きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

「櫂未知子の金曜俳句」9月末締切の投句募集

『週刊金曜日』10月22日号掲載の俳句を募集しています。
【兼題】 「柿」もしくは「秋祭」(雑詠は募集しません)
【締切】 9月30日(木)必着
【投句数】1人10句まで何句でも可
※特選に選ばれた句の作者には、櫂未知子さんの著書をお贈りします

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大阪からの手紙(2)

シジフォスの希望(42)

 赤堀政夫さんからの「ご挨拶」の一文は、自らの裁判と確定死刑囚となった無念についての記述に進む。以下、抜粋。
〈……それ以降、私とは何の関係もないところで裁判は、第一審・第二審と進み、1960年12月15日最高裁で死刑確定囚にされました。
 いまも、悔しくて悔しくて、仕方ありません。
 この日以降、死刑確定囚として、苦難の日々を送ることになりました。
 平成元年1月31日(1989年1月31日)無罪が確定しました。
 ようやく解放されました。実に34年8カ月間人生を奪われたのです。〉

 それから記述は、「毒カレー事件で不当拘禁されている林眞須美さん」という呼びかけとともに、続く。
 〈眞須美さんには「自白調書」がないと聞いています。
 また、裁判所が「事実認定」した「証拠」にも、大きな疑問があると聞いています。実に疑わしい「事件」だと思っています。
 法原則が、「疑わしきは被告人の利益に……」であれば、即座に釈放されるべきでしょう。
 現在、大阪拘置所の眞須美さんは10年目の不当な拘禁生活を強いられています。私は一日も早い解放を願わずにはおれません。〉

 〈冤罪死刑囚の悲劇。
 第一に……本人の生命が危機的状況を強いられます。「憤り」「悔しさ」「うらみ」噴出します。日々の感情は烈しくゆれ動きます。人は堪えられるものではありません。
 第二に……それにつながる家族も、また、その渦に巻き込まれ悲惨な生活に強いられます。
 第三に……真犯人を取り逃がします。
 第四に……殺された被害者の「霊」は決して慰められません。
 こうした悲惨さは誰もが受け手はなりません。
 また、させてはならないのです。〉

 そして最後に、「全国民への訴えかけ」としてこう結ばれる。
〈私は無力ですが、眞須美さんのため、経験を生かして何らかの力になりたいと思っています。
 皆様も、眞須美さん支援の輪を広げて、全国民へ訴えかけてくださることをお願い申し上げます。
 有り難うございました。 
 2007年12月9日 赤堀 政夫〉

 以上が、大阪から送られてきた封書の中にあったコピーの内容である。この一文を送ることで林眞須美さんが何を伝えたかったのかはお分かりであろう。蛇足のような説明をこれ以上書くことはやめる。
 最高裁判決後、09年7月には和歌山地裁に再審請求書が出され、今年3月には眞須美さんの毛髪再鑑定の請求もされている。1998年7月25日に起きたカレー事件はまだ終わっていない。
                                   (2010年8月26日・片岡伸行)

大阪からの手紙(1)

シジフォスの希望(41)

 不定期だが、このところ月に一度くらいの頻度で「大阪市都島区友渕町」から手紙が届く。差出人名は「林眞須美」。最高裁で死刑が確定し(2009年7月22日)、その後、再審請求をしている死刑確定囚だ。大阪拘置所から出された白い封筒には、いつもブルーのボールペンで書かれたやや硬い筆跡の文字が並んでいる。最近では、封書の裏側(差出人)を見なくとも、「ああ、眞須美さんからだ」と判るようになった。

 私信ではあるが、ご本人の承諾を得て、手紙の内容を少しずつ紹介していくことにする。というのも、これは私宛に来ているものだが、内容はと言えば、多くの人に伝えてほしいというご本人の意図がよく理解できるからである。もちろん、それ以外の内容を書き連ねるつもりはない。

 最近の封書に入っていたのは、島田事件(1954年3月、静岡県島田市で発生)の犯人とされ、死刑確定囚として34年8カ月の監獄生活を送り、1989年に無罪が確定した赤堀政夫さんからの「ご挨拶」と表記された一文のコピーである。文末に「2007年12月9日」との日付。和歌山市内で開かれた支援集会に赤堀さんが「ゲスト」として参加したときの「ご挨拶」だと思われる。3年近く前の一文がなぜ今ごろ送付されてきたのかは、この内容を紹介していくことで推察されると思う。
 島田事件は、免田事件、財田川事件、松山事件とともに「四大死刑冤罪事件」の一つとされる。この一文の中で島田事件の内容にも触れているので、まずはその部分から紹介しよう。

〈元無実の死刑囚赤堀政夫です。
 私は昭和29年(1954年〉5月24日、岐阜県鵜沼市を放浪中、全国指名手配者として、不当な逮捕をされました。しかも、逮捕は別件逮捕です。即日、島田署に連行されました。
 取り調べでは、同年3月10日に島田市内で起きた「幼女・強姦殺人事件」の容疑者に変わりました。
 私は事件当日には島田に在宅しておりませんでした。
 横浜の「外川神社」の縁の下に寝ていました。
 この外川神社は、私の記憶と絵図面を頼りに支援者が見つけ出してくれたもので、重要なアリバイとなりました。〉
〈島田市へ連行され、警察に初めて「幼女殺人事件」を知らされました。
 身に覚えがないのに、それを「拷問」・「誘導」で私を締め上げました。
 知らないことは、知らないのです。
 島田警察署と検事は、自分達の勝手な想像で描いた「作文」を、「自白調書」に仕立てました。
 そのうえ、私の腕を無理矢理つかみ、その紙に名前を書かせ、指印を押させたのです。
 警察の偽装工作はこうして始まりました。〉                     つづく
                                   (2010年8月25日・片岡伸行)
 

金曜俳句の投句一覧(7月末締切、兼題「盆踊」)

「櫂未知子の金曜俳句」投句一覧

選句結果と選評は『週刊金曜日』8月27日号に掲載します。

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金曜俳句の投句一覧(7月末締切、兼題「帰省」)

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