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第21回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」佳作入選作

「おくりびと」の先に
――ある火葬労働者の死が問うもの――
 

 和田通郎

はじめに

 昨年アカデミー賞をとって話題になった映画「おくりびと」のきっかけになった青木新門さんの「納棺夫日記」(青木新門著:文春文庫増補改訂版)に、次のように書かれている。
「医者や看護婦だって、警察の鑑識員だって、納棺夫よりひどい死体を扱っているではないか、と思ったりした。しかし、冷静に考えれば、社会通念的に無理がある。葬儀屋の社会的地位は最低であるし、納棺夫や火葬夫となると、死や死体が忌み嫌われるように嫌われているのが現状である。」
「職業に貴賎はない。いくらそう思っても、死そのものをタブー視する現実があるかぎり、納棺夫や火葬夫は、無残である。
 昔、河原乞食と蔑まれていた芸能の世界が、今日では花形になっている。士農工商と言われていた時代の商が、政治をも操る経済界となっている。そんなに向上しなくても、あらゆる努力で少なくとも社会から白い目で見られない程度の職業に出来ないものだろうか。」
 全国には一九〇四カ所の火葬場(恒常的に使用されているもの:厚生労働省二〇年度統計資料)があり、政令指定都市では、五十数カ所の公営の火葬揚で約四〇〇名の労働者が働いている。
 大阪市の場合は六カ所の火葬場(公営五カ所、民営一カ所)があり、五十数名の労働者が働き、火葬件数は年間三万体弱(二〇〇九年度)である。
 今年(二〇一〇年)二月一七日、新聞やテレビは、「心付け問題」を大阪市の新たな不祥事として一斉に報道し、平松大阪市長は「服務規律確保プロジェクトチーム」を設置し、専門チームの「環境局斎場事案特別チーム」で問題を糾明して、再発を防止するよう指示した。
「心付け」とは、世話になった人に感謝の気持ちを伝え「お礼」として提供されるものです。結婚式などの冠婚葬祭や、病気などで入院したときに医師や看護師、旅館の仲居さんなどに渡す、広く世間一般に習慣としてあります。
 葬儀に際しての「心付け」は、親類縁者が自らの近親者の火葬を託す気持ちとして、霊枢車やタクシー、マイクロバスの運転手、火葬場の職員などに金銭を提供するもので、長年に亘って慣例的に行われてきた。現在でも、民間の火葬場では当然の如く「心づけ」があり、冠婚葬祭のマナー集にも、「心づけ」の金額や包装の仕方、額や渡す時期などについて事細かく記載されているものもある。
 大阪市においては、二〇〇二年に、公務員が職務に関わって規則などで決まっているもの以外の金を受け取ることが問題となり、各斎場に「職員に対する心付けは一切不要です」と看板が設置され、心付けを受け取ってきた職員は公務員にあるまじき行為として文書訓告処分にされ、今後一切の受け取りが禁止された。
 しかし今回、一部で心付けが存続していることが判り、問題が再燃することとなった。その後約一年を超える混乱は、行政、マスコミ、議会、警察などを巻き込む異常な事態に発展し、その混乱の中で一人の労働者が自らの命を絶つ事態に至った。

1.自死の訴えること

 二〇一〇年三月一日、一人の火葬労働者(Kさん)が自らの命を断った。勤続二四年、管理主任などの要職を歴任した職場一の年長者で享年五七歳、妻、娘二人と母の五人暮らしであった。
 彼が首を吊り死に選んだ場所は、彼が長年働いた職場の中央で、死後の身体の弛緩による職場の汚れを避けるため紙おむつを着け、鼻に栓を詰めるという周到さであった。それは何よりも、職場の同僚に要らぬ世話を掛けさせないための心遣いであった。
「職揚の皆様へ」と題する遺書が彼の机の上に残されていた。筆跡に乱れはなく、三枚にわたって死を選択した彼の気持ちが綴られている。
遺書は書く。
「現状の一連の流れの中で、北朝鮮のごとく警察に売り渡す様な局(大阪市環境局)の対応に腹立たしく思う…」
「部下を指導教育するわけでなく、おとしいれる事だけを考え、私利私欲だけで動いている上司の元で働く気力もなくなり抗議のために死を選ぶ事にしました。」
 自死の意図は明確である。彼の死は、大阪市当局の「心付け問題」に対する対応への抗議であった。
 翌日、新聞にも取り上げられたが、自殺の動機とその背景を正確に報道したものは皆無である。中には、「大阪市斎場職員自殺調査に『心付け』認め、悩む?」(三月一日付毎日新聞夕刊)など、心付けの受領がばれてそれに悩んでいたかのようなトンチンカンな報道もある。報道機関の想像力の欠如は如何ともしがたいが、報道の元になった当局の情報提供が、当局に対する抗議の死であることを隠し通そうと、恣意的意図的であったことが伺える。
「職場の皆様へ」と題する遺書は、自殺の連絡が入ってすぐに、斎場担当課と労務担当課が、職員や家族を労うどころか遺書を誰の許しも得ないで引ったくるように持ち帰られた。自殺が当局に対する抗議であることを、当局は自殺の当日に明確に認識していた。心付け問題に対する当局の対処方法が、問題を複雑に深刻にしてきたことの責任を回避したいばかりに、一人の労働者が命をかけて訴えたことをヤミに葬ろうとした意図は明白である。

