きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

この国のゆくえ32……「99%」の怒りが世界を変える

<北村肇の「多角多面」(51)>
 世界は新しい奴隷制社会に入りつつあると、何かにつけて書いたり話したりしてきた。いまは「つつ」をとる必要がある。明らかに奴隷制社会になったからだ。とともに、奴隷と化した「99%」の怒りが顕在化した現実を、しっかりととらえなければならない。

 エジプトのジャスミン革命に端を発した「虐げられし者の反乱」は各地に伝播し、ついには米国の「ウォール街占拠」へとつながった。もはや、この流れは誰にも止められない。いずれ日本にも上陸するだろう。

 この国で「1%」が露骨に奴隷制へ向けて走り出したのは1995年。この年に日経連(当時)が打ち出した「新時代の日本的経営」が目指したのは、「1割の経営者、2割の経営者予備軍・技術者、7割の取り替え可能な労働者」だった。7割の労働者は機械の一部にすぎず、“名前のない”奴隷そのものである。

 さらに、小泉純一郎政権下の「弱肉強食」「自己責任」路線が財界を後押しした。だが、マスコミも労働組合も、この問題への取り組みは弱かった。なぜなら、マスコミ人や大企業労組の役員はもともと勝ち組だったからだ。そして、もう一つ忘れてならないのは、「1%」が“自由”という言葉を巧みに使ったことだ。「企業に振り回される生活はもう古い、これからはひとり一人が自分探しの旅に出る時代」という甘いささやきが、大量のフリーターをつくる強力な武器になった。

 新しい奴隷制は、ムチをならし、無理矢理働かせるシステムではない。「自由」をエサに、取り替え可能で安価な労働力を生む一方、正社員には「企業という船から出たら溺れるぞ」という暗黙の脅しをし、過重労働を受け入れさせたのだ。

 いまさら解説するまでもなく、新自由主義社会では、カネがカネを生み出す。貧富の差は急速に広がり、95年の「1対2対7」の社会は、瞬時に「1対99」の状態になった。圧倒的多数の市民が奴隷化したのである。

 こんな時代が続いていいわけはない。続くはずもない。いずれ「99%」の怒りの前に、「1%」は心を入れ替えざるをえなくなるだろう。カギを握るのは「情報」だ。かつて、権力者は情報を握り、コントロールすることで被抑圧者の力をそいできた。だが、フェイスブック、ツイッターなどの登場で、情報交換による「99%」の「連帯」は容易になった。押さえつけることは不可能だ。世界は変わる。(2011/10/28)

この国のゆくえ31……いまさら秘密保全法ですか

<北村肇の「多角多面」(50)>
 ウソをついてはいけない。その通りだ。でも、まったくウソの存在しない社会など成り立つわけがない。かりに、だれもが相手の心を読めたらどうだろうかと考えてみる。おそらく、あちこちでいざこざが絶えず、私たちは人間不信の塊になるはずだ。本心をぶつけ合うことは必ずしも「善」ではない。

「隠し事」にも同じことが言える。秘密を明らかにしないほうが幸せで、正直が悪になることだってありうる。人間関係の機微はなんとも微妙で複雑だ。きれいごとの教訓話では割り切れない。といって、これらはあくまでも、私たちひとり一人の日常での話である。相手が国とあっては別だ。

 政府は「秘密保全法案」を次期臨時国会に提案する方針という。報道によれば、行政機関が所有する秘密情報の中に「特別秘密」を設け、故意に漏洩した場合は厳罰に処すとされる。はっきり言おう。意味するところは「国にはウソや隠し事が必要。だから、それを暴くことは許さない」ということだ。つまりは、官僚や政治家の本音そのものである。

 1985年、中曽根康弘首相は悪名高き「国家秘密法案」を提出した。しかし、市民やマスコミの強い反対により廃案となった。その後も、政府や自民党はたびたび成立をもくろんできたが、日の目を見ることはなかった。今回は、民主党政権のもとで亡霊が出現した形だ。「またかよ」と腹が立つ。

 発端は、昨年、尖閣諸島沖で発生した中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件。海上保安官が、衝突の模様を撮影したビデオをインターネット上に流した。政府は国家公務員法の守秘義務批判だとぶち上げたが、結果は起訴猶予処分。これを受け、仙谷由人官房長官(当時)が秘密法制に向けての有識者会議を立ち上げた。

 問題の映像をご覧になった方も多いと思うが、果たして「特別秘密」にあたるだろうか。政府にとって「都合の悪い」映像だから隠蔽したのではないのか。むろん私も、外交の機微を無視する気はない。市民の平和を脅かすことのないように、あえて隠す情報もあるだろう。だが、上述のビデオ流出や「沖縄密約事件」を見る限り、官僚や政治家の思惑は別にあるとしか思えない。繰り返せばそれは「都合の悪い事実は闇に葬りたい」だ。

 こんな法案はそれこそ葬るしかない。ただ、気がかりなことがある。中曽根政権時代と違い、マスコミの動きが妙に鈍いのだ。(2011/10/21)

[この国のゆくえ30……透明感のない、2011年の秋]

<北村肇の「多角多面」(49)>

「秋の色」は何色だろう。春ならピンク、夏は黄色、冬は白と、すぐに思い浮かぶ。でも秋の色は難しい。他の季節と違い、透明感がある。雨上がりの朝など、街はすっかり「秋の色」に包まれ、そこには澄み切った世界がある。つまり「無色」なのだ。

 秋はまた「黄昏」にも喩えられる。誕生の春、活動期の夏を終えて訪れる成熟、静寂の季節はまた、老境のとば口でもある。ただ、それは必ずしも、厳寒の冬を控えているという後ろ向きの喩えではない。すべてが活発に動く若い時期は、なかなか澄み切った視線でものを見ることが難しい。さまざまな体験を経て初めて、透明感を身につけることができるのだ。

