週刊金曜日 編集後記

1578号

▼今週号の特集「敗戦81年・終わらない戦禍」で、「映画『わたしの知らない子どもたち』西川美和監督・武田砂鉄さん対談」と「映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』塚本晋也監督インタビュー」を企画しました。

「失われた30年と言われているが、43歳である僕は物心ついた時からずっと失われている感覚があり、社会に対して不信感しかない。自分とは違う文脈で社会は動いている」。対談での砂鉄さんの裏話です。「きんようぶんか」に寄せられる砂鉄さんの書評にも、この思いが通底しています。

 塚本監督のインタビュアーを担当した大友麻子さんは、昨年の本誌8月1日号「戦後80年 敗戦特集」にて、無国籍児として戦後フィリピンで放置された日本からの移民を追った「フィリピン残留日本人たちの終わらない戦後」を執筆。著述業のほか映画の世界でも活動を広げており、塚本監督が戦争の狂気を描いた代表作『野火』のフィリピンロケでは制作・助監督を務めました。塚本監督も、かつての仲間だからこそ心を開き、ふとこぼれ出した言葉もあったように感じています。

 社会への諦めを感じる人が増える今でも、芸術にこそできることがあると信じています。(鎌田浩昭)

▼「飯舘村原発被害者訴訟終結の報告会」(同訴訟原告団・弁護団有志主催)が7月15日、東京・日比谷図書文化館で約50人が参加して開かれました。

 約6200人が暮らしていた福島県飯舘村は、東電福島第一原発事故で高濃度の放射性物質に汚染されましたが、村の大部分は原発から30キロメートル圏外で、避難指示は事故から1カ月以上たった2011年4月22日。原告らによると、同8月まで避難できなかった人もいるなど無用な被曝を強いられることになり、村民の初期被曝量は福島県で最も高くなりました。

 14年11月、飯舘村の約3000人が、原子力損害賠償紛争解決センターに裁判外紛争解決手続き(ADR)を申し立てましたが、東電が和解案を拒否。12世帯29人が21年3月、国と東電に対し、東京地裁に提訴。訴訟は25年5月に和解が成立し、東電は同11月に社長名義の謝罪文を交付しました。

 報告集会では、原告らの体調不良で開催が遅れたことなどが説明されました。原告の1人は「低線量被曝の実害はこれから出てくるのに、国は医療費支援を廃止しようとしている。棄民政策だ」と怒りの声を上げました。参加者らは、原発問題への取り組みを今後も続けることを誓いました。私も力をもらいました。(伊田浩之)

▼今年のカンヌ映画祭で主演の二人が「女優賞」を受賞して話題になった映画『急に具合が悪くなる』(濱口竜介監督)を観てきた。舞台はパリの介護施設。心の深淵に迫る、容易に感想を語れない作品だった。 上映時間3時間16分。長尺ゆえ途中で腰が痛くなりトイレにも行きたくなったが、画面に釘付けとなり結局立ち上がることができなかった。作品は理想のケアを追求する施設長と、がん闘病中の日本人女性との交流を描く。

 病状の悪化する現実を前に、役割や建前は削ぎ落とされていく。死を止めることのできない「無力さ」を受け入れ、ただ「同じ時間を共有し、隣にいる」という寄り添いに変化していく様が静かに進む。 鑑賞中、ふと『夜と霧』(V・フランクル)が頭をよぎる。死に向かうとき人はどう振る舞うのか。どこに希望を見いだすのか。そんな問いに思いを馳せた。 終映後、親子とおぼしき二人が「急にお尻が痛くなる!」とトイレへ走る様が可笑しい。一緒に観た介護職の妻に「良い作品だったけど、もう一度観たい映画ではないなぁ」と振ると、「ほとんどの場面がまだ目に焼き付いているからね」との彼女の言葉に私も大きく頷いた。どうやら巡り逢えて良かった映画の一つになりました。(町田明穂)