遺書の最後に次のように書かれている。
「こんなになさけない思い、くやしい思い、みじめな思いまでして、どうして人がいやがる様な仕事を選んでしまったのか。我人生のこの二四年間はなんだったんだろうか、なさけなく思います。」
 二四年間も働いた労働者に「なさけなく、くやしくて、みじめ」な思いを抱かせ、死に至らしめたものは何なのか。そして、二度とこの様な悲しいことを繰り返さないためにも、その事実と背景が十分に検証される必要がある。

2.事件の概要

 (1)事件の発端と警察への捜査依頼
 二〇〇九年の春頃から、大阪市直営の火葬場の一つで、心付けの配分を巡って職員間でトラブルが発生し、それを原因として業務に影響が出て、市民や業者、行政を巻き込んだ問題が発生した。この問題は、当局が業者などに謝罪をして収束したが、問題の発端であった「心付け」について、今後どのような対応をするのかが大きな問題として残った。この年の暮れに開かれた現場主任会でも話題になり、早期に問題解決が図られるよう現場労働者から多くの意見が出されたにもかかわらず、具体的な解決策が当局管理者から述べられることはなかった。既にこの時、当局は、「心付け」の全容解明のためと称して警察に捜査依頼をし、その捜査結果をもって一挙に問題の整理を行おうと決めており、捜査の進展の妨げにならないよう、現場労働者に警戒心を抱かさせることのないよう細心の注意を払って情報管理が行われていた。(当局の大阪府警への捜査依頼は二〇〇九年七月――「環境局における心付け事案に関する報告書」)
 本来であれば、どのようなトラブルであれ、まずその実態を把握するために当事者から直接事情と事実を聞き取り、その調査結果をもってしかるべき措置を嵩じるものである。その措置の方法も選択肢は幾通りもある。特に労働現場で起こることは、その背景となる労働実態やそこに働く労働者の意志、意欲、想いを抜きに考えることは出来ない。多くの場合間われているのは、個々の労働者だけではなく、問題を引き起こした職場システムである。そのことを抜きに問題の全容を解明し再発を防止する手だてを講じることは出来ない。近くには、JR福知山線脱線事故が、国鉄分割民営化以降の職場の荒廃と、収益中心主義による苛酷な労働実態が存在したことを見れば明らかだろう。
 今回問題に引き寄せて考えれば、「心付け」は、斎場労働の報われぬ労働実態だろう。「心付け」と「斎場労働(正しくは火葬労働)」は、表裏一体、コインの裏表であり、その一方を取り出して、公務員倫理だけを理由に断罪することは、そこに働く労働者に対する冒涜だろうし、不当の誹りを免れられないばかりか、その立場が雇用者として実権を持った管理者である場合には、自らの責任を労働者に転化しようとする姑息な犯罪行為ですらある。元々、大阪市に於ける心付け問題は長い歴史と経過を持っている。問題が出るごとに、当局は労働者に対して心付けの禁止を要請するが、強権的に一律禁止に踏み込むことは出来なかった。その背景には、劣悪な労働実態と、社会的偏見による雇用確保の難しさがあった。
「金を受け取るなと言うが、当局はこれまで何をしてくれたのか?」(一九八五年分会交渉)マスコミなどに指摘されて、その時だけ事態を糊塗して真剣に労働現場に向き合おうとしてこなかった当局者の姿勢が問われてきたのである。今回の場合も本質的には同様である。ただ事情が違うのは、公務員に厳しく少しの誤りに対しても懲罰感情がきつい世論の動向だろう。今回の当局者も、その様な世論に乗って、労働者と労働実態に向き合うことはなかった。当局が選択した事態把握策は、大阪府警に実態の把握と立件を求めるという、およそ考えられないものであった。このことが、問題を複雑かつ深刻にした最大の原因といえる。
理事者は言う。「平成一九年にも調査をしたが、正直に事実を述べなかった。」
「現場労働者に聞いても本当のことはいわない。領収書のない世界で、実態を明らかにするには強力な捜査権限を持った警察以外にはできない。」

