おしらせブログ 週刊金曜日から定期購読者の皆様へのおしらせを掲載しています。

第19回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」佳作入選作

北朝鮮の日本人妻に、自由往来を!

 西村秀樹

ドロボー暮らし

「北朝鮮でどうやって暮らしてきたんですか」とわたしが訊くと、
「泥棒ですよ、ドロボー」
 目の前にいる、少しやせ気味で高齢の女性の返事は、わざと冗談めかした口調で、それまでよりちょっと大きな声で、そう応えた。自嘲的というのか偽悪的というのか照れた表情だが、目は笑っていなかった。
 こうして北朝鮮から命からがら逃げてきた日本人女性へのインタビューが始まった。
「そうでもしないと、六人の子どもを抱えて生きていけない。だから…………」
と言い訳した。いたずらを先生に見つけられた小学生のような、はにかんだ表情を見せた。と同時に、母は勁(つよ)しと、わたしは心に刻んだ。
 女性は松川淑子という。まだ家族が北朝鮮に残っているから、世間に発表するなら仮名にしてくれとやさしくお願いされたので、本名を替えてある。目尻にくっきりと刻まれた皺、ささくれだった指先がままなく七〇歳代半ばを迎える年齢と、それ以上に、かの地の苛烈な暮らしぶりを想像させた。
 二年前(二〇〇六年六月)、二女マミ(仮名)といっしょに北朝鮮の鴨緑江を渡り、中国国内で活躍するNGOグループの手助けを得て中国のあちらこちらを転々と移動し、九月、中国国内の日本領事館に駆け込み、いまは大阪府八尾市内で娘と二人、静かに暮らしている。

(さらに…)

736号目次

       736号目次PDF

第19回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」佳作入選作

この壮大なる茶番

和歌山カレー事件「再調査」報告プロローグ

片岡 健

 

 和歌山カレー事件の発生は今から一〇年前、一九九八年七月二五日のことだ。和歌山市郊外の園部という町で催された夏祭りで、ヒ素が混入されたカレーを食べた六七人がヒ素中毒に罹患し、うち四人が死亡した。この事件の被告人・林眞須美(四七歳)は、一、二審で状況証拠のみ、動機も未解明のままに有罪・死刑判決を言い渡されたが、今も無実を訴えて上告中である。
 本稿は、公判記録などを元にこの事件を再検証した結果の一端を報告するものだ。最初に表明しておくが、私はこの事件を冤罪だと思っている。この事件が冤罪と聞き、ピンとこない人も多いだろうが、公判でも林眞須美が犯人とは断じがたい事実が数多く明らかになっている。それが、報じられてこなかっただけである。
 ただ、規定の紙幅で同女の無実を論証し尽くすのは、私の筆力では難しい。そこで本稿の目標にしたのは、事件発生当時に洪水のように報じられた同女の保険金殺人・殺人未遂疑惑――夫や知人にヒ素や睡眠薬を飲ませ、保険金を詐取していたらしい――に関する誤解を少しでも解くことだ。あの「別件」の疑惑が、同女がカレー事件の犯人だという世間の予断の大本と思えるからである。
 結論から言うと、この事件の初期報道は大半がデタラメで、林眞須美は保険金詐欺はやっていたが、保険金目的で人の命を狙った事実は一切ない。本稿によって、少しでも多くの方がそのことを理解し、同女がカレー事件の犯人だという思い込みを捨ててくれることを私は期待している。
 ではまず、林眞須美の保険金殺人・殺人未遂疑惑がどんなものだったか確認しておこう。これは「別件」の疑惑ではあるが、裁判でも、カレー事件の状況証拠として有罪の立証・認定に使われている。
 公判で検察は、同女が夫や知人ら計六人に対し、保険金目的でヒ素や睡眠薬を使用した事実がカレー事件以前に計二三件あると主張。うち六件が一、二審で同女の犯行、もしくは関与があったと認定され、「被告人は、人の命を奪うことに対する罪障感、抵抗感が鈍磨していた」(二審)などとして、カレー事件の有罪判決の根拠にされているわけだ。
 しかし公判では、検察が主張した林眞須美の保険金殺人・殺人未遂疑惑二三件は、根本から大嘘だとしか思えない事実が次々と明らかになった。以下、被害者とされた六人について、一人ずつ論証する。

(さらに…)

735号目次

       735号目次PDF

734号目次

       734号目次PDF

733号目次

       733号目次PDF

第19回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」優秀賞

この命、今果てるとも

――ハンセン病「最後の闘い」に挑んだ90歳――                             

入江秀子

 全国に13箇所ある国立ハンセン病療養所の施設を地域に開放し、同時に、高齢化する一方の入所者たちの終生在園と快適な生活を保障するための「ハンセン病問題基本法」(ハンセン病問題の解決の促進に関する法律)が、08年6月11日、成立した。超党派の国会議員による議員立法として、提出されていた議案であった。
 ハンセン病問題は、01年のあの歴史的な熊本判決により、すでに解決しているのではないかと思われているようだが、黒川温泉(熊本県・南小国町)の宿泊拒否事件に象徴されるように、ハンセン病回復者に対する根深い差別は依然として続いており、全国に約2800人(本稿執筆時)いる療養所入所者のなかには、いまなお、帰郷も両親の墓参も果たせない人が多数いるのである。また直近のニュースでは、北京五輪の組織委員会が発行した外国人向け「手引」の中に「ハンセン病患者は入国できない」という一項のあることが伝えられている。
 熊本判決から7年経った今、この訴訟を闘った人たちが、さらにまた、かつて「強制収容所」だった療養所を、地域に開かれた、福祉、医療、文化の拠点にしたいという理想に燃え、新たな闘いに立ち上がった。そして法案成立時には実に93万人を超える署名を集めたのである。その運動の核となったハンセン病回復者の人たちは、平均年齢79・5歳。いわば命を賭けた最後の闘いでもあった。

(さらに…)