土地取り上げには反対する決議を採択し、政策決定に対する連邦政府との平等な権利を保障するよう求めた、そして住民団体は「グアムは米国の所有物ではない。もしグアムに基地を建設しようとするなら、その必要性を説明すべきだ。」とし、米国政府が今年7月にも計画している北部にある射撃場用地の強制接収には体を張って抵抗する、と強調した。そしてその土地には日本国民の税金で基地が建設され、住民への補償はない。背景には占領下の沖縄で起きたことと同じ「自治領・グアム」での先住民の人権問題がある。なぜ、グアムにこれ以上の基地が必要なのか、という問いに明確な答えは示されていない。

再び西太平洋の主軸に

 日本では沖縄や岩国、神奈川で、韓国では平澤で、そしてグアムでは州政府や議会、住民団体の反対や環境破壊への懸念を無視して基地建設を強行しようとする理由は米軍再編である。ともすれば日本では「在日米軍再編」と誤解されがちであるが、米国政府が進めているのは「全地球規模での米軍再編」(グローバル・ポスチャー・レビュー)である。東西冷戦終結は東アジアに大規模な米軍が駐留する根拠を希薄にし、韓国や日本、とりわけ沖縄で軍基地縮小・撤去を求める動きが広がった。米国政府は戦略を大規模地域紛争や対テロ戦争に重点を移す中、軍事基地を6っに分類し再編成に着手した。そこで焦点になったのが西太平洋・東アジアでの戦略的主軸をどこに配置するかである。沖縄で広がった反基地運動に「沖縄の負担軽減」で対処しようとし、沖縄県内移設や本県などへの一部基地の移転が構想された。しかし、いずれの計画も沖縄を「主軸Jとする構想であり負担軽減にはつながらないことは明らかで、今なお計画は進んでいない。そこで「愛国心を持つ人々からなる米国領土」(グアム商工会議所白書)であるグアムが西太平洋の主軸基地として浮上した。グアムの北にある北マリアナ連邦のサイパンやテニアンなどの島々と一体化した構想で、サイパンには現在も海兵隊の戦闘装備を積載した貨物輸送艦が常時停泊している。北マリアナ連邦政府は米軍基地の受け入れも表明している。
 しかし今回の調査で明らかになったことは、州政府(自治体)、議会、住民に理解されない基地建設は受け入れらないのはどこでも同じ、ということであった。軍事という「公共事業」による利益を振りまいても安定した環境の基地は存在しない。それは沖縄でも長崎でも、グアムでも同じことである。
 なぜ今基地なのか、ということの説明が今こそ求められている。
(以上)