(2)警察の強制的な取り調べと桐喝
 二月一七日早朝、出勤した斎場職員M氏に大阪府警から携帯電話がはいる。大阪府警捜査二課は、瓜破斎場の裏門に府警の車を横付けにして、任意聴取にも関わらず有無を言わせず、M氏を職場から半ば強制的に大阪府警に連行した。勿論、心付けについての取り調べである。取り調べが終わったのは、日付が変わった一八日の午前〇時を過ぎるという苛酷なものであった。その間トイレにも行くことも許されなかった。取り調べの主要な点は、心付けを出している業者名、心付けを受け取っている職員名、業者と会食したか否か、海外旅行の有無と費用の出所、心付けをもらっている業者に仕事上の便宜を図ったか否かである。
 本人は取り調べ後に作成した上申書で、取り調べについて次のように書いている。
「(金銭については)こちらから請求は一切なくわれわれの職種に対して「『ご苦労様』と言う気持ちで発生してきたもの」として金銭の受領を認め、業者との会食などについては、「便宜の疑いを持たれたことも事実ですが、本来ならば行政側が行わなければならない業者指導」であり、「それによって、業者に便宜を計ったこと一度も有りません。釜(炉)取りの件については、月一度程度上司から、どの業者に関わらず市民サービスの一環として火葬時間の変更及び予備炉の準備をして下さいとの指示及び了解のもとで行われていることです。私達には、上司の指示及び了解が得られないことにはできないことです。まして、職務権限もありません」と述べている。
 当事者から事情聴取するまでの間、大阪府警は各方面に捜査の網を広げ、葬儀業者にも数回に亘り事情聴取をしている。
 その中で、大阪府警が着目したのは、A業者の社長とM氏が海外旅行していた事実であった。取り調べでは「A業者は旅行費用を経費で落としており、A業者の丸抱えでないのか」と何度も何度も聞かれている。特にA業者への便宜供与の事実をつかむために、当該斎場の関係書類を悉くチェックして、収賄の立件に血道を上げることとなる。警察のクリアーしなければならない問題は、提供された金の性格が心付けの延長なのか、賄賂なのかの一点である。大阪府警の捜査官も、「金が、(世間的に)嫌われる仕事に対して提供されたものか否かの区別が難しい」(大阪府警捜査二課捜査官)と述べている。
 一般に、役所に出入りする関係業者が自らの儲けの中から、斎場職員に金銭を提供する場合、何の見返りもなく出す筈はないと考えるのが普通である。大阪府警の捜査官も同様に考えたはずである。(職場の実態や仕事の中身を知らない当局関係課長なども同様であるが)
 結果として大阪府警は「単純収賄」等での立件を断念する。その事は、「心付け」と「便宜」を結びつけ犯罪に仕立て上げようとするシナリオが破綻したことを意味した。
 この捜査で当局が果たした役割は重大である。関係職場の業務関係資料は悉く大阪府警に資料提供され、関係労働者の住所や顔写真など個人情報まで提供された。この顔写真などを使って、張り込みや尾行が行われている。
 また、当局に内部告発したものを警察への情報提供者として全面協力させている。その者への見返りを当局は、調査報告のとりまとめの中に十分に用意することとなる。

