週刊金曜日 編集後記

1347号

▼「新型コロナとの闘いに明け暮れた日々だった。国民の命と暮らしを守る一心で走り続けてきた」
 菅義偉首相は退陣理由を説明した9月9日の記者会見でこの1年を振り返った。当初より大幅に遅れたワクチン供給や後手にまわったコロナ対策については、「治療薬やワクチンの治験や承認が遅く、省庁間の縦割りや国と自治体の壁があり、柔軟な対応が難しかった。医療体制をなかなか確保することができなかった」と自身以外にその責任を転嫁した。
 しかし、病床を確保できず、医療崩壊を招いたのは、菅首相が、コロナ蔓延時にGo Toトラベルを推進し、緊急事態宣言下に東京五輪・パラリンピックの開催を強行したからにほかならない。
 分科会などの専門家の意見に耳を貸さず、民意を無視し、政権の都合を優先したことで、多くの市民の命がその犠牲になった。
 9月29日の自民党総裁選で4人の候補者から新たな総裁が選出されるが、菅政権を作ったのも、支えたのも彼ら自民党である。新政権になったところで、看板のすげ替えにすぎず、自民党の構造的問題は解決されないし、安倍・菅の「官邸官僚政治」がただされるものではないだろう。(尹史承)

▼自民党総裁選を取り上げた報道で一番くだらないなと思ったのが、どこかの局のニュース番組中、スタジオにいる4人の総裁候補に、若者視聴者が質問をするというコーナーの最後で、同席していた政治ジャーナリストだか、局の政治記者だかが発した質問。「自身が総裁になったら、ほかの3人(の候補)を閣僚に起用しますか?」だって。
 どうでもいいでしょ、そんなこと。テレビだもの、「もちろん協力をお願いしたいです」って言うに決まっているじゃない。「○○さんとはやりたくないです」なんて、言うわけないじゃない。答えは明らかじゃないですか。
 どうしてこのジャーナリスト氏はこんな質問をしたのか、私なりに分析してみました。彼にとって「政治」あるいは「政治報道」とは、「○○派が××派とくっつく・くっつかない」ということなのでしょう。それまでの質疑応答では、年金政策などでけっこう突っ込みどころ満載の話が出ていただけに、この質問で締めくくられたことにがっくりきました。報道する側の意識や視点が、如実に出た例だと思いましたですよ。(渡辺妙子)

▼コロナ禍の中で、1年以上テレワーク(在宅勤務)が続いている。がん手術の経過観察中で、かかりつけ医から「あなたはコロナに感染したら重症化しやすいし、死に至るリスクも高い」と脅された末の選択だが、会社でフォローしてくれる人のお蔭。感謝しかない。
 春に子どもが就職して家を出たこともあり、昼間は1人の在宅勤務の中、同居する2匹の猫との触れ合いが日増しにアップ。個人的には「犬派」で、3年前まで十数年間飼っていたが、老衰で旅立ち、そのあと、2年半前に保護猫をもらってわが家に加わった次第。
 猫は、犬のように帰宅すると飛んできて出迎えるわけでもない。そのくせ、餌の時間だけは必ずミャーミャーと呼びにくる。その横柄さに当初はややむかついたが、在宅で袖振り合う時間が増えると、あら不思議。吠えないし、手がかからない一方、尊大な仕草も慣れると愛嬌。猫もいいかも──と今やすっかり「猫派」に転向中。Zoom会議のときに、パソコンの上に乗って邪魔したり、声を出したりするのはたまにきずだが。
 そうそう。週一の出社から帰宅すると、今は彼らも飛んでくる。むろん、目当ては餌だが、悪い気がしないのも人情だ。(山村清二)

▼今年の春ごろだったか、三谷幸喜が『朝日新聞』の連載コラムで1978年に放送されたNHKの大河ドラマ「黄金の日日」を見ていると書いていたのを見つけ、私もさっそく見始めた。当時、両親が見ていたのを子どもだった私は眠い目をこすりながら見ていた程度だったのだと思うが、ワクワクした記憶と、忘れられない強烈な場面をもう一度見たくなった。
 さて、少し前にその場面の放送があった。川谷拓三演じる善住坊が信長を狙撃した罪で捕まり、ノコギリびきの刑に。街道に頭だけ出して埋められ、竹で作ったノコギリで通行人にひとひきずつさせるという残酷な処刑方法だ。李麗仙演じる「戌年生まれの女」お仙が泣きながら、「ラクにおなり」と最後のひとひき。あまりの恐ろしさに脳裏に焼きついたのか。
 主役の助左衛門は市川染五郎(当時、現在の松本白鸚)。解説によると第16作にして初めて商人を主人公にし、経済の視点、庶民の側から時代を描くという新しい試みだったようだ。いつか自分の船を持ち、海を渡って知らない景色を見たいという助左の自由な生き方にいま余計に憧れる。それにしても、石川五右衛門役の根津甚八がかっこいい。(吉田亮子)