週刊金曜日 編集後記

1465号

▼かつて中絶の権利獲得のために闘った女性たちを描いた映画『コール・ジェーン』を今号で取り上げた。米国では揺り戻しの動きがあり、女性の人権が脅かされている。テキサス州法に至ってはレイプや近親かんによる妊娠も例外とせず中絶を禁止している。

 しかし、「米国は大変だ」と他人事として批判ばかりはしていられない。識者によると、日本での中絶や避妊へのアクセスは悪く、諸外国にも大きく後れを取っている。低用量経口避妊薬は申請から9年かけ、ようやく1999年に承認された。一方、死亡例も報告されていた性機能改善薬のバイアグラは同年、半年で承認。バイアグラはDV加害者の夫でも妻の同意なく購入して服用できる。対して、昨春に承認された経口中絶薬は配偶者らの同意が必要だ。女性の自己決定を尊重する考えに立つと、相手男性や親の同意は本当に必要なのか疑問だ。(平畑玄洋)

▼深夜、古都ホイアンの旧市街を独り彷徨った。トゥボン川の畔では小学生が川流し用の灯籠を売っていた。私の大嫌いな生まれ故郷の京都と同様の、外国人観光客相手の「幻想的な舞台作り」だ。

 一人の少女が「灯籠はいかが」と英語で語りかけてきた。昔、死者を弔うための灯籠は、地域の人たちが総出で祭りの夜に手作りしていたが、今は観光資本がプラスチックで大量生産し、子どもに売らせている。不意に涙ぐんだ私に少女の方が驚き、私を見つめ返してきた。彼女の手の中に未来の光があることを祈りつつ、私はホー主席の肖像がある2万ドン札を渡し「写真を撮らせて」と頼んだ。

 仲間とベトナム料理屋で合流した。フランス人客でごった返す店内には古いピアノ。誰かがショパンを弾いていた。ふと窓の外を見ると、しわくちゃになった紙幣を握りしめた少女がじっと耳をすましていた。川面に故郷喪失のショパンが流れていく。(本田雅和)

▼横浜・大倉山ドキュメンタリー映画祭で小林茂さんの『わたしの季節』を観ました。滋賀県の重症心身障害者施設、第二びわこ学園(当時)を舞台とした映画です。

「これを上映してもいいのか? と思う場面は、先にご家族の了解を得るようにした」と小林さん。それで、ある出来事を思い出しました。20年ほど前、同居家族の了承を得て、認知症の方にずっと密着取材を行ないました。それが記事校了の直前、海外在住の別の家族から掲載NGの連絡が入り、急遽あたふたとページを差し替えた経験があります。

 当時を振り返りつつ、「この映画では、よくここまで重症心身障害の方たちに迫ることができたな」と、舞台裏の苦労や葛藤に思いを馳せました。

 もうすぐ4月。「言葉の広場」の4月のテーマは「物価高」です。ご投稿をお待ちしています。
(秋山晴康)

▼「裏金問題」がさめやらぬなか、今度は若手議員が女性ダンサーを招いて口移しでチップを渡すなどして批判を浴びている。こんな自民党は「不適切」極まりない。

 宮藤官九郎脚本の「不適切にもほどがある!」でもこんな醜態は描かれていない。1980年代を生きる主人公が現代にタイムスリップする物語である。クドカンらしく毎回小ネタ満載で笑えるが、第7話はシンミリした。ある大物脚本家が悩んでいた。彼は初回で張られた伏線を最終回で回収することにこだわっていた。この脚本家に対して主人公はこう言い放つ。「いつか終わる。ドラマも人生も。だから、とっ散らかってていい。最終回が決まらないなんて最高じゃん」。なぜなら阪神・淡路大震災で死ぬことが決まっているから。「俺の家の話」では最後に主人公が亡くなったことがわかった。今回は途中で亡くなってしまうのか。結末やいかに。(原口広矢)