(3)新聞報道
 警察の立件断念を受けて、二月二五日、五大紙が一斉に新聞報道に踏み切る。
 産経新聞の見出しは「斎場利用業者に便宜か」であり、サブタイトルには「『質より量』炉の確保やっき」とある。記事には「『質より量』を求め、より多くの葬儀をこなしたい一部業者にとって、火葬炉の確保と時間の短縮は経営を左右する重要課題。一部の職員と結託することで、火葬を優先的にさばく構図を作り上げていたとみられる。」と書き、また、「市環境局によると、高齢化による死亡率の増加で、市立斎場五カ所の稼働率は高く、死者が増える冬揚に至っては『炉は予約で満杯。五日待ちになることもある』という。」
 読売新聞は「市関係者によると、複数の斎場職員が「部の葬儀業者に対し、火葬の順番を早めたり、駐車場から近い火葬炉を割り当てたりするなどした謝礼として、数十万円を受け取ったとの疑惑が持たれている。」とある。
 また朝日新聞は「大阪市によると、昨年職員から内部告発を受けて調査を開始。……。見返りとして業者が求める火葬炉の場所や火葬する時間などで融通を利かしていた職員もいたという。」とある。
 これらの報道の共通点は、警察の問題意識と同様で、金銭の授受→火葬時間の変更などの便宜供与→収賄とする図式である。各紙に共通したこの様な思いこみは、取材元から提供されたニュースソースや事情説明そのものが誤りであったからに他ならない。取材元とは当然の如く環境局であり、その事情を説明した当局者であり、職場の労働実態を本当に知らないか、意図的な説明を敢えてしたかの何れかしか、この様な誤りが記事に反映することはない。
 手元にある大阪市の過去五年間の統計資料によると、大阪市の死亡者数は約八〇〇件増加している(二〇〇五年二四、五二〇名、二〇〇九年二五、三四四名)。この増加は、各斎場で平均しても二日に一件程度である。火葬件数も一五〇〇件増えている(二〇〇五年二二、二二〇名、二〇〇九年二八、七五一二名)。この増加は、各斎場で平均しても一日に一件程度である。この件数からは、新聞記事のような火葬炉の確保に難渋する様な実態は考えられない。斎場労働者からの聞き取りでも、新聞報道が描くような切迫した火葬炉の確保難等は存在しない。
 この様な記事が書かれる根本には斎場労働への認識の欠如がある。斎場の労働者と葬儀業者との関係は、一般的な市役所の仕事を受注する業者と仕事を発注する市職員という図式に当てはめられない。贈収賄が成立するような余地は殆ど存在しないと言っていい。我々が考えるより、業者と職員との関係は公と民を超えて親和性が強く、その関係は家族的な領域に達していると考えた方がよいし、葬儀を通じた共同作業者としての連帯感が強い。それは、社会にとって必要不可欠な仕事であるにも関わらず、社会的には評価は低く差別的偏見の対象である両者が、被差別の絆で結ばれているからだ。外面的には利害対立し仲が悪そうに見えても、対外的には共通する感情の共有がある。その事を見通すことなく「心付け」問題を報道すれば、この様な事実誤認と思いこみの記事になってしまうのだ。記事が、今回問題をただ単なる「公務員の不祥事」としかとらえられない限界は、報道機関の如何ともしがたい想像力の欠如と世間の公務員への懲罰感情への迎合としか言いようがない。

