きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)報道の立ち位置

<北村肇の「多角多面」(81)>
 いわゆる「右翼」の人と話す機会は意外に多い。公開での討論もある。そのこと自体を批判されるときもある。でも、誰とでも言葉でやりとりするのがジャーナリストの仕事なので気にはしない。それはそれとして、あるとき右翼の人に真顔で言われた。「『週刊金曜日』は中国から財政的支援を受けているのでしょう」。のけぞった。戦争責任の問題と中国共産党政権への評価は違うと、本誌の具体的な記事をもとに説明した。とりあえず「誤解」は解けた。「左翼雑誌」=「無条件に中国支持」と頭から信じていたようだ。もちろん、こんな「話しのわかる」人ばかりではない。

 北朝鮮に関して、「左翼は無条件に支持している」と故意に喧伝する人たちがいる。「あんなひどい国を支援する左翼はひどい」との構図だ。もちろん、本誌の場合、全面支持の立場をとるはずもない。ただ、意図的で政治的な北朝鮮バッシングを容認するわけにはいかない。何しろ、日本政府は「衛星打ち上げ」の際、まるでミサイル攻撃を受けるかの如くに大騒ぎした。衛星打ち上げ技術がミサイルに転用可能なのは事実だ。だが、弾頭に「衛星」(仮に玩具のようなものであれ)を積んであれば、それをミサイルとは言わない。

 もっと異様なのが高校授業料無料化や補助金の問題。朝鮮学校に対する政治的嫌がらせそのものだ。子どもたちを外交問題に巻き込むのは許し難い。こうした主張に対して「拉致も認めるのか」という言葉が返ってくる。まるで次元が違う。拉致はとんでもない国家犯罪だ。許せるはずがない。しかし、横田滋さん、早紀江さんも指摘しているように「教育は教育の問題。拉致とは別問題」なのだ。(本誌6月15日号参照)。

 核開発に関していえば、北朝鮮でもイランでも許容できることではない。これについては逆に左派の人から、米国を始めとした核大国との「二重基準」はどうなるのかと詰められることがある。論理展開がおかしい。あくまでも、目的は地球上からすべての核をなくすことだ。現保有国に廃棄させることと、これ以上の核保有国をつくらせないことは矛盾するものではない。かつて、一部で唱えられたような「米国の核は汚い、ソ連、中国の核はきれい」のような間違いを犯してはならない。
 
 強者と弱者がいれば、ジャーナリストは常に弱者に寄り添うべきだ。だから、米国と北朝鮮なら北朝鮮の側に立ってものをみる。しかし、それは黒を白と言いくるめる姿勢ではない。あくまでも事実に基づき客観的に判断するのが当然だ。また、例外なく為政者は強者、市民は弱者である。その意味で、「金王朝」や「中国共産党」は批判・監視の対象である。どんな報道においても、この立ち位置は変わりようがない。(2012/6/15)