 だが、成熟したはずのこの国には、なかなか「秋」が訪れない。どんよりとした墨色の雲に覆われているかのようだ。「3.11」から7カ月近くてたって初めて、文部科学省は「福島原発から約45キロ離れた福島県飯舘村を含む同県内6カ所の土壌から、プルトニウム238(半減期88.8年)が検出された」と発表した。事故当初、東電は「プルトニウムは重いので遠くまで飛散することはない」と言っていた。微細な粒子になって風に乗って飛ぶ、いわゆるホットパーティクルの危険性が指摘されていたにもかかわらずだ。

 また、今回の調査ではプルトニウム239(半減期2万4000年)も検出された。しかし事故の影響かどうかは特定できないという。過去の大気圏核実験時に飛来した可能性もあるというのが理由だ。それなら「プルトニウムは重いから遠くに飛ばない」は初めからウソだったと言うことではないか。開いた口がふさがらない。

 政府や東電が、真実を隠蔽したり、事実を歪曲して発表していることはもはや疑いようがない。そんな状態で「事故収束」とか「復興」とか打ち出したところで信用できない。まずは、すべてを包み隠さず明らかにすることだ。そして、「何が間違っていたのか」「誰に責任があるのか」を明確にすべきだ。ことさらに犯人捜しをしようと主張しているわけではない。でも、そこの霧が晴れない限り、真実は見えてこないし、将来に向けての教訓にもならない。

 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)問題も一向に透明感がない。この協定は経済に関わることだけではなく、さまざまな規制緩和圧力を伴う。たとえば、GM作物(遺伝子組換え作物)が全面的に解禁される危険性もある。しかし、こうした重要な論点は覆い隠されたままだ。いつにもまして、透明感の欠けた2011年秋。(2011/10/14)

この国のゆくえ29……何度でも繰り返そう、新聞よ覚醒せよ!

<北村肇の「多角多面」(48)>

 月に1度の休刊日はいらいらする。何があろうと「新聞」が好きだからだ。インターネット時代と言っても、新聞が報道機関の中心であるのも間違いない。だからこそ、声を大にして言いたい。ジャーナリズムの原点を取り戻せ! いい加減に目覚めよ!

 東日本大震災以降、「出前講演会」と銘打って全国行脚している。「大震災・原発とメディア」をテーマに新聞・テレビ報道の裏側について話すのだが、マスコミに対する市民の憤りをひしひしと感じる。「政府や東電の広報機関に成り下がっている」という批判が、引きも切らず参加者から出てくるのだ。

 確かに、物足りなさを通り越してあきれることが多い。報じるべきことを報じないし、報じ方のポイントもずれている。典型的だったのが5月6日の文部科学省の発表。米国エネルギー省と共同で航空機により福島県内の放射線量を調査、結果が記者クラブに配布された。そこには「地域によっては、セシウム137が300万~1470万ベクレル」と書かれていた。チェルノブイリでは55.5万ベクレル以上の地域は強制移住の対象だったから、汚染の凄まじさがわかる。

 ところが、この大ニュースが翌日の新聞では1行も報じられなかった。実は、この日、菅直人首相が「浜岡原発を止める」と会見した。推測だが、文部科学省は、あえて同じ日に資料配付をぶつけたのではないか。言うまでもなく、大きく報じてほしくない中身だったからだ。数日遅れで『東京新聞』が記事にしたものの、他紙ではみかけなかった。かくして、絶対に「報じなければならない」ニュースは埋もれてしまった。

 こうした例はいくらでもある。記者の「力」が落ちたのなら、まだ救われる。訓練さえすればいいからだ。しかし、根はもっと深く、「立ち位置」の問題に帰着する。簡単に言えば、ジャーナリストは常に「弱い者」の立場に立って「強い者」を監視し批判する。だから、原発に関して言えば、「反原発」の立場に決まっている。「客観」とか「是々非々」とか、意味のない言い訳は成り立たないのだ。

 何度でも断言する。マスコミ、とりわけ新聞が真のジャーナリズムの立ち位置を見失わなければ、社会は確実にいい方向に動く。それだけの「力」を持っているのだと再認識せよ! 一刻も早く!

「櫂未知子の金曜俳句」10月末締切の投句募集について

『週刊金曜日』2011年11月25日号掲載の俳句を募集しています。
【兼題】「案山子(かかし)」もしくは「芒(すすき)」(雑詠は募集しません)
【締切】 2011年10月31日(月)必着
【投句数】1人計10句まで何句でも可
※特選に選ばれた句の作者には櫂未知子さんの著書(共著を含む)をお贈りします。 

【投句方法】官製はがきか電子メール
(氏名、俳号、電話番号を明記)

【投句先】
郵送は〒101-0061 東京都千代田区三崎町3-1-5
神田三崎町ビル6階 『週刊金曜日』金曜俳句係宛。

電子メールはhenshubu@kinyobi.co.jp
(タイトルに「金曜俳句投句」を明記してください)

【その他】新仮名づかいでも旧仮名づかいでも結構ですが、一句のなかで混在させないでください。
なお、添削して掲載する場合があります。

金曜俳句への投句一覧(10月28日号掲載=9月末締切、兼題「渡り鳥」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』10月28日号に掲載します。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

『週刊金曜日』の購入方法はこちらです

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予約もできます。「週刊金曜日」で検索してください。配送料は無料です。

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金曜俳句への投句一覧(10月28日号掲載=9月末締切、兼題「新蕎麦〈そば〉」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧です

選句結果と選評は『週刊金曜日』10月28日号に掲載します。
どうぞ、選句をお楽しみ下さり、櫂さんの選と比べてみてください。

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