(4)当局の調査開始
 マスコミの報道を受ける形で、当局による調査が開始された。調査は、調査期間(二〇〇三年四月~二〇一〇年一月)に斎場に勤務したもの全員対象に行われた。聞き取りの前段に、誓約書の提出が半ば強制され、言わば警察官による被疑者尋問の如きものであった。警察では事前に憲法に定められた自己防衛権に基づく黙秘権の告知が必要であるが、それすら反故にされ有無を言わせぬものであった。誓約書には、事実と違うことを言った場合は如何なる処分も受けるとされており、白紙委任状まがいのものである。
 この調査には、驚くことに警察が介在する。前出のMさんには警察から電話が入り、「警察で言ったことを正確にしゃべれ。警察で言ったことと違うことを言うな!」と桐喝し、担当課長の処に電話せよと指示される。その電話によって、調査期日が入ると言った異様な状態で調査が行われた。
 この調査の中で担当課長は現場労働者を「おまえ」呼ばわりをし、U氏に対しては何の脈略もないのに、「Kが死んだのはおまえらのせいだ!」(三月二三日:U氏事情聴取)と罵倒した。このためU氏は、「言われた途端、頭の中が真っ白になり、それから後のことは全然覚えてない。唯、調書に捺印をさせられたことだけは僅かに記憶にある。」(U氏)状態になり、職場に帰っても動作に異常をきたし、同僚の薦めで病院に行き、事後「自律神経失調症」の診断で二週間の休業を余儀なくされた。(現在労災の認定請求中)
 U氏だけでなく、Kさんの死が現場労働者に与えた衝撃は、並大抵のものではなかった。Kさんの死んだ朝、職場は混乱と怒号が渦巻いていた。過日、大阪市の統括産業医がカウンセリングを実施したが、死後三ヶ月経った今も、精神疾患の疑いのある労働者が三名もいる状態である。
 当局の調査の方法は、相手の意志とプライドを破壊して、自らに都合のよい供述を引き出そうとする検察官気取りの悪辣な手口である。職場の同僚であり先輩であるKさんの死が職場に与えた衝撃を思いやる気持ちの一片すら感じられない。ここには同じ職揚に働く労働者同士としての関係は存在すら許されず、あるのは取調官と被疑者としての関係のみである。
 又、葬儀業者に対する事情聴取においても大阪府警の捜査が先行する。業者の帳簿は悉く調べられ、会計処理の不具合などを捕まえて立件すると脅しつけ、心付けの提供を有無を言わせず認めさせる。その上で、大阪市の調査に協力せよと迫り、担当課長への連絡と情報提供を強制している。
 この様な警察の圧力と人権侵害を伴う調査によって得られた個々の調査結果は、明らかに失当だろう。

(5)大阪市議会での論議
 三月一八日、大阪市議会の民生保健委員会で「心づけ問題」の質疑が行われた。辻義隆市会議員は、「なぜ、環境局独自でまず調査をせずに、いきなり警察に相談をすることになったのか」(大阪市市会事務局の議事録より、以下同様)と問いただしたのに対して、渡邊斎場担当課長は「これまで職員研修や業者への周知を行ってきたにもかかわらず、今回の情報が事実であるとすれば、業者と癒着した悪質なものと考え、内部調査では限界があると判断」したと答えている。この答弁は、議員がなぜ当該たちを問いただすこと無く警察に捜査を依頼したのかとの問いに何ら答えていない。
 また、議員は内部告発文書をもとに「(今回の問題は)いつから、どうやって、なぜ、だれの指導のもとに、心づけが復活したのかということが大事なポイント」
として「現場の指導的立場にあったA氏、B氏、C氏の三名が中心となって、心づけを復活すべく葬儀業者へ出向き、積極的なあいさつ回りを展開した。各職場に点在する後輩職員を抱きこみ、加速度が増すように業者からの心づけが復活」したとの情報があるが真相解明のためにしっかり調査を求めている。しかしながら、調査は根本の疑惑に一切答えるものとはならなかった。
 又同委員会で、斎場労働者の置かれている差別実態についても質疑がなされた。
「長い斎場の歴史の中で、職員全員が入社時から退職時まで別名(源氏名)を名乗っています。斎場勤務の中で顔を隠すためにサングラスやマスクを着用しています。知人が斎場に来ると、隠れて業務を離れることがあります。斎場内では撮影は禁止されていますが、…我々職員の顔写真が、知人など世間に知れ渡ることを恐れているんです。今回の心づけの問題は、金銭授受の調査だけではないんですよ、根っこにある。:・大阪市の職員の心の中に、うみのようにたまったわだかまりがある。
それがみんな、ここにおられるような幹部職員のほうに向けられているんですよ。
現場で汗流して働いている人間、ましてこういった差別の構造を変えずにほったらかしてきたような事実。今回の問題は、現業職だけの問題ではありません。…決してトカゲのしっぽ切りにならんように、根本的に、抜本的に解決することが必要…」として、平松市長の答弁を求めた。市長は「例えば職員の側から、実は実名を使いたくないんだというような話があったときには、しっかりとそれを守ってやる、実名を使わずしてどうして自分の存在があるんだというようなことを含めて、しっかりとみんなで支え合うような組織にならなければ、本当の意味で人権先進都市であるとか、国際人権都市であるとか言うことはいえない。」と答えている。
 しかしこの議論を受けて、環境局がとった対応は、職場の備品への源氏名の記載禁止と、実名名札着用の強制であった。

(6)当局の調査結果と疑問
 当局は三月三〇日、調査結果をとりまとめた。(以下は三月三〇日付環境局調査結果に基づく)
 斎場に勤務したもの九三名から聞き取り調査を行い、二三名が受け取りを認め金額は一〇〇〇円~五〇〇〇円程度とされた。また、業者との会食、ゴルフ、海外旅行が確認された。参加費は、業者との折半である。
 この調査に基づいて、「服務規律確保プロジェクトチーム」において第二次調査が行われ、再発防止策の検討と行政処分が行われることになる。
 この調査報告にはいくつかの問題がある。まず、調査期間である。調査期間は平成一五年四月~平成二二年一月までとされている。当局は、「平成一五年四月には一部斎場で心付けの授受が復活していたとのことで、職員、業者間で}致している。」と調査期問の根拠を示している。なぜ、前回の処分(平成一四年五月)から以降にしなかったのか? 平成一四年五月~平成一五年三月までの期間を対象から外す必要は何なのか。調査対象者の範囲は、「転出者も入れた平成一四年四月以降勤務者」であるにも関わらずである。ここに意図的な作為が存在しないか。「平成一四年夏頃から(心付けは)有ったと思います。」(Mさん上申書)「平成一三年秋頃に寸志が廃止になり約半年後に復活をし…」(Fさん上申書)と述べている。この証言は何故無視されるのか? 内部情報提供者を庇護するために、意図的に調査期間を短縮したのではないのか。情報提供者と目される人物が、平成一五年四月から心付けの授受を止めたこととの関連はないのか?
 また、会食やゴルフ、海外旅行が金銭の授受とどうリンクしているのか明らかでない。会食について調査報告資料は、一五名が参加し一三名が心付けを受け取っていたが二名は受け取っていなかったとしている。また、海外旅行は以前からの友人同士である。(Mさん)
 心付け問題の全容解明を計るという方針にもかかわらず、葬儀業者への調査は、大阪市登録業者(四九六業者)の五%に満たない二一業者に過ぎない。又、業者との会食は、調査対象とされた業者団体の「桜会」以外にもいくつもの団体があり、その会食には、現職の市議会議員や国会議員が参加したものもある。それらについて一切触れられていない。調査の方法と結果は、あらかじめ決めたシナリオに沿つた意図的なものと言わざるを得ない。
 今回の調査報告の信慧性に大いなる疑問がある。

(7)懲戒処分
 五月三一日、大阪市は一〇名の懲戒免職を含む四二名の処分を行った。
 処分に先立つ五月二九日、朝日新聞は「斎場「心付け」七人免職一五人停職」と報道した。新聞社の誤報(大阪市総務局)とされた報道を受けて処分の量定は加算され、懲戒免職者を三人増やす処分を発令したこととなる。当局の懲戒処分基準・処分手続などには不透明で不明な点が多々ある。懲戒処分された労働者は処分の取り消しを求めて裁判所に訴える決意と聞く。裁判の中で、公務員にとって「死刑」
に等しいとされる懲戒免職の不当性が明らかにされるだろう。

3.事件の背景にあるもの

 事件の背景を知るために、まず、過去に環境局が行った二回の「職員意識調査」
を見てみよう。その報告には、日頃口には出さない火葬労働者の心が見て取れる。
(1)第一回目「職員意識調査」
実施年度:一九八九年
調査目的:「…清掃事業に従事していることにより、社会的関係において被っている不利益(いわゆる『清掃差別』)を撤廃するための行政施策を策定するにあたり、その参考に資する」
回答率;九七・〇%
以下は、各設問に対する斎場・霊園労働者の回答率である。
ア、清掃労働差別の体験について
Q:「清掃労働者は、差別されている」という意見についてどう思いますか?
A:「根強くある」五七・七%
Q:「ここ一~二年間で、仕事中に「差別された」と感じたことがありますか?」
A:「良くある」一六%
イ、結婚差別と職業差別について
Q:「あなたの縁談の際に、相手の方は、あなたの仕事のことを気にしましたか?」
A‥「かなり気にした」一七・七%「少し気にした」二一・五%
Q:「お子さんの縁談の際、相手の方はあなたの仕事を気にしましたか?」
A:「かなり気にした」二五・〇%
Q:「将来、自分が結婚する際に、現在の仕事が妨げになると思いますか?」
A:「妨げになる」一六・七%
Q:「将来、子供が結婚する際に、現在の仕事が妨げになると思いますか?」
A:「妨げになる」三三・〇% 「少し妨げになる」三三・〇%
ウ、「仕事について話しているか」について
Q:「あなたの仕事の具体的内容を配偶者(妻や夫)は知っていますか?」
A:「全く知らない」七・五% 「殆ど知らない」三・二%
Q;「子供は仕事の内容を詳しく知っていますか?」
A:「全く知らない」二五% 「殆ど知らない」二五%
Q:「何かの書類で勤め先や職種を詳しく書くようになっているとき、あなたはどうしますか?」
A:「書かない」一一・七% 「ボカして書く」五二・四%
エ、闘き取り調査
・一番辛いのは、挨拶がわりに、今、何をしているとか、どこで働いているかとか聞かれることがあるからです。そんな時には『わしは遊んでますねん』とか言って、『市役所に勤めています』とも言えませんでした。同窓会に行くのも足が重くて、五回に一回ぐらいしか出席しません。仕事のことが話題になると、私らの職場の場合、一歩も二歩も後ずさりしますね。」
・「子供のことが一番気がかりで言いにくいところです。仕事の中身については、未だにはっきりとは言ってません。結婚は、この仕事についてからですが、いろいろ悩みが多いです。とにかく計りしれんほど重圧です。仕事の中身を明かしたのも、結婚してからでしたね。」
・「斎場の仕事に対する正当な評価をするということで、副読本で取り上げても、個々の人間が表に立つとなると、今でも近所に隠しているのにどうでしょうかね。……。現在の仕事に伴う世間からの差別と偏見を打破するためには、どうしても自分自身を卑下するところがありますので、これを取り除いて、世間と対等の立場に立てればと思いますが。」

(2)第二回「職員意識調査」
実施年度;一九九八年
調査目的;「より効果的な職場研修を実施するため」
取りまとめられた報告から斎場職場を特定するデータは抽出出来ないが、「聞き取り調査」の項に次の記載がある。
・「共同住宅にいた時、『なんで自分の家に人が遊びにこないのかな』と、思ったことがある。結婚の時も、色々あって。破談になった例もある。職業はやはり言いにくい。『(この仕事が)何で悪いんか』とも思うが、まわりがやはり気になる。自分の家族のことを考えて、家を移る人もおる。特に、子供のことを考えると、『子供に影響がないように』と思い、職場から遠い所に転宅してしまう。
 だけど、『誰かがこの仕事をせえへんといかん』のではないか。『人間のする仕事というのは、尺の測り方のちがいでかわる』もので、(世間の人に)どう変わってもらうかが問題だと思う。」
・「以前、斎場に孫と一緒にきたおばあちゃんが、『しっかり勉強せんと、ああいう風になるで』と言ってたことがある。学歴社会ははたして良いのかどうか。
『何で、この仕事だけが差別されるのか?』と思う。考えれば考えるほど、答えが出て来ない。差別されんようにするには、これ以上、何をしたらよいのか。はっきりわからない。
 自分の仕事は、恥でもないし、誇りを持っている。『これについてはプロ』という意識をもっている。ただ、自分の大事な家族のこと、特に子供への影響が、どうしても気にかかる。このシンドイ気持ちをどう訴えるか…」
 調査の最後の「若干の問題提起」は、「なお、斎場のありようについては、別途、慎重に考察する必要がある。」と締めくくられている。

 この二回わたる調査が明確に示しているように、火葬労働者が世間から差別されている現実に対する認識は鮮烈である。しかしながら、出口と展望のない中で労働者自身が暗中模索している姿や、いい訳がましい理由を付けて現状を合理化肯定する姿が垣間見える。差別が重いが故に、職場外に出て広い視野を獲得するチャンスすら妨げられている。相互通行のない斎場労働者は、精神的に非常に孤独である。
 当局が差別の現実を認識してきたこと、差別解消の施策が必要なことは二度にわたる調査報告でも明らかである。調査をしていながら、何ら差別解消の施策を推し進めなかった当局者に、「心付け」を受け取った火葬労働者の弱さを断罪する権利は有るのか?はなはだ疑問である。
 当局は六月四日、「服務規律の確保について」とした文書を各事業所長等宛に出した。併せて、局長自筆の「斎場に勤務する職員の皆様へ」とする氏名札の着用に関する文書が出された。
「斎場に勤務する職員のみなさんは、これまで、ご遺体を受け入れ、火葬し、骨上げを行うという一連の業務を通じて、故人とのお別れにあたってのご遺族の方々の心情を察するとともに、一つひとつの業務を丁寧に心をこめて対応されてきました。こうした厳粛で誇り高い職務に従事する者として、きっちりと名札も着用し、『市民のため、故人のため、ご遺族のための職務』であるとの誇りを胸に精励していただくようお願いします。」
 二回の調査結果で、斎場職員に対する差別が根強く存在すること、個々の労働者はそれを打ち破る自信も展望を見つけ出せていないことが明らかになっている。第二回調査報告の最後に、「若干の問題提起」として「なお、斎場のありようについては、別途、慎重に考察する必要がある。」とあえて記述したのは、個々の労働者の自覚と責任を超えたところに問題の所在があり、総合的な施策が必要であることを示したものである。それからすると、局長があえて個人名で出した文書も、これまでの環境局の差別に対する取り組みからの著しい後退ではないのか。劣後させたものはなにか。そこにこそ、今回の「心付け問題」に対する当局の姿勢の根本的問題がある。
4.「涙」をぬぐって、「弱さ」を自覚することから
 Kさんの葬儀は、今や廃れた「葬れん」の賑わいを思い出させた。昨今、近親者だけの他人の介在しない葬儀が多い中で、通り一遍の儀礼に過ぎない葬儀ではなく、心から別れの時と空間がそこにはあった。多くの葬儀業者が参列し、お棺をのぞき込み、鳴咽を堪えてKさんに最後のお別れをする。葬儀を請け負った業者は、身内の葬儀のような心遣いをして誰悌ることなく、涙を拭こうともせず、Kさんの棺に寄り添っている。皆の気持ちは、何故死ななければならなかったのか? 死に追いやった者への激しい憤りである。直属の上司である斎場担当課長などは、姿すら見せなかった。
 Kさんは、こそ泥のように卑しい拝金主義の輩として自らを位置づけられることを拒否し、自らの尊厳を取り返す為に死を選んだ。シラミのように押しつぶされる前に、自分の尊厳を守る唯一つの道として自死を選択した。自らの労働者としての誇りを押しつぶそうとする組織に対する抗議の意志を明確にし、組織規律や公務員倫理という名の不条理と抑圧に対する告発の意志が死を選択させた。
 しかしながらその死は、労働者の側に決定的なダメージと戦力ダウンをもたらした。二月二六日、私は彼と深夜遅くまで語り尽くした。今回問題の核心とは何なのか。打開の方法はあるのか。私は、「今こそKさんの出番だ。」と彼を励ました。個々の当局への対応は有るにせよ、職場をまとめて差別に挫かれている自らの弱さに気づき、闘うことで自覚と強さを獲得するためには、彼が職場の中心でまとめ役をしなければならない。彼をおいてそれを出来るものはないと考えたからだ。彼は、「少し元気になってきた。」といって、その晩は、翌日からの対応を約束して分かれた。まさか、彼が元気になったのは死に時を見つけ、その決断が付いたと言うことだったのか。それを悔いても取り返しは付かない。同席したものにも、「僕の寿命は、あと数日」と言っていたと言うし、次の日には時間の空いているときに紙おむつを購入するために席を外したという。
 彼は人のために生きることを人生の核に置いた。彼は、自らの骸を当局の前に投げ出し、後輩達を守ろうとした。彼は彼の人生の方針を死の中にまで貫徹した、しかしその方法は、相手である当局者が鶴の様なものであることを、判断の中で欠落させたとしか言いようがない。
 差別根絶の主体は、当局者ではなくあくまで直接火葬業務に従事している労働者をおいて存在しない。心付けを受け取ることは、差別の負の側面であり、火葬労働者が差別に打ち勝つ展望を見つけ出せない中で当然起こりうる一つの帰結点に過ぎない。弱さを断罪し、その意志をくじくことで、差別から解放される展望は開けるのか。苛酷な労働で有るにも関わらず報われ癒されることのない現実を、少しの金を受け取ることによって癒さざるを得なかった労働者の気持ちは如何ばかりであっただろうか。
 Kさんの死は、死によってしか守れなかった労働者としての尊厳と、それを奪い取ろうとした組織を変革し、僅かの金銭に頭を下げるのではなく、差別をなくし胸を張って生きれる社会を作って欲しいという後輩達への遺言であった。
 彼の死に涙しているときは過